日々是チナヲチ。
素人による中国観察。web上で集めたニュースに出鱈目な解釈を加えます。「中国は、ちょっとオシャレな北朝鮮 」(・∀・)







 これは、許せません。日本もしっかりしなくちゃ。猿にも及ばぬ畜生を相手にしていることを、理解しないと。




 さすがは厚顔無恥で三千年。いけしゃあしゃあと「サンプルに問題なし」「安全」認定です。中国側がさらに伝家の宝刀、

「日本のメディアが騒ぎすぎ」

 を抜くかどうか注目しましょう。 ↓ ↓ ↓



 ●「農薬検出されず」中国側が会見、日本側と共同で調査へ(YOMIURI ONLINE 2008/01/31/21:25)
 http://www.yomiuri.co.jp/feature/20080131-1068087/news/20080131-OYT1T00596.htm

 【北京=佐伯聡士】中国製冷凍ギョーザの中毒問題で、中国の国家品質監督管理検疫総局の王大寧・輸出入食品安全局長が31日、記者会見し、ギョーザの製造元「河北省食品輸出入集団天洋食品」への立ち入り検査を行った結果、「(保存していた)ギョーザのサンプルと原材料から(有機リン系農薬)メタミドホスは検出されなかった」と述べた。

 王局長はさらに、一両日中にも専門家チームを日本に派遣し、日本側と共同で、具体的な調査を行う考えを明らかにした。

 王局長によると、検査は30日深夜から、昨年10月1日と20日に製造したギョーザのサンプルと、現在使用されている原材料を対象に行われ、31日未明に結果が出た。また昨年は、ギョーザの原材料となるショウガや白菜などの残留農薬の検査が行われ、合格だった。工場内の生産記録も完全にそろっていたという。

 王局長は天洋食品について、「1996年に対日輸出を始めて以来、2004年8月に肉製品で基準を超える大腸菌が検出されたほかは、品質が非常に安定している」と強調した。




 ●被害は31都道府県410人に…読売調査(YOMIURI ONLINE 2008/01/31/22:43)

 ●毒ギョーザ、中国では死者も ずさんな農薬管理(MSN産経ニュース 2008/01/31/18:29)

 ●政府、中国に正式抗議へ ギョーザ薬物中毒(asahi.com 2008/01/31/17:52)

 ●サンプルから農薬検出せず 中国が製品の調査実施(共同通信 2008/01/31/17:23)

 ●中国製ギョーザ米当局も注視 安全策強化迫る(MSN産経ニュース 2008/01/31/17:01)

 ●天洋食品から19社輸入=ギョーザ以外も販売中止要請-厚労省(時事ドットコム 2008/01/31/16:33)

 ●「ギョーザで被害」17都道府県85人 さらに拡大の様相(MSN産経ニュース 2008/01/31/15:59)

 ●ギョーザ工場、「食の安全」官庁の最高幹部が視察していた(サーチナ 2008/01/31/15:53)

 ●「天洋」製品を自主回収…マルハ・日本ハム・加ト吉(YOMIURI ONLINE 2008/01/31/15:53)

 ●<中国製ギョーザ>検疫総局が調査開始、「日本で食品問題が多発」と報道―中国メディア(Record China 2008/01/31/15:16)

 ●中国製ギョーザ:3年前にもメタミドホス混入 天洋食品(毎日jp 2008/01/31/15:00)

 ●中国製ギョーザ:農薬メタミドホスで中国でも食中毒(毎日jp 2008/01/31/15:00)

 ●「天洋」全製品の販売中止、厚労省要請…新たに65人症状(YOMIURI ONLINE 2008/01/31/14:31)

 ●110人不調訴え 福岡の生協調べ ギョーザ中毒問題(西日本新聞 2008/01/31/14:13)

 ●同一製造日の「餃子」1万袋輸入、回収は難航か(YOMIURI ONLINE 2008/01/31/14:10)

 ●中国製ギョーザ中毒:報道陣と小競り合いも 従業員、答えぬまま--河北省の製造工場(毎日新聞東京夕刊 2008/01/31)

