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猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

政府の仕事は資産所得倍増でなく、貧困をなくすこと

2022-06-11 00:00:20 | 経済と政治

最近、保守政権のおごりがひどい。「新しい資本主義」と言っていた岸田文雄は、いつのまにか、「経済財政運営と改革の基本方針(骨太の方針)」で「資産所得倍増プラン」を掲げ、家計の資産を貯蓄から投資に振り向けようと呼びかけている。

デジタル版朝日新聞では6月7日に、紙版では6月10日に、経済ジャーナリスト萩原博子のつぎの言葉を引用して、政権の「資産所得倍増プラン」を批判している。

「(高齢者が)窓口で『政府も所得倍増プラン、と言っていますよ』などと営業を受け、手数料の高い投資信託などを買わされないか心配です」

本来、銀行業とは、個人から貯蓄としてお金を集め、それを企業に融資することで、産業育成に貢献してきた。ところが、企業は銀行からお金を借りないようになった。お金を借りて銀行に管理されるより、株を発行した方が経営の自由度がある。赤字会社も株をどんどん発行するようになった。さらに、安倍政権下で、異次元の低金利政策を行い、銀行が企業に融資するリスクをとれなくなった。金融業界は、金融商品を売ることでしか、生き残れなくなった。

「貯蓄から投資へ」は、銀行に投資先を任すのではなく、個人で責任をとって、企業に投資しろということにすぎない。経済が成長しない日本では、手数料をとる証券会社が儲かるだけである。

萩原は ほかに色々なことを言っている。

「この十数年のデフレ下、企業は借金を減らして現金を増やしてきました。家計も同じことをすることが合理的です」
「給料が上がらない中、消費を増やせば家計が破綻します」
「新しい資本主義に目玉となる政策がないことが、いまの政権を象徴しています」

ところで、私は、政府が直接的に成長産業を育成できると思っていない。政治家や官僚が経営者より産業の成長に先見の眼があると思えない。政府は環境整備しかできない。政府が「成長戦略」を立てれるはずがない。

政府の責任は、貧困をなくすことである。先日、付属池田小事件の宅間守の半生を読んだら、あまりにもすさんだ環境で育っている。宅間だけでなく、育児や介護における虐待事件でも貧困が影響を及ぼしている。

日本国憲法第25条 
「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
○2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」

ここでの「国」は政府を指すのだと私は思う。

いまの保守政権は経営者を甘やかしている。私は、政府に経営者を罰せよと言っているのではない。経営者こそ自己責任で経営のリスクをとらないといけない。政府は雇われている社員の保護をすればよい。責任感があって経営能力のあるものが経営者になる企業風土を育てないといけない。派閥を組んで、会社を私物化する人がトップになるようではどうしようもない。

私は、政府が経営者を、とくに、大企業の経営者を甘やかすのは、自民党の政治家が大企業の献金にたよっており、経団連などの意向に逆らえないからと考える。これをごまかすために、自民党の政治家は戦争の危機を煽っているのだと思う。


榊原英資の「円安がプラスの時代は終わった」は当然のことわり

2022-06-04 22:58:54 | 経済と政治

きょうの朝日新聞に『ミスター円・榊原氏が語った円安 「円安がプラスの時代は終わった」』の記事が載った。1ドルが何円に相当するかの為替レートのグラフがとくに興味をひいた。円安と円高が思いほか繰り返している。1ドル何円かの縦軸は上下反転しているから、上が円高で、下が円安である。

榊原英資は、昔「ミスター円」と言われた人で、財務省役人時代、アメリカ政府と議論ができ、1995年の円高をアメリカとの協調介入で下げた人である。その後は一転して円高が望ましいという論陣を張った人である。私には懐かしい人だが、現役の官僚は老人の発言をどう受け止めているのだろう。

よく円安が良いとか悪いとかは言うが、絶対値の問題ではない。円安に進んでいるか、円高に進んでいるかの問題である。

私は1977年にカナダに研究者として渡って行ったとき、私の妻は全貯金をカナダ・ドルに換えた。その後、円高、カナダ・ドル安が進み、4年後に日本に戻るとき、手持ちのドルを円に交換しても、元の半値にもならないので、癪だから、持ち金をすべてカナダでの買い物に使って帰国した。

