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猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

NHKのいう「一億総中流」は日本に起きなかった

2022-09-18 22:12:50 | 経済と政治

NHKテレビがいまスペシャル『“中流危機”を越えて』を流している。NHKテレビは、一昔前にみんなが中流であったかのように言っている。そんなことはない。

私が子ども時代は、中流とは、持ち家があって、お手つだいさん(女中)がいて、奥さんは働く必要がない家庭を言った。多くの人はそんなことはなかった。「一億総中流」と言うのは、政府寄りの太鼓たたき(卑屈な高学歴のウソつき)だけであった。

そもそも日本人の生活レベルが低かった。町の裏通りは舗装されていなかった。私の家は持ち家で表通りにあったが、風呂と水洗トイレがなかった。友だちの家の多くは、掘っ建て小屋か、借家、長屋、間借りであった。私の住んでいた町は、県庁所在地だが、アメリカ軍の空襲をまぬがれている。それでも、立派な持ち家に住んでいるの人はわずかであった。

日本人の少し生活レベルが上がったのは、1980年代になってからである。それでも、今の中国人の生活レベルか、それ以下である。安い労働力を使って、アメリカに消費財をガンガン輸出して、アメリカとの経済摩擦を起こしていたのである。そして、日本はナンバーワンなどと自惚れたことを言い、日本的経営スタイル、終身雇用制を、太鼓たたきは誇った。

終身雇用制を誇った日本の経営者が、いま、終身雇用制が日本の競争力をそいでいると言っている。おかしくないか。自分の経営の失敗を労働者のせいにしている。

割と知らない日本人が多いのだが、アメリカには定年制という考えはない。よく考えれば、終身雇用でないから定年がないのはあたりまえである。引退する時期は自分で決める。しかし、自己責任と競争を前提とするから、自殺者が多い。アメリカの雇用体制が良いとは、いちがいには言えない。

また、新聞が宏池会をハト派であるかのように言っているが、それも注意が必要である。宏池会の創始者の池田隼人は、国民に貧しい人は麦飯を食えばよいといった男である。

池田は所得倍増計画で記憶されているが、その骨格を作ったのは、前任者の岸信介である。岸は、東条内閣の商工大臣として戦時経済体制(統制経済あるいは計画経済体制)を遂行した人である。このときの記憶が、いまなお、経済産業省に生きていて、企業合併が国策としてすすめられている。

ハト派というのは、軍事はアメリカに依存し、国力を経済強化に注ぐという党派のことである。そこには、貧富の差をなくすとかの発想はまったくない。労働者を経営者に従順にするために「日本的経営」をおし進めたのである。

1980年代から1990年にかけて、株や土地のバブルが起きて破裂したことが、「一億総中流」が昔あったという、間違った記憶を生んだのではないか、と思う。バブルにみんなが恩恵にあずかったわけではない。バブル期に、日本の銀行や不動産業が暴力団を雇って、土地の買収(地上げ)を進めた。多くの企業の経営者が財テクと称して、株や土地を売買にのめり込んで、企業の国際競争力を弱めた。

NHKが、日本のバカ経営者、官僚におもねって、歴史認識を間違えるような番組をするのをやめてほしい。


「セキュリティークリアランス(適正評価)」とは何か知っていますか

2022-08-11 22:48:25 | 経済と政治

けさの朝日新聞によると、経済安全保障担当相の高市早苗早苗が、就任会見で、「セキュリティークリアランスは非常に重要だ。これを何としても(法律に)盛り込みたい」と、経済安全保障推進法の改正に意欲を示した。

この「セキュリティークリアランス」とは「先端技術を扱う民間人らに対して、政府が借金の有無や家族関係などの調査を行う適性評価」のことである。トンデモナイことである。

科学技術は人類共通の財産であり、本来、隠しだてするものではない。また、科学者や技術者のプライベート生活や内心に政府が立ち入って選別することは、科学者技術者を委縮させ、科学技術の振興を抑えることになるだろう。

科学技術は人類共通の財産という理念から、科学者には新しい発見に対し、ノーベル賞のように、名誉と賞金が与えられる。技術者には新しい発明に対し、特許制度を通して、経済的特典が与えられる。いずれも、発見、発明の公開を促すためである。

朝日新聞によれば、高市が「定性評価」の考えを述べるのは、今回が初めてでない。彼女が自民党政調会長時代も、「経済安保法に適性評価が整備されていなければ、先端技術をめぐる欧米との共同研究に支障を来す」と問題を提起していた。首相の岸田文雄も、これまでの国会答弁で、適性評価について「今後検討していくべき課題のひとつ」と発言しており、この高市の考えを了解しての、経済安全保障担当相の起用と思われる。