 ●販売中止を要請された「天洋食品」の製品一覧(YOMIURI ONLINE 2008/01/31/13:57)

 ●香港でも「天洋食品」の餃子販売中止(MSN産経ニュース 2008/01/31/13:43)

 ●「警察が捜査」と中国当局 駐日大使館通じ談話(共同通信 2008/01/31/13:43)

 ●中国当局、ギョーザ製造工場に立ち入り検査(YOMIURI ONLINE 2008/01/31/13:41)

 ●「天洋食品」03年に検疫免除、中国が通関迅速化へ優遇(YOMIURI ONLINE 2008/01/31/13:40)

 ●中国製ギョーザ:「天洋食品」の工場責任者は出勤せず(毎日jp 2008/01/31/13:34)

 ●中国製食品の使用中止 外食大手のすかいらーく(共同通信 2008/01/3113:32)

 ●中国警察が捜査開始=製造企業には自主回収指示-冷凍ギョーザ中毒問題(時事ドットコム 2008/01/31/13:28)

 ●<中国製ギョーザ>「中国の恥!」「これは中傷だ」ネット上での反応は多様―中国(Record China 2008/01/31/13:12)

 ●中国製ギョーザから検出のメタミドホス、使用禁止だった(サーチナ 2008/01/3112:55)

 ●中国では死亡例も、餃子から検出「メタミドホス」(MSN産経ニュース 2008/01/31/12:48)

 ●「独裁国家なんだからしっかりしろ」 石原知事(MSN産経ニュース 2008/01/31/12:48)

 ●ユニー、中国製ギョーザなど撤去=購入済み商品の返品呼び掛け(MSN産経ニュース 2008/01/31/12:46)

 ●中国当局が現地調査開始 冷凍ギョーザ、責任者らから聴取(共同通信 2008/01/31/12:35)

 ●ギョーザ問題を報道 中国、日本への反感も(共同通信 2008/01/31/12:33)

 ●情報処理システム見直し 中国餃子中毒事件で官房長官(MSN産経ニュース 2008/01/31/12:19)

 ●天洋食品からの輸入商品19社88品目 リストを厚労省が発表 中国餃子中毒事件で(MSN産経ニュース 2008/01/31/11:45)

 ●地元政府が検疫免除? 中国ギョーザ食中毒事件(iZaニュース 2008/01/31/11:18)

 ●関係省庁連携し原因究明へ 中国製ギョーザ中毒事件(MSN産経ニュース 2008/01/31/10:40)

 ●<中国製ギョーザ>有毒成分は生産途中に混入か、立ち入り調査中の現地工場には公安が待機―中国(Record China 2008/01/31/10:34)

 ●中国製餃子で被害の主婦、食後20分にめまい(YOMIURI ONLINE 2008/01/31/03:06)

 ●「死ぬかと思った」入院中も手足に震え 中国製ギョーザ問題(2008/01/31/01:18)

 ●天洋食品輸入、年1300トン=国内3社、問題のギョーザ-厚労省(時事ドットコム 2008/01/31/01:17)

 ●中国産ギョーザ:中国の製造元、門閉ざし取材に応じず(毎日jp 2008/01/31/00:45)

 ●中国では死亡例も=「メタミドホス」中毒(時事ドットコム 2008/01/31/00:20)

 ●中国製ギョーザなどの撤去・販売中止相次ぐ(YOMIURI ONLINE 2008/01/31/00:16)

 ●中国製ギョーザ中毒:輸入検査に穴 加工食品、農薬は対象外(毎日新聞東京朝刊 2008/01/31)

 ●自主回収対象の冷凍食品一覧…輸入ギョーザ食中毒(YOMIURI ONLINE 2008/01/30/23:02)

 ●加ト吉と味の素、中国「天洋食品」関連製品を自主回収(YOMIURI ONLINE 2008/01/30/22:40)

 ●中国産ギョーザ:製造元、説明を拒否(毎日jp 2008/01/3021:29)