ドル安とはドルの価値がなくなることで、円安とは円の価値がなくなることである。

日本に生活していて日本円で貯蓄していれば、円高になれば金持ちになる。円安になれば貧乏になる。だから、円安が進むなら悪い、円高が進む方が良いのに決まっている。

80歳を超えた榊原が「円安がプラスの時代は終わった」と、いま、わざわざ言わなければならないほど、「円安がプラス」と考えている人が多数いるのだろうか、不思議である。

昔は、日本国が絶対的に貧乏だったから、すなわち、ドル建ての外貨準備が少なかったから、輸出輸入のバランスがプラスでないといけなかった。円安に傾くことは、日本人の賃金が国際比較で安くなることだから、安い価格の商品を輸出できることになる。それで、円安はプラスと考える経営者や官僚や政治家が多かった。

しかし、いま、日本人の食生活は昔と違い外国産のものを多く食しているから、円高は直に物価高を招く。賃金が国際比較で安くなったことをみんなが肌で感ずる。

榊原が円安が悪いとの発言をわざわざしたのは、対アベノミクスの観点からではないか。アベノミクスは日本経済に害以外なんにも与えなかった。

株価を操作して釣り上げた。株価がずっと上がり続けるのなら、経済の拡大に寄与するかもしれない。しかし、株価を操作で上げ続けることは無理である。
同じように、金利を下げつづけることも無理である。銀行の経営が難しくなるからだ。銀行の窓口に行くとリストラや店舗の縮小がすすみ、行員がかわいそうなほどピリピリしている。

きのうの朝日新聞には、安倍晋三が自民党内や財務省のアベノミクス批判に激怒しているとある。安倍晋三の自慢は、日銀を政府の子会社にしたこと、円安を招いたことである。年老いた榊原は、人生最後の一仕事として、現役官僚のアベノミクス批判に援護の手を差し伸べたのではないか、と思う。

岸田文雄の「新しい資本主義」は何だったのか、政府の「実現会議」が実行計画案作成に失敗

2022-05-31 22:05:09 | 経済と政治

きょう、5月31日の夕方、テレビを見ていたら、政府の「新しい資本主義実現会議」が、総理大臣官邸で会合を開き、岸田文雄が掲げる「新しい資本主義」の実現に向けた実行計画案などが示された、と言っていた。

しかし、中身がわからないので、ネットでNHKのサイト『「新しい資本主義」実行計画案 「資産所得倍増プラン」策定へ』を見たが、それでも、よくわからない。

3日前の28日に朝日新聞が実行計画原案がわかったと報道していたが、それも、ただの経済政策をばらばらと挙げていただけであった。たとえば、「大胆な金融政策、機動的な財政政策、成長戦略の『3本の矢』を堅持」「再生可能エネルギー、原子力など脱炭素電源の最大活用」「NISA制度などによる『資産所得倍増プランの検討』」など7項目があがっていた。

結局、「新しい資本主義」とは何か、だれもわからず、実現計画がまとまらなかったのではないか。それでも、7月の参議院選挙を目指して、むりやり、「新しい資本主義」の実現計画をぶちまけようとしたのではないか。

けさの朝日新聞4面で、岸田文雄の経済ブレーン原丈人が「資産所得倍増の前に分配政策を」と、実行計画案を批判している。原の言うように、少しも「新しい資本主義」のところがない。

今年の1月17日の岸田の第208回国会施政演説には、具体性がないが、刺激的言葉が散りばめられていた。

「市場に依存し過ぎた」「市場や競争の効率性を重視し過ぎた」「行き過ぎた集中によって生じた」「自然に負荷をかけ過ぎた」「分厚い中間層の衰退」

そして、「新しい資本主義」は「市場に任せれば全てが上手くいくという、新自由主義的な考え方が生んだ、様々な弊害を乗り越え、持続可能な経済社会の実現に向けた、歴史的スケールでの『経済社会変革』」を行うと岸田は言ったのである。

それが、どうして、「NISA制度などによる『資産所得倍増プランの検討』」となるのだろうか。「資産所得倍増」と言うが、会社や工場で真面目に働いていて「資産所得」のない人はどうなるのか。まず、「勤労所得倍増」ではないか。

先日、田園都市線で車内広告「不労所得を得る方法」が見たが、不動産投資の広告であった。「資産所得」とは「不労所得」ではないか。

けさの朝日新聞の記事では、原はつぎのように言う。

「成長産業を作っても、利益のほとんど株主がとってしまう株主資本主義の時代が続けば、社員は豊かになれません。成長の結果、成果物が働く人たちや、社会全体に還元するルールを作ることが新しい資本主義の骨格のはずです。」