科学技術の知識の伝播は防ぎようがない。防ぐよりも、お互いに協力して、人類全体の生活を豊かにした方が良い。

アメリカは戦後間もない頃、核爆弾製造の秘密をソビエト連邦に漏らしたとして、イギリスの科学者を殺害したが、核爆弾が実現できるという情報があれば、設計図を盗まなくとも、製造インフラが整っていて科学者、技術者がいれば、どの国でも、核爆弾を開発製造できるのである。

その後の水爆の開発競争では、ソビエト連邦がアメリカに勝った。もっとも、水爆の開発も核爆弾の開発も良いことではない。

半導体の知識はすでに世界中に広まっている。製造インフラも世界中に広がっている。止めようがない。

バイデン政権が推し進めている「経済安全保障」という考えは、これまでの「自由経済」という考えを否定するものであると同時に、「啓蒙思想」に挑むドン・キホーテのように無理な戦いであると思う。どこかの国が、富を独占するために、知識の流出を抑えるということは、決して良いことでもなく、統治者の妄想で、科学者や技術者の自由な活動を抑え込み、科学技術の停滞を招くだけである。


朝日新聞インタビュー、吉川洋の『新しい資本主義の行方』を批判

2022-08-05 23:14:28 | 経済と政治

(J.K.ガルブレイス)

おととい(8月3日)の朝日新聞のインタビュー記事、経済学者 吉川洋の『新しい資本主義の行方』にまったく賛同できない。

彼の主張は、3つの部分からなる。

1.資本主義経済は自由競争を前提とするから、勝ち組と負け組ができ、格差が生じざるを得ない。資本主義経済はそれを是正するために、税や社会保障制度で負け組を救済してきた。この是正には元手となる経済成長がいる。

2.バブル経済の崩壊後、経済成長ができていず、色々な問題がでてきている。財政規律も守られず、国債残高がGDPの2倍という危険な状態にある。

3.成長のためには、イノべーションが不可欠で、イノベーションを支える人材、人材を育てる教育の拡充が大前提となる。超低金利からの脱却を模索する必要がある。高齢者に手厚くて若年層に薄い今の社会保障を全世代型に組み替える必要がある。

まず、「格差」が資本主義経済に起因するというのは、まったくの誤りである。「格差」は資本主義経済と関係なく、昔からあったものである。「格差」は「力」関係から生じるものである。「勝ち組」とか「負け組」とかでなく、弱い者は徹底的に搾取されるのである。

JKガルブレイスは『ゆたかな社会 決定版』(岩波現代文庫)で、賃労働者の賃金は子孫を再生産できる最低のレベルまでおとしめられるとアダム・スミスやデヴィッド・リカードなど正統派経済学者が唱えていたと指摘している。

『バルカン「ヨーロッパの火薬庫」の歴史』(中公新書)によれば、オスマン・トルコ時代のバルカン半島の農民たちは平野にいると、とてつもなく搾取された。その結果、農民たちは山岳地帯に逃げて、平野に誰も住まなくなった。しかたがないから、他の地域から農民をつれてきて税を徴収するようになった。

現在、日本では出生率がさがっている。普通の人びとが結婚生活を維持するためには、女も賃労働者として働かないといけない。そのうえ、女は家事や育児と働かないといけない。権利意識があれば、子どもなんか産んでたまるか、という気持ちになる。あるいは、産んでも、子どもを虐待するようになる。

日本社会の「格差」は、「自由競争」によって勝ち組と負け組に分かれたからではなく、政治力の強いものと弱い者とに分かれたから、生じたのである。日本人は政治意識が弱い。階級意識が欠落している。

現在の日本の賃労働者の政治意識のなさは、ストライキやデモがほとんどないことで裏づけられる。賃金は闘ってこそ上がるものだ。

日本の発電は、いまだに石炭が主力である。日本の石炭の輸入量は毎年増えている。しかし、1960年代に石炭から石油にエネルギー転換だとして、政府は炭鉱を閉じるように働きかけた。戦後の日本の労働運動の立役者は、炭鉱の労働組合だったから、その解体が狙いだったのである。その次のターゲットは、国有企業の労働組合である。最強は、国有鉄道(国鉄)の組合であった。政府は国鉄を解体し、JR西、JR東海、JR東、JR四国、JR九州、JR北海道の民間企業に変えた。組合の解体に成功したが、その結果、収益力の弱い地方路線は維持できなくなり、地方の衰退を加速させた。