 ●中国製ギョーザに農薬(共同通信 2008/01/30/20:30)

 ●中国当局、ようやく「調査開始」と声明 毒餃子(MSN産経ニュース 2008/01/30/20:28)

 ●「メタミドホス」とは? 毒餃子事件(2008/01/30/19:11)

 ●中国「調査中」、製造元「証拠があるのか」 日本、中国側に照会へ 毒餃子(MSN産経ニュース 2008/01/30/18:12)

 ●中国製ギョーザ食中毒、JTなどが23品目を自主回収(YOMIURI ONLINE 2008/01/30/18:11)

 ●中国餃子で中毒計10人に 兵庫でも、いずれも同一輸入業者 メタミドホス検出(MSN産経ニュース 2008/01/30/17:30)

 ●中国産冷凍ギョーザで一時重体 千葉・市川 製造過程で薬物混入か(MSN産経ニュース 2008/01/30/16:06)


コメント ( 22 ) | Trackback ( 0 )





【昔の観察日記08】へ)


 本格的な権力闘争によって政局が一大転換していくというのは、眺めていて実にゾクゾクするものでした。政局の転換が中国の針路を左右するものでしたから、正に歴史が動いているという緊張感や昂揚感もありました。

 しかしトウ小平の「南方視察」が開始されて以降は改革派の圧倒的攻勢となるため、つまり余りに一方的な展開であったため、それ以前の時期に比べるとヲチは非常に楽でした。

 これが2005年春の反日騒動に名を借りた政争のように、争う当事者同士がいずれも決め手を持っていないようだと難渋します。敵対勢力をKOできるだけの力を持たない小粒な政治勢力同士の喧嘩ですから、事態が二転三転して大きな流れが形成されません。

 いきおい先行きが不透明になります。こうなると新聞報道からいろいろ察しなければならなくなるので困難な作業とならざるを得ません。それでもわかることができるのは、どことどこが争っていて、互いにいかなる大義名分を掲げていて、ひとつひとつのアクションの意味合いを察しつつ、いま現在はどちらが比較的優勢か、ということくらいです。

 結局、この反日騒動のときの政争も、反日の勢いが余りに拡大していることに喧嘩している当事者同士がびっくりして手打ちを行い、結局勝敗がつかぬまま終わっています。その不完全燃焼が直後に「呉儀ドタキャン事件」を引き起こすことになるのですが、これは余談。

 それとは対照的に、トウ小平の「南方視察」が始まってからの展開は実に鮮やかなものでした。味方陣内で相手のボールをインターセプトするなり、一斉にカウンター攻撃に転じるような切れ味の鋭さを感じたものです。



●トウ小平、改革加速・保守派攻撃へ積極的な動き(1992年1月27日)


 深セン・珠海を訪問している中国の最高実力者・トウ小平と楊尚昆国家主席は、同地滞在中、改革加速を強く打ち出す談話を次々と発表。江沢民総書記や李瑞環政治局常務委員もこれに呼応するかのような演説を行っており、改革派の攻勢がにわかに強まっている。