まったく そうである。「新しい資本主義」は、働いた成果物の「新しい分配」であって、「資産所得倍増」ではない。実現会議が実行計画案をまとめるのに失敗したことは、「新しい資本主義」は、結局、社会主義か共産主義でしか実現しえないことを物語っていると思う。今の自民党政権では到底無理である。


諸富徹の「日本の製造業はモノからサービスへとかじを切れ」は正しいのか

2022-05-17 22:47:36 | 経済と政治

きょうの朝日新聞にマクロ経済学者 諸富徹のインタビュー記事が載っていた。大見出しの『資本主義 日本の落日』に小見出し「環境対策を軽視し ものづくりを過信 世界の潮流乗れず」「成長がなければ 固定化する格差 産業構造変革を」がつく。デジタル版では大見出しが『「老衰」する日本の資本主義 経済学者・諸富徹さんの処方箋は』である。

諸富は私より20年若い。しかし、彼の言っていることは何かまちがっている気がする。

「落日」とか「老衰」とかいう言葉の踊る諸富の主張を要約すると、「日本の製造業はモノからサービスへとかじを切らなければいけない」ということになる。

私は「ものづくりは技術革新の源である」と考える。私は14年前までIBMに務めていたが、「サービス」とは金融業のことであり、飲食店のことではない。「ものづくり」は依然としてだいじである。

アメリカの支配階級の思考法の優れている点は「システム化」「戦略的思考」にある。すななわち、古代ローマ人の思考法を引き継いでいるのだ。

トランプ政権あたりから、アメリカの仮想敵国が中国になっている。

それ以前は、中国は13億の人口をかかえ、眠れる巨大市場と見なされていた。日本の人口の10倍だから、いずれ、日本より10倍、モノが売れるはずと考えられていた。

それが、トランプ政権から、中国がアメリカの経済的優位を脅かす存在になるという見方がアメリカでの主流になっている。

アメリカ政府やシンクタンクの警戒心はあたっている。中国社会にはシステム化や戦略的思考の基盤があり、その中で、ものづくりをしている。

アメリカの「ものづくりからサービスへ」の流れは、アメリカ人の中から勤勉さが失われつつあるという現実に押されての話である。「ものづくりからサービスへ」が正しい選択というより、それしか できないという現実を受け入れたとのことである。

もっとも、アメリカは「ものづくり」をやめたわけではない。移民を受け入れ、アメリカの豊かな生活にあこがれひたすら働く集団を用いて、「ものづくり」を続けている。アメリカは兵器の開発では質量ともに世界のトップである。

諸富はやたらと「デジタル化」に日本は遅れたと言う。日本で「デジタル化」が日々の経済活動のなかで進まないというのは、「システム化」の発想が定着化しなかったということである。個々の会社を見れば、コンピューターの利用は進んでいると私は思っている。

私は、「デジタル化」が遅れているのは製造業より行政府であると思う。

政府が日本の経済を引っ張るという考えに根本的間違いがあると思う。明治の「文明開化」の亡霊が政府の中に残っている。経済産業省の役人にそんなことができる「脳みそ」が詰まっているはずがない。「自由市場経済」と言いながら、上に忠誠を誓う役人が、市場に介入している。

日本政府が「様々なステークホルダーに配慮するあまり、痛みを伴う決断を先送りしてきた」と諸富は言う。「生産性の低い産業が人件費カットで生き延びるのを防ぎ、産業の高付加値化」を諸富は促す。政府の基盤は議会の多数派であることだ。議員は選挙で勝ち残りたい。だから、政府が「痛みを伴う決断」ができるわけがない。

日本政府は市場に直接介入することはやめなければいけない。政府が企業の合併をおし進め、大企業をつくる必要はない。日産や東芝やパナソニックの失敗の原因は、経産省の指示に従ったり、「財テク」に走ったりしたことにある。

政府がやるべきは戦略的思考のできるエコノミストやストラテジストを育てることである。人を一時的に一堂に集め、経済分析と戦略の議論を促し、そのレポートを発行する。直接、経済に介入しない。無能な経営者を助けない。

すなわち、経済産業省が、かってに、電力の再生エネルギーの比率、原発の比率を決めて電力会社に押しつけてはいけない。通産省の指示に従っていれば、電力の地域独占が守られるなんて、あってはならない。

製造業がエネルギーや資源を節約する「ものづくり」を進めていくのは当然なことである。しかし、人間は食べるもの、着るもの、雨や寒さを防ぐ住処が必要である。モノはつくっていかねばならない。モノをつくっている国にこそ、未来がある。

アメリカが「モノからサービスへ」と転換してやっていけるのは、「軍事大国」であるからで、日本が見習うべき国ではない。日本に住む私たちは、ものづくりの勤勉な国民でありつづけて良いのだ。

[補足]

ものづくりのなかに、私は、製造業だけでなく、農業や建築業なども含めている。


円安によるインフレは悪いインフレ、円安による企業の最高益も限定的一時的

2022-05-13 23:39:35 | 経済と政治

けさのテレビ朝日『モーニングショー』で、コメンテーターの玉川徹がインフレは悪いことではないと言っていた。けさの朝日新聞の1面には『円安 企業に最高益』と出ていた。本当に日本の経済の未来は明るいのだろうか。

私にはそうでない気がする。無責任に明るい未来を語るのは政治家や経営者の質の劣化を招く。

私の兄の娘は離婚と新型コロナ禍を受け、非常に経済的困難に陥っている。元夫が経済的困難にあるので、慰謝料、養育費は出ない。飲食店で非正規で働いていたから、新型コロナで職を失った。区役所に相談にいったが、らちがあかない。私は、公明党や共産党が救いの手を差し伸べてくれるかと思っていたが、そうでもないようだ。

一番の問題は住居費である。契約者の元夫と離婚したので、集合住宅から出ていくように家主に言われているが、つぎに住む所が見つからない。定職がないと契約で断われる。私も何とかしたいと思ったが、定職がない老人の私は保証人になれない。

このような状況に直面すると、公的住宅が整備されているロシアやウクライナがうらやましい。

日本は「自由主義国家」というが、衣食住に苦しむ「自由」しかない。物価の上昇を計算するときに、生鮮食品を除外する。ようやく食べていける層にとっては、インフレは悪いことである。食べていけないことになる。

衣服を扱うリサイクルショップが活気ついていることは、「食」と「住」の高騰を「衣」の節約で補い始めたからではないか。所得があがらないかぎり、インフレにいいことはない。年金生活者には苦しい生活しか待っていない。

朝日新聞の『円安 企業に最高益』という見出しも罪である。円安で最高益が出る企業は限られている。しかも、ドル建てで、その企業の売り上げが増えたわけではない。企業の最高益は海外市場での競争力を意味してはいない。

企業の売り上げとコストをドルで考えてみよう。利益は売り上げからコストを引いたものである。コストのうち、人的コストと生産設備の償却費は円建てであるから、円安になると、ドル建てでは一時的に下がる。いっぽう、部品や材料のうち、海外からの輸入分はドル建てであるから、下がらない。いっぽう、売り上げのほうは、海外市場を相手にしている企業は、ドル建てでも下がらない。国内市場を相手にしている企業では、いままで通りの国内の売り上げでは、ドル建てにすると下がる。

したがって、海外への売り上げが多い企業以外は、ドル建てで考えると、経営が苦しくなる。「円安 企業に最高益」という「企業」は非常に限られる。したがって、国内市場がメーンの企業は、原材料や部品の高騰分を価格に上乗せするしかなくなる。すなわち、円安がインフレをを引き起こす。このインフレが、輸出企業の国内から部品の調達費や生産設備更新のコストを引き上げる。

賃金もあがらなければ、働く者には地獄である。暴動が起きるかもしれない。企業は賃金上げざるをえないだろう。しかし、年金や生活保護費などはあがるのだろうか。障害者にとってはインフレは地獄である。

玉川が良いインフレといった1970年代は、経済の規模が拡大して、労働者の需要が高まり、賃金が上がり、それが、消費需要を引き起こし、物価があがったのである。

しかし、この経済規模の拡大は、アメリカ市場を侵食することで成り立ったのであり、日米経済摩擦を引き起こし、1990年に日本はバブルの破綻という形でアメリカの軍門にくだったのである。1970年代の良いインフレはもう2度と来ない。

円安が進行し、物価があがるという現在のインフレは、経済規模の拡大を伴わないから、悪いインフレである。

政治家と経営者の質が問われる時代に突入したのである。