ガルブレイスは「資本主義経済は自由競争を前提」もウソだと書いている。人間は不確実な状態に耐えられないから、経営者は、企業に対する支援を政府に求める。いろいろな理由をつけて税金の優遇をうける。また、開発の支援も政府に求める。

いっぽう、闘う労働組合になくなり、賃労働者は政府に圧力をかけられなくなっている。

さらに、政府は、賃労働者に正規と非正規の区別を作り、派遣労働者という制度を作って非正規労働者を増大させた。賃労働者のなかの格差も拡大したのである。

労働組合が弱くなれば、給料が上がらない。だから、結婚できない、家庭をもちたくない人が増え、出生率は下がるしかない。

闘う労働組合だけでなく、資本主義経済国に対抗する社会主義国というものもなくなって、資本家、経営者はやりたい放題になっている。

格差を是正するのは、経済成長ではなく、賃労働者、農民、飲食業、女たちなどの弱者が政治意識をもって、すくなくとも弱者といわれないようにすることである。

いっぽう、資本家、経営者がやりたい放題をできるためには、彼らの代弁者である自民党が選挙で勝ち続けないといけない。そのために、自民党は経済成長をもたらしているとウソの宣伝をし、また、それに騙されない人たちを選挙に行かないように仕向けてきた。

低投票率が続くよう、野党だって頼りないと思わせた。対案がない、反対ばかりしているという野党批判をメディアにさせた。

いっぽう、自民党が経済成長をもたらしていると思わせるために、財政規律を破ってまで財政出動させ、いっぽうで超低金利で円安を誘導した。それだけで十分でなく、年金機構や日銀を使って株価操作をした。選挙に勝つために経済成長に悪いことばかりを自民党はしている。

「高齢者に手厚くて若年層に薄い社会保障」もウソで、70代でも体が動けば働かないと生活費にこと欠き、働けないものは生活保護費に頼っているのが現実である。一部の恵まれた高齢者だけが手厚い保護を受けているだけだ。

イノベーションが経済成長に必要だというのはシュンペーターの仮説である。これは、ある程度ホントだと思うが、イノベーションとは、新しい技術をビジネスに取り入れることをいうので、新しい技術の開発することをいうのではない。シュンペーターが言いたかったのは、リスクを冒す起業家が必要だということだ。資本家や経営者は保身に走る官僚のようではいけない。

日本政府は資本家や経営者を甘やかしている。

とにかく、吉川は自民党を弁護するために、事実を捻じ曲げて、論じているにすぎない。なぜ、朝日新聞は、よりによって、こんなやつにインタビューしたのだろうか。同じ東大の経済学者なら、岩井克人のほうが、ずっと真面目に議論する。


日本経済の暗澹たる未来、これを招いた安倍晋三が自民党参院候補を応援

2022-07-05 23:16:17 | 経済と政治

きのう、日本の暗澹たる経済予測をBSTBS『報道1930』で聞いて、2009年に民主党政権ができたときが、妙に懐かしく思い出された。当時、日本は何かとても明るい未来が広がっていたような気がする。

民主党が、日本初のマニフェスト選挙で、自民党を破ったのである。「コンクリートからヒトへ」の方針が約束されていた。それまで、自民党政権は景気浮揚のために、赤字予算を組んで、公共事業(コンクリート)への財政出動をしてきたが、その効果がないことが、社会的に共通認識になっていた。それより福祉や教育に税金を使おうということである。子どもはみんなで育てるものという考えもマニフェストに打ち出された。

自民党が2012年12月16日の総選挙で勝ち、マニフェスト選挙が日本社会から失われた。「ヒトからコンクリートへ」の逆襲が始まった。利益誘導型の政治に戻った。

2011年3月11日に岩手、宮城、福島、茨城、千葉に高さ30メートルの津波が襲い、堤防、港湾施設、家屋が破壊された。この復興が日本の経済浮揚に寄与するとエコノミストが言ったが、そうはならなかった。津波の被害を受けた地元の経済復興に恩恵がいかず、東京の土木建設業界に恩恵が行っただけである。

「コンクリート」事業は基本的にいまも続いているが、東京の土木建設企業が潤っているだけで、現場ではたらいているのは外国人労働者だという状態が続いている。

安倍政権は、「アベノミクス」「3本の矢」を掲げた。財政出動、金利政策、経済成長戦略のことである。これ自体は別に新しいものではない。が、なぜかメディアはこれを賞賛した。安倍政権はメディアを取り込むことでなりたっていたのである。選挙には、自民党のために広告業界がすばらしいキャッチコピーとポスターを用意した。