 トウ小平は19~23日に深センを訪れた後、珠海を視察。楊尚昆も21日から5日間深センを視察し、25日に珠海入り。両者は26日に会談している。

 87歳とは思えぬ精力的な視察を続けるトウ小平の狙いは、改革の本格化と改革派の援護。

「特区と珠江デルタ地帯を20年でNIESに並ばせる」
「広東は全国の経済発展の牽引役を果たせ」

 と語り、引き締め政策のなか独自の改革路線をとってきた広東省、経済特区に支持を表明し、一方で、

「イデオロギーを強調するあまり経済建設をおろそかにしてはならない」

 と保守派の動きにクギを刺した。また、

「香港の資本主義制度はあと百年は続くだろう」

 と注目すべき発言を行い、周南・新華社香港支社長が密かに深セン入りしてトウ小平に香港の現状を報告したという報道も流れた。

 楊尚昆の言動もこれと軌を一にしている。

「深セン特区を引き続き発展させ、21世紀に躍進しよう」

 と揮毫し、

「特区の建設には常に開拓が必要だ。保守的すぎるのはいけない」

 と発言。さらに改革・開放政策を、

「より拡大し、より大胆に」

 と呼びかけた。なお、中国のマスコミも26日、楊尚昆の一連の発言を報じて特区視察を初めて伝えたが、トウ小平の動静については一切ふれていない。

 一方、26日の中国各紙は江沢民総書記と李瑞環政治局常務委員の演説を掲載。江沢民は「中国の特色ある社会主義建設」のために実務の重要性を強調、形式主義を批判したが、これはイデオロギー偏重で経済建設という「実務」を軽視する保守派を批判するもので、上述のトウ小平の発言と呼応する。

 李瑞環の演説は全国宣伝部長会議の代表座談会で行われたものだが、改革・開放の推進と思想解放を強調。「中国の特色ある社会主義」の建設には科学技術の最重要視、計画ある商品経済、所得格差を容認する「先富論」、政治体制改革が欠かせないと指摘して、改革加速を打ち出すトウ小平に同調。

 また、指導者の会議や式典参加、長いばかりで無味乾燥な文章をマスコミが紹介することに「大衆は飽きている」とし、「この状況を断固改めねばならない」と保守派を強く批判している。

 最近、改革加速への機運が急速に高まりつつあるが、これは、

「国際情勢がどのように変化しようとも、安定最優先方針は堅持し、そのために経済建設を強化しなければならない」

 というトウ小平の主張に基づくもの。

 保守派は当初、「安定」をタテに漸進的な改革を打ち出し、一方で「和平演変」(西側による平和攻勢)反対闘争によって思想統制強化を狙った。しかし国営企業の不振をはじめ深刻な問題を抱える経済状況、また動揺する民心を前に、改革の加速化や思想解放といった、思惑とは裏腹の譲歩を余儀なくされている。

 トウ小平の目的は秋以降に開かれる党大会で改革派優位の指導部人事を行うことにあり、異例の長期日程を組んだ今回の特区訪問と改革派の攻勢はこのための足場づくり。今後もこの勢いは強まるとみられるが、病気などの理由で姿を見せない保守派長老がどのような形で巻き返しを図るか、注目される。




 私は文化大革命が発動された1966年にはまだ生まれていません。毛沢東が死去して四人組が逮捕されたり、第11期三中全会改革開放政策の導入が決まったり、トウ小平が主導権奪回を果たした時期はまだ小学生から中学生になるころで、もちろんリアルタイムに事態を把握していません。

 大学生のときに発生した胡燿邦失脚(1987年)は大局に変化を与えませんでしたし、1989年の天安門事件のときは上海に留学中でしたが、権力闘争という面でみると中途半端であり、趙紫陽自身が前年夏のスーパーインフレの責を負って半ば干されている状態でしたから、流血の弾圧はショッキングであったものの、その失脚で大きな流れが変わったともいえません(趙紫陽グループの失脚で政治制度改革が流産したことはその後の中国に大きな影響を与えていますけど)。

 ですから、この1992年の政局大転換・改革再加速のようなパワフルな権力闘争をリアルタイムで眺めるという経験は、私にとってこれが最初であり、その後の中国政治にも類似例が発生していないことを考えると、香港メディアの強力な解説陣に囲まれつつ事態の推移を眺められたことを含め、実に幸運だったとしかいいようがありません。

 トウ小平は人生最後のこの権力闘争によって、持論である改革開放路線を「国是」として定着させることに成功します。

 天安門事件において自ら手を下し血しぶきを浴びることでバランサーからカリスマへと昇格としたトウ小平が、その地位をより確固たる揺るぎないものにしたのも、この権力闘争に拠るところが大きいと私は考えています。

 ……って話をまとめるにはまだ早いですね。トウ小平の人生最後の権力闘争は、この段階ではまだ緒についたばかりにすぎませんから。


【昔の観察日記10】へ)




コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )