日々是チナヲチ。
素人による中国観察。web上で集めたニュースに出鱈目な解釈を加えます。「中国は、ちょっとオシャレな北朝鮮 」(・∀・)





「上」の続き)


 たかが雑談を上下2本に分けてしまって申し訳ありません。実は現在なお一種の時差ボケ状態で、先週一週間の中国情勢を頭の中で十分煮込めていないのです。リハビリ中ということで御容赦して下さい。m(__)m

 ……ヲチというのはどんな分野でもそうでしょうけど、目を離さないというのが大原則です。毎日毎日、欠かすことなく目を注いでやらないといけません。

 私の場合は記事漁りとそれを頭に放り込むというのがそれに相当します。これは本当に苦しい作業なのですが、これをやらないとチナヲチ(中国観察の真似事)という娯楽に入れないので仕方ありません。いまは先週分の空白期を必死で埋めようとしているところです。これをやらないと今週の中国を語ることができません。

 ――――

 さて、二泊三日で東北に行く破目になった私は、先週水曜の午後に帰京して、とりあえず仮眠。そのあと積み重なってしまった仕事の山に取り組んで、土曜日までかかってようやくたまっていた分を消化することができました。

 で、ある種の達成感を味わいつつ一服していたときのことです。午前5時すぎ、突如「ぴゅいーん」と嫌な音がしたかと思うと、愛用しているパワブク(Macのノートパソコン・PowerBook)の画面が漆黒へと変じたのです。ああああああ……と、口にはしませんでしたが、心の中で叫ばざるを得ません。

 なにせ今春、配偶者にお下がりで使わせていた先代パワブク(PISMO)がオシャカになったばかりです。内蔵ハードディスクの問題なら初期化するなり中身を入れ替えるなど容易に手が打てるのですが、このときは一種の老衰で、本体の方がイカレでしまったのでどうしようもありませんでした。

 もし本体か駄目になっていたらどうしよう。……と戦々兢々たる心持ちで、あの手この手で試してみると、ハードディスクがやられただけで、幸い本体は無事でした。

 ノートブックに似つかわしくない繊細さと神経質な一面を持った私のパワブクを、メールやら記事漁りやらで東北まで連れていったのが間違いだったのかも知れません。ノート型とはいえ、実際には箸より重い物は持てない楚々とした深窓の令嬢といったところですから。

 本体が無事とわかって、私はやれやれと一息つきました。データもバックアップした後だったので損害はごくわずかです。内蔵ハードディスクも初期化すれば平常に復します。……ところがここで越後屋ならぬ常陸屋の悪巧み。配偶者(香港人)がこの方面に関して暗いのを幸いに、被害甚大・大破炎上だと大げさに言い立てて、

「残念だが方法は内蔵ハードディスクを買い替える以外にない」

 と沈痛な面持ちで語り、内蔵ハードディスク(容量倍増!)購入予算計上を勝ち取ることに成功しました。これでヘソクリに手を付けずに済む、という訳です(笑)。

 ――――

 ともあれ日曜の早朝。頑張って寝ずにいて秋葉原まで行ってきました。ここは拙宅からだと靖国神社に行くよりずっと近い場所にあるのですが、私は滅多に足を運ぶことがありません。原因はたぶん、ACG系(アニメ・コミック・ゲーム)に関連する仕事をしているとはいえ、私がその分野に興味がないのと、取引先が秋葉原にオフィスを構えていないこと、といったところでしょう。

 前回は配偶者のパワブク老衰死の一件のときですから、ずいぶん御無沙汰になります。あのときは常磐新線が開通して駅前の様子が一変していたので驚きました。

 11時すぎに現場到着。日曜日だからなのか、秋葉原の中で「アキバ」ともいえる一帯が歩行者天国になっていました。改めて実感させられましたが、「電車男」に登場するオタクというのは一種の様式美なんですね。まあ「美」と形容していいかどうかはともかく(笑)、本当にあのまんまの人たちがたくさんいるのに驚きました。

 噂の「メイド喫茶」というのもあちこちにありました。「萌バーガー」という店もあって面白かったです。いや、眺めている分には、ということで、さすがに私には入っていく勇気がありません。でも今月下旬に香港の仕事仲間がまとめて来日するので、たぶん連れて行かされることになるでしょう。

 連中はこと「アキバ」に関しては平均的日本人よりは地理と知識に通暁しています。香港にメイド喫茶がオープンするのも時間の問題だろう、とのことです。香港で売られている東京観光マップでも秋葉原は単に家電の街というだけでなく、「アキバ」として実に詳しく紹介されています。

 地元でのコスプレや同人誌の発行はアキバ系香港人には珍しくありませんし、アキバ系でなくても日本のACGは香港の若い世代に浸透しています。台湾はもちろん、中国本土も言わずもがなで海賊版まで出ている始末。

 それどころか中共などはゴールデンの時間帯での海外アニメ(事実上日本アニメ)放映を規制する有様ですからねえ。それが自国の関連産業を育成する上で逆効果にしかならないことに気付かないのですからお粗末なものです。