金利政策は円安を意図したものである。「異次元の金融緩和」とか、電通の組んで言葉で飾ったものである。

メディアは「経済成長戦略」がないと批判したが、本当の問題は規制緩和という名目で経営者を甘やかしたことである。経営者のモラル崩壊を促したのである。

日本の財政出動の問題は、金の流れ先がどう決まるのか、公平なのか、また額は妥当なのか、それが不透明なのである。仕事は政府から元請けに流され、そこから下請け、孫請け、ひ孫請けとどんどん末端にいくが、複雑怪奇になっており、景気浮揚に効果なく、単に、経済界、政治家たちの腐敗を育てるだけである。

もともと、経済成長戦略を政府が企画し実行することなんてできっこない。政府の仕事は、世界の農業を含む全産業の動向の報告と日本経済の実態を示す統計データを出すことである。何が成長産業なのか、日本や世界ではどのような需要があり、どう変わっていくのかの予測をだすことである。政府は別に製造業や農業の生産活動を管理する権限も能力もない。また、政府が国民の税金を使って特定の企業を応援してはいけない。

安倍政権のもっともしてはならない犯罪は、株価操作をして、株価を上げ続けたことである。赤字国債を膨らましただけでなく、年金機構や日銀を破綻の危機に晒している。今、赤字国債は膨らみ続け、円安はどんどん進み、物価高は今後も加速することが予測されている。岩井克人が資本主義の危機というハイパー・インフレーションの入り口に日本はいる。円安をくいとめるには、日銀がマイナス金利政策をやめる必要があるが、日銀がそうした場合、株価が急落し、また、赤字国債を抱えた日銀が破産するリスクあるという。

きのうの『報道1930』は、岸田文雄がアベノミクスを否定し、政府の強いリーダシップののもとに、日本の経済危機脱出を図るべきだということである。

しかし、参院選をみていると、安倍晋三が自民党候補の応援を行っている。岸田文雄には危機意識があるのだろうか。自民党が自ら招いた日本の経済的危機を、中国が敵国だ、ロシアが敵国だ、北朝鮮が敵国だと、軍事的危機を煽り、ごまかして乗り切ろうとしているように見える。日本の未来をますます暗くしている。日本には軍事費を2倍にする経済的余裕は全くない。それだけなく、モラルがなく、ただただ暴力的な日本人がふえていくのが私は怖い。


私たちは経済活動の自由を抑圧してはいけないのか、『21世紀の資本主義論』

2022-06-29 23:24:40 | 経済と政治

岩井克人は『21世紀の資本主義論』(ちくま学芸文庫)の巻頭エッセイで、「恐慌」より「ハイパー・インフレーション」のほうが資本主義の危機であるという。たしかに、「恐慌」が物より貨幣を人間が好むことを意味し、「ハイパー・インフレーション」が貨幣そのものへの信頼が崩れることを意味すれば、岩井の主張にも一理ある。

しかし、恐慌が長引いたこと自体が、各自が利己的に動く市場に「神の手」が働き、供給と需要の調整が行われるという神話のウソを暴いており、それが資本主義の危機であることは間違いない。日本の1990年の株・土地バブルの破綻は、日本経済に長期のデフレを引き起こし、2000年代に、大企業は保有していた特許を海外に売り、また、製造のノウハウをもった技術者を大量に解雇し、その一部は雇用を求めて海をわたった。日本政府はそれに資本主義の危機を覚えた。表面的には、小泉政権時に、政府が銀行に資金を投入し、銀行の破産を最小限に抑えたことによって幕引きされたとされる。しかし、安倍政権がアベノミクスと称して、赤字国債を乱発し、規律のない、わけのわからない財政支出をし、異次元の金利引き下げをし、株価つり上げに国民の税を注ぎ込むということは、日本の支配層が、経済を市場の自律性(神の手)に任せることができなかった、という究極の実例ではないか。

すなわち、「ハイパー・インフレーション」も「デフレ」も資本主義の危機であることにまちがいないのだ。

岩井は「文庫版へのあとがき」のなかで、「資本主義とは、まさにその自由を経済活動において行使すること」とし、「資本主義を抑圧してしまうことは、自由そのものを抑圧すること」になるから、「私たちは、好むと好まざるとにかかわらず、資本主義の中で生きていかざるをえない」と結論する。

ちょっと、その結論を待ってください。王制の時代にも、王には自由があったではないか。王や貴族は、かってきままに ふるまっていたじゃないか。近代の自由とは、みんなに平等に自由を与えるということではないか。平等がなければ、経済活動の自由とは、金持ちだけが、かってきままにふるまうことに過ぎない。

したがって、岩井と異なり、「私たちは、好むと好まざるとにかかわらず、資本主義を抑圧せざるをえない」と結論することも可能である。