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猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

10月3日の岸田文雄首相の所信演説を読む

2022-10-06 23:09:06 | 政治時評

政権1年目の岸田文雄首相が、この10月3日に国会で所信演説を行った。翌日の新聞で全文を読んだが、冒頭に「今、日本は、国難とも言える状況に直面しています」という割に、中身がいい加減である。

今回、意味不明の「構造的な賃上げ」という言葉が出てきた。何を言いたいのがわからない。

岸田は「なぜ、日本では、長年にわたり、大きな賃上げが実現しないのか」と問題を提起する。この言明に、いつから、賃上げが実現しないのか、がない。1990年代からであろう。そして、安倍政権時代から、ハッキリと賃上げが止まっている。

日本の景気が、1990年のバブル崩壊以降、ずっと悪いのも、賃上げがないことの一因であろう。しかし、日本の労働組合が「社内の第2人事部」化したことが大きな要因である。また、非正規労働者の雇用が解禁されたことが大きい。労働者は解雇の恐怖の中で働くようになった。すなわち、労働が「奴隷労働」化したということである。

ところが、岸田は自分の問題提起につぎのように述べている。

<そこには、賃上げが、高いスキルの人材を惹きつけ、企業の生産性を向上させ、さらなる賃上げを生むという好循環が機能していないという、構造的な問題があります。>

これっておかしい。高いスキルの人材の企業間の移動は、日本社会でも、昔から起きている。そうでないでしょう。いま日本で求められているのは、スキルの如何によらず、ものを買えるだけの賃金を払い、消費需要の不足を解消し、景気を回復することでしょう。

この間、被雇用者の社会的力が衰え、雇用者側の好き勝手な社会になっていることに問題の本質がある。

したがって、岸田の言う「賃上げと、労働移動の円滑化、人への投資という3つの課題の一体的改革を進めます」では、具体性がなく、何ら構造的問題の解決にならない。

岸田の「スタートアップに重点を置いて、官民の投資を加速させます」も意味不明である。「官民の投資」とは何なのか、わからない。

起業するというのは、みんなの夢である。誰しも人に使われたくないと思っているだろう。バカな社長、バカな上司にしたがって、力を発揮できないというのは、被雇用者にとって不愉快なことである。

日本の経済の停滞は、ひとえに経営者の責任である。しかし、政府の役人が代わって企業を経営できるとは思えない。もし、急進的な解決方法がるとすれば、それは、現在の経営者をすべて追放し、企業の経営陣を代替わりさせることであるかもしれない。もう少し現実的な方法は、政府がとっている大企業向けの恩恵をとりはらうことである。企業の救済は、小規模に限り、しかも、一時的なものにすることである。

これにより、大企業が潰れるだろう。あるいは、潰れることを恐れ、経営陣が変わるだろう。大企業が潰れるということは、スタートアップの成功機会を増す。トヨタやソニーがつぶれることは、日本の将来にとって何も悪いことでない。


「戦後レジームの脱却」を唱える自民党を支持する日本人は何を考えているのか

2022-10-04 23:05:15 | 政治時評

7月8日に殺害された安倍晋三は「戦後レジームの脱却」を一貫して叫んでいた。この「戦後レジーム」とは、1945年の日本の無条件降伏に伴う、ワシントンからの占領軍司令部(GHQ)への指示、「日本の民主化・非軍事化」による戦後のあらゆる制度の変革を総体として言う。

戦後、安倍と同じく国葬になった吉田茂も「日本の民主化」に反対した。「民主化」に反対するのは、権力者の伝統である。明治4年の岩倉使節団がヨーロッパやアメリカをまわったときの手記を見たことがある。彼らは、汽車や工場を見て感嘆していたが、議会を視察して「なぜこんな非効率的なことをしているのだろう」とバカにしていた。

行政府をにぎった者は自分に逆らう者を憎み、国民に従順を求める。これを許さないのが「民主化」である。

自民党は、「自由民主党」の略であるが、明治初期の「民権運動」とは関係なく、戦後の「民主化」を行き過ぎたものとし、戦前と同じく、民衆は上の指示に従えば良いという考える。これは、国葬を閣議決定で決めて良いいう自民党の態度にも現れている。

吉田茂と安倍晋三との違いは、「非軍事化」に対する点である。吉田は日本の再軍備に関して熱心でなかった。日米戦争で、アメリカの軍事力に日本が勝てる見込みがそもそもないとはっきりしたのだから、軍事に関してはアメリカ政府に任せれば良いと吉田は考えた。それにたいし、安倍は、祖父の岸信介と同じく、日本独自の戦力を持たなければならないと考えた。

「非軍事化」に対する態度が、1955年の保守合同以来の、自民党内の争点である。現在、憲法第9条が自民党内で改憲の対象にあがっているのは、「非軍事化」を否定し、軍事大国を目指すという自民党議員が多数派になっていることだと思う。

小野寺五典は岸田文雄の派閥に属する議員だが、GNP2%の軍事費、敵基地攻撃能力の保有の旗振りになっている。岸田派も安倍派も軍事化を推進している。

「戦後レジームの脱却」(非民主化・軍事化)を唱える自民党を支持する日本人は何を考えているのだろうか。

けさ、北朝鮮のミサイルに東京、青森、北海道でアラムのサイレンが鳴り響いた。北朝鮮、中国の脅威が必要以上に日本では叫ばれている。

北朝鮮は、まだ、アメリカに届くミサイルを開発できていない。北朝鮮は近隣国との「こぜりあい」を起こせてもそれ以上の脅威はない。すぐ、アメリカによって抑え込める。北朝鮮のミサイル実験、核実験を非難までは妥当だが、それをもって、日本の軍事化を正当化することはできない。

中国に関しても、アメリカは韓国、台湾、日本に基地を持ち、中国を軍事的に包囲している。いっぽう、中国はアメリカにたいして何らの軍事的脅威を与えることができない。中国とアメリカとの距離は、ロシアとアメリカとの距離より、はるかに遠い。バイデン政権の中国脅威論は中国が経済的主導権をアメリカから奪うことにあった。いつまにか、経済的脅威と軍事的脅威とが混同がされ、それに日本政府がのっかっている。

軍事費とは、経済の観点からすれば、人間不信からくる無駄な出費である。妄想が膨らめば出費はいくらでも膨らむ。ソビエト連邦が崩壊したのも軍事出費が経済を破壊したからだと思う。妄想が膨らまないよう、理性的な議論を行うべきだ。

ところが、政治家が他国からの軍事的脅威を訴えると安易に信じる者がいる。きょうの北朝鮮のミサイルの飛行距離が増えたと報道しているが、軍事研究家の小泉悠は、最長距離を飛ぶ角度でミサイルを発射しただけで、飛翔能力が増したわけでない。何の実験をしたのか、また、どうした政治的理由があったのかを検討しないと意味がないといっていた。

北朝鮮の意図はわからないが、大騒ぎする政府の意図は、統一教会と自民党の関係から関心をそらすことかと思う。


きょうの安倍晋三の国葬は下品で情けなかった、やるべきでなかった

2022-09-27 23:22:09 | 政治時評

安倍晋三の下品で情けない国葬がきょう武道館で行われた。岸田文雄や菅義偉の追悼の辞(送る言葉)はなんだ。感傷的に個人の死を悼むなら個人葬で充分である。岸田や菅は安倍の威光がほしかっただけでないか。

人びとに対する安倍の功績はなんなのか、岸田や菅が言うことができないなら、国葬とすべきでない。情動で国政や外交を行うというのは、危険極まることである。

そう言えば、安倍自身も意味のない感傷的な言葉を発し、「戦後レジーム脱却」を叫んで統一教会と組んで国家主義・軍国主義体制を日本に復活させようとした。「戦後レジーム」とは、日本の民主化・非軍事化のことである。

第一次安倍内閣で、教育基本法改正、イラク特措法の延長、教育三法改正を行った。第二次安倍内閣で、特定秘密保護法制定、労働者派遣法改正、集団的自衛権行使を容認する閣議決定、安全保障関連法の制定、共謀罪の制定、検察庁法の改正を行った。日本が敗戦で得た民主化を逆行させただけである。

2016年12月27日、ハワイでの真珠湾攻撃犠牲者慰霊式では、当時の首相、安倍は、「耳を澄ますと、寄せては返す、波の音が聞こえてきます。降り注ぐ陽の、やわらかな光に照らされた、青い、静かな入り江」とスピーチを始め、その感傷の言葉が最後まで続いた。

これに対し、日本の代表的保守論者、保阪正康は、日本の真珠湾奇襲攻撃によって太平洋戦争が始まり、日本軍部は戦線を拡大続け、アジア太平洋地域で1千万単位の死者を出したが、その結果、日本はどんな教訓を学んだかの言及がない、と怒った。

私も保坂と同意見だ。こんなことで、日本の軍備を増強し、敵基地攻撃能力を持ってもらっては困る。いったん軍拡競争が始まると、軍事費の国民負担がどんどん大きくなる。そのうち、軍関係者や政治家はその軍備を本当に使いたくなる。情動で国政や外交をしてはいけない。

岸田は、安倍派との対抗意識から、国の借金を増やしてまで、GNPの2%にあたる軍事費予算をつけようとしている。ここが岸田の悪い所だ。昨年、聞く耳をもつと言って、総裁選に勝ったが、聞いているのは安倍派の声だけである。

安倍は戦後レジームの脱却しか理念がなく、選挙に勝つため何でもやった。しかも、自分に逆らう自民党議員を落とすことまでやって、長期政権を維持した。約8年の長期政権というが、その実現のため、自民党内の政敵をつぶし、自民党の総裁の再選規約を変えたのである。安倍が潰瘍性大腸炎にならなければ、いまでも安倍政権が続いていたのだ。プーチンと同じ独裁が大好きの政治家であった。

民主国家の首相になることは、戦国時代の国盗り物語ではない。自己実現の権力闘争ではない。

党内政治で陰謀を振るうという安倍の体質は、政治に腐敗を招く。論理的な説明より、感傷的なスピーチを好み、陰謀で政敵や逆らう官僚を排除する姿勢は、甘い汁を吸いたいという者を集めてしまう。森友学園、加計学園の事件をうやむやになったが、いま、新たに東京オリンピックの賄賂事件が吹き出ている。

国家主義は腐敗と切り離せない。岸田は国葬を閣議だけで決定した。政権とは行政府を担うことにすぎない。民主国家の行政府は国民にサービスする部門である。閣議で決定すれば、なんでもできるというのは、安倍が始めた政治スタイルであって、行政府の暴走である。民主国家のあるべき姿ではない。

岸田政権は、今回の国葬をよくわからない会社に丸投げした。予算のわりに あまりにも お粗末な葬式であった。品がないのである。武道館の入り口に掲げていた やたらと大きな字の垂れ幕「安倍晋三国葬儀場」は、場末の温泉旅館か大阪の餃子チェイン店かを思わせる。美的センスがないのだ。参列者をスチールパイプの折りたたみ椅子に座らせていた。マスクをつけた自衛隊員が手持ちぶさたに中央に参列していた。なぜ、暗い照明のなかで葬儀を行うのだろう。楽しくできないのだろうか。式典に何のユーモアもない。

この会社は政府の誰かにキックバックしていないだろうか。アベノマスクを思い起こさせる。

安倍を継承する岸田政権の安直さと無能さとをきょうの国葬は表わしていた。弔問外交なんて名ばかりだった。


安倍晋三の国葬を行う岸田文雄は迷惑をかける令和の喜劇役者

2022-09-26 22:52:46 | 政治時評

あす、安倍晋三の国葬を武道館で行うという。死んでほしかった安倍が死んで良かった良かったと思っていたところ、岸田文雄が安倍をあす国葬にするという。岸田は「弔問外交」で安倍の外交遺産を引き継ぐという。G7の首脳のだれも安倍の国葬に参加しないという。

だいだい安倍はトランプのけつの穴をなめていただけの男でないか。

岸田は、安倍の死を絶好のチャンスとして、安倍「的」なものを政治の舞台から追放すべきだった。安倍派を解散においこむべきだった。ところが、岸田は安倍晋三の継承者だと名乗りたがっている。岸田は安倍派を取り込むことができると思っているのだろうか。

安倍は電通と組んで国民をだまかしていた。オリンピック汚職で電通の元取締が逮捕された。安倍「的」なものを排除しないと日本が経済的に破滅するだけである。ウソの国民総生産(GNP)値事件もあった。株価操作もやってきた。いまアメリカとの金利差で超円安になっているのに、異次元の金融緩和、マイナス金利を是正できない事態に日本は陥っている。

安倍は「私がドリルになって規制という岩盤を打ち破る」と言いながら、森友学園、加計学園に便宜を図っていた。政府の「桜を見る会」を自分の後援会に利用していた。統一教会とはずぶずぶの関係であった。

安倍は「戦後レジメの脱却」といって民主主義の破壊者であった。国家(行政府)の権力を強めるよう法を改正した。軍備増強をはかった。教育基本法改正、イラク特措法の延長、教育三法改正(以上第一次安倍内閣)、特定秘密保護法制定、労働者派遣法改正、集団的自衛権行使を容認する閣議決定、安全保障関連法の制定、共謀罪の制定、検察庁法の改正ときりがない。

そういう安倍の継承者でありたい岸田文雄は、原発の再稼働、新増設を推進するし、資産倍増計画といって、金融商品の宣伝を行っている。

石川健治が岸田を令和のルイ・ボナパルト(喜劇役者)と言うが、岸田を笑ってすまされなくなっている。岸田が生きていても はた迷惑なだけだ。


吉田茂、安倍晋三の国葬に怒らない日本人がいることを私は恥じる

2022-09-23 23:05:07 | 政治時評

岸田文雄は首相になって、1年もたっていない。自民党総裁になったのは昨年の9月29日、内閣総理大臣に指名されたのはそして10月4日である。

総裁選では、彼は手帳を取り出してみんな声を聞いて書きとめていると言った。新自由主義を脱却し、「新しい資本主義」を目ざすと約束した。そして、1年もたたないうちに「新しい資本主義」が「資産倍増計画」にする変わった。

岸田は、ことしの2月26日のロシア軍のウクライナ侵攻とともに、原発推進に大きく舵を切った。ウクライナの原発がロシア軍の軍事的ターゲットになっているにも関わらずだ。プーチンは、ヨーロッパがウクライナに軍事支援すれば、いつでもウクライナの原発を破壊し、核汚染をもたらすとほのめかしている。

7月10日の安倍晋三殺害事件では、岸田はいち早く安倍の国葬を決めた。来週、55年前の吉田茂以来の国葬を武道館で行う。武道館のまえに、棺の列は防衛庁に寄り、自衛隊の儀礼を受けるという。

今回の国葬で、岸田は、吉田、安倍の継承者を名のるわけである。すなわち、保守本流を称するわけだが、この保守とは、大企業の経営者が好き勝手をできる社会を守るものにすぎない。

英語も話せた吉田は、降伏直後には外務大臣を務め、連合国最高司令官(マッカーサー)との主席連絡担当官でもあったが、1946年から47年にかけて連立内閣を組織した。1948年後半から1954年まで政権を維持した。

ジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』(岩波書店)に吉田茂とはどんな人かが書かれている。

<(吉田は)そもそも日本を民主化できる可能性はないと言ってのけた。吉田の典型的にエリート的な表現によると、日本人には本物の自治を行う能力はない、そうでもないなどと言う者は、民族的な誇りのせいで目が見えなくなっているか、左翼の宣伝に酔わされているか、どちらかである。>

<「自分(吉田)の心のなかにいつも1つの考え方があった」からである。「それは、(占領下の改革の)見直しを必要とすることは日本が独立した後に見直せるはずだという思いであった。しかし一度決まってしまったものを再び変えることはそうたやすいことではなかった。」>

安倍も「戦後レジーム(民主化)の脱却」を唱えて、長期政権を維持した。

欧米の日本専門家はこれを受けて、保守本流を支える日本人を「従順な家畜の群れ」と呼んでいる。バカにすれどたたえることはない。欧米の保守とは個人主義のことである。

今回、「弔問外交」と岸田はいうが、世界の影響力ある首脳は安倍の国葬に参加しない。

こういう国民をバカにし、民主化を逆行させる吉田、安倍、岸田の保守本流の政権が日本で続くことに私は恥じる。