yには、今迄の誰よりも影響を受けてきたヂイちゃんが居る。
八ヶ岳山麓の寒村に住み、お盆頃になると幾らか飼い蜂を突き、人様に飼ってやっていた。自分の家では、飼っても1巣位で、専ら人の為に尽くしていた・・・
このヂイ、本格的に動き出すのは9/中!!! クラシック流儀だから、4貫目魚籠(びく)を背負い、地下足袋を履き、専ら、1~3里の山道をテクリ歩き・・・魚籠には、婆ちゃんの作った愛妻弁当にモロコシとトマト・・・
道中の小川で赤ゲーロ(蛙)(殿様ゲーロは、肉が柔らかく、使い難かった)を2~3匹捕まえ、袋に入れる・・・
大体、こんなスタイルだった。
朝、家を出るのは、それほど早くもない。大体、8時と言う按配だった。
9/中ともなると、標高1300~1500m地点へ出掛けていた。 大体、2里程をテクテク歩いて行くので、現場に着くと、もう、10時、11時だった。
山麓に出掛けるので、行きはダンダラの登り道だった。
目的地に着くと、やおら重たい魚籠を日蔭に降し、そこでゲーロを袋から1匹出し、地面に叩きつける。脚がピクピク、ギャフンと伸びた所で、脚から頭まで皮を剥き、坂道を登るのに突いてきた杖の先に皮を捲き付ける。
草叢には“ジスガリ”の餌取りが仰山居たので、いとも簡単にゲーロに齧り付く。
それから蜂追いに入る・・・
当時の八ヶ岳山麓は、唐松の植林をしたばかりの林が多く、背丈位から2~3間の高さ、だから空間が、十分に開いていた。
ズボンのポケットからやおら脱脂綿を取り出す。そして、器用に紙縒りを造る。糸道は、極めて細く、肉団子まで厳格に1㎝の糸道とした!!!
肉団子は、ゲーロのもも肉の内側を親指と人差し指を上手に使い米粒状サイズに毟り取る。そして、紙縒りの糸道に絡めていく・・・上手なもんだ!!!
ゲーロに付いた働き蜂には、1回は空身で餌を持たせ、餌場を覚えさせる。この時、飛ぶ方角を見届けていた。 働き蜂が沢山付いた時は、働き蜂の大きさ、齧り具合と性格の把握を見届けていた。或る時は、白墨の粉を背中にチョコンと付ける事もあった。
働き蜂に餌を持たせるコツは、脱脂綿の端部を親指と人差し指で掴み、肉団子を中指に乗せ、ジスガリのお尻の方からソ~~~ッと口元に移動させていく・・・
手馴れたもんで、いとも簡単にジスガリは、肉団子に齧り付く。
それから飛ばせるのだが、紙縒りが上手に出来ているので、糸を齧る事もなく直に飛び立つ。それを追い掛ける・・・ 「飛ぶ時は、走るのではなく、馬のようにピョコンピョコンと飛び跳ねて追い掛けろ!」と、教わった。怪我をしない為だ。
中には梃子摺るジスガリも居たが、数回の飛ばしで仕留めていた。。。
ここに名人の名人たる由縁がある!!!
こんな動作が、夕方暗くなるまで続く!!!
4貫目魚籠は、見る間に空間を埋め、帳が落ちる頃には、口元までイッパイになっている事が多かった。
10月ともなると通い蜂が多くなるので、蜂追いと透かしを併用した。透かしの方が多かったかも知れない? 透かしに関しては、かなりのノウハウを持っていたのだろう? 実に、上手だった。
こんな事があった。
ヂイちゃんのキョウデー衆(兄弟衆)で、黒シメジ取りをした事があった。此方に関しても黒シメジの城を沢山知っているので、シコタマ取り、暗い道を懸け声を出しながら下っていた。先頭に立つヂイちゃんが、急に、停まった。
「シ~~~」・・・
一同、??????
「あったァ~~~」!!!
もう、真っ暗闇になり掛けていた細い山道の脇に帰り蜂がボロボロ落ち込んでいた!!!
燻したが、1貫目近くもある巨大巣!!! 黒シメジが最盛期の頃になると、八ヶ岳山麓のジスガリは、最盛期を迎える。
キョウーデー衆の誰かが言った。 「オジー!、どうして見っけられたんだァ~~~」 「音さ!、音!!、羽音だよ!!!」 一同、「ヘェ~~~~」
こんな所にも名人の片鱗が垣間見られた。
ヂイちゃんの穴場は、小海線沿線だった。
甲斐小泉、甲斐大泉、清里、野辺山、川上、海の口・・・小諸辺りまで・・・
朝、7時の汽車に乗り、小淵沢で乗り換え、小海線の何処かの駅で降りる・・・
家に帰って来るのは、夜の9時を過ぎていた・・・
そして、来る日も、来る日も、4貫目魚籠を一杯にして、フーフー言いながら背負い、帰って来た。
晩秋になると、こんな日が、何日も続いた・・・
時には、しょ気て帰って来る日もあった。 決まって「風が強かった・・・」と、いっていた。
このヂイの特技と言えば、晩秋のグレ(雄蜂の群れ)透かし!!!
別格の得意技を持っていた! グレが居る所には、必ず、巣がある。此処で、通い蜂を見付け、巣を見付けるという方法だ!!!
実に、理に適っている技法で、効率がいい!!! yもこの技法を徹底的に叩き込まれたが、今日、この技を頻繁に使っている。
友人のOさんとこの手法を急峻の渓谷で使った事があったが、実に、痛快だった。
グレのワンサカ居る所で、湧き上がって来る通う蜂を見付けた。身の軽いOさん、スルスルと降りて行き、間もなく煙が匂って来た・・・
一寸、話は横道に逸れたが、車のない時代の蜂追いは、大間か、こんなご時世だった。
比較も出来ないが、今日の蜂狂は、車あり、餌ありで、この世の王様如きである?・・・
思うに、このヂイのような先人が、更なる先人の技を言い伝え、我々蜂狂に伝承してきたのである。 一度、ヂイちゃんに聞いた事があった。
「ヂイちゃん、蜂追いは、誰から習ったァ~~~?」・・・「親父からだよ~~~」
数えてみると、ヂイちゃん、生誕100年を迎えた。となると、この地の蜂追いは、150年もの伝統がある事になる!!!
蜂追いの術、若干の進歩は見られるものの、その基本は、全然、変わっていない!!!
更なる術を上乗せさせて、後世に受け渡したいものである!!!!!
ここに出て来るヂヂゃん、実は、yの親父である。
この写真は、何時、撮ったものか判らないが(yが、初めてアイレス・カメラを買い、撮った記憶があるが?)、手持ちの杖の先に干乾びたゲーロが付いていて、実に、微笑ましい・・・
色茶けた写真だが、yの秘蔵画像の一つである!!!