猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

老人のとりとめない話しには それなりの価値がある

2022-08-18 23:00:50 | 戦争を考える

年を取ると、とりとめのない話し方をしてしまう。私も年をとって、とりとめのないしゃべり方をしてしまう。考えて話すのではなく、話しながら考えてしまう。脳の老化がそのような話し方しか許さなくする。

私はNPOで子どもたちに勉強も教えている。脱線の多い話し方をすると、それを嫌う子どもがいる。効率的に教えてくれという。そういう子は、物事に決まった正しい答えがあって、それをコンパクトに伝えるのが教師の仕事だと思っている。自分で判断できる力より、人に指示を求めている。

しかし、私がとりとめのない話をするから、私から勉強を教わりたくないと言いながら、家が引っ越したので、1時間半もかけ、この4年間、おしゃべりのために私に会いに来る子ども(もう二十歳過ぎ)もいる。

なぜ、私がこんな話を持ち出しとかいうと、8月16日の朝日新聞社会面のつぎの記事に、違和感をいだいたからである。

93歳の老人が8月15日の水戸市主催の集会で約1時間、自身の戦争体験を語った。終戦の1年前、15歳のとき、予科練に志願して、特攻作戦の順番がまわってくるのを待つうちに、朝鮮半島の基地で8月15日を迎えた。

ここで、記者はつぎのように書く。

<ここまで話すとこの日の予定時間を迎えてしまった。その後のことも、もっと伝えたかったが、話したいことが多すぎて時間が足りなかった。>

「その後のこと」とは、ソ連軍の捕虜になり、モスクワ郊外の収容所で強制労働を強いられ、仲間が息絶えるのをみたことである。

そして、記者は書く。

<侵攻してきたロシアに移住を余儀なくされるウクライナの住民と抑留された自分が重なる。その一方、今のロシアとかって中国に攻め入った日本も二重も写しに見える。>

問題は、どこまでが老人の言ったことで、どこからが記者の思いなのか、よくわからない記事の書き方であったことだ。

話しているうちに時間が足りなくなったというのは、老人がとりとめのない話し方をしたのかもしれない。しかし、老人はこの3年前から自身の体験の証言活動を始めたというから、やはり、一番言いたいことを集会で1時間かけて話したのではないか、と思う。

集会でこの老人は、<「人を殺し、自らの命を散らせば勲章を与えられる。15歳の少年は、戦争の実情も本当の死の恐怖も知らなかった」「国に命を捧げることが誇らしいと思っていた」と話した>のだから、それはそれで満足だったのでは、と私は思う。



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