 普遍性、というべきなのでしょうか。日本のACGが「国」を越え「体制」を越え「民族」を越えて広く深く受容されていることに思いをはせずにはおれませんでした。

 ――――

 専門店にパワブクを預けて1時間ほど間が空きました。暑い上に寝ていないので喫茶店にでも入って時間を潰そうと考えながら歩いていたところ、万世橋近くの警察署の向かいに模型店があるのを発見、つい懐かしくなって立ち寄ってみました。

 警察署や消防署の真向かいというのは風水でいうと商売に最悪の場所なんだけど……と思いつつ店内に入ってみると、密かに私が期待していた「ウォーターラインシリーズ」は残念ながらありませんでした。

 同年代の方なら御存知かと思いますが、1/700スケールの軍艦のプラモデルシリーズ。私もご多分にもれず、小学生のころは自分の「日本海軍」を整備するのに熱中したものです。空母搭載機セットで日本や英米の艦載機4機種セットが100円で売られていたのも懐かしい思い出です。

 その代わり、実に素晴らしいものが売られているのを見つけました。室内専用のラジコン飛行機です。3m×3m以上の空間で飛ばせる超軽量機が2100円というお手頃価格で販売されていたので、ヒコーキが好きな私はそりゃもう狂喜して迷うことなく購入しました。

 私が子供のころにはこんな素晴らしいものはなかったので、週末になると近くの大きな川のだだっ広い河原でマニアの人がラジコン機を飛ばしているのを羨ましく眺めていました。

 いい時代になったなあ。……と思いつつ店を出ました。何だか誰かにこのヒコーキを自慢したい気持ちでいっぱいになっていましたが、パワブクがあるので帰宅する訳にもいきません(帰宅してから配偶者にこのラジコンの素晴らしさを説明したら、いい歳をして子供の顔をしていると笑われてしまいました)。

 ――――

 気が付いたら岩本町から都営新宿線に乗っていました。3つめの駅が九段下。靖国神社へ無性に行きたくなったのです。……というより私の場合、この気持ちをスッキリさせる場所は、都心においては他になかったのだと思います。

 袋からヒコーキの箱を取り出して自分の前において、参拝しました。もちろん御祭神に見せびらかすというつもりではありません。

「日本はこういうものを作れるようになりました。ありがとうございました。本当にありがとうございました」

 という一念です。思えば2004年に中国で開催されたサッカーアジアカップの際、中国人サポーターの唾棄すべきブーイングのなか、日本が決勝トーナメントをミラクルに勝ちあがっていったときも、日本代表が勝つたびに、その翌朝早くに私は靖国神社に参拝していました。

 戦勝祈願ではありません。明治維新を契機に近代化を達成して列強に伍するまでになり、その縄張り争いの挙げ句、首都東京が一面の焼け野原になった日本。その日本が見事に復興して、スポーツにおいても世界水準の実力を有するようになり、サッカーもアジアではトップクラスにまで成長した。それもこれも明治維新以来の先人たちのお蔭だと私は思うのです。

 ビルは破壊されることがあるでしょう。船なら沈むこともあるでしょう。でも、人は必ず残ります。世代から世代へ、人から人へと受け継がれていくもの、それは伝統であり技術であり道徳観や価値観といった民族の魂であったりするものですが、戦後日本においては、正にそれが復興の原動力になったのだと思います。

 散華された先人が生命を以てその受け渡し役を務めてくれたからこそ、いまの日本があり、いまの私たちがある、と私は考えるのです。私の「ありがとうございました」は、それに対する感謝の気持ちです。

 ……いや、文字にするとどうも堅苦しくなってしまっていけませんね。実際にはもっと気楽な気持ちで、身近な存在としていつもお参りしています。ただ他の神社と違って、願をかけるべき場所でないことは承知しています。

 ――――

 参拝が済めば例によって遊就館で零戦を眺めながら海軍コーヒーです。……とまあ、靖国神社にはそういうお目当てもあります(笑)。それから、夏は蝉時雨。配偶者を連れているときはこの蝉時雨を浴びつつ、

「いま何種類のセミが鳴いてる?」

 と毎回テストします。それでミンミンゼミだと盛夏を感じたり、ヒグラシだと夏も終わるなあ、といった気分になるのだ、などと日本人の季節感の一端も説明してやります。

 配偶者によれば、普段使う広東語においては「セミ」という単語1種類のみで、日本のようにセミごとに区別されて名前がついてはいないそうです。それほどセミに対しても、セミのかもし出す季節感に対しても香港人は疎遠だ、ということなのでしょう。

 ちなみに香港はセミの鳴く場所は多くないのですが、亜熱帯ですから4月からいきなりヒグラシです(笑)。たまたまセミの鳴く場所の近くに住んでいたときは、4月の朝7時からヒグラシのあの湿っぽい情緒を含んだ鳴き声を毎朝聞かされて、勤労意欲が溶けていくようで閉口したものです。

 日本人だからなのか、香港のように春夏秋冬がくっきりとしておらず、季節感がないとどうも息苦しくてかないません。都心でそれを手近に堪能できる、というのも靖国神社の魅力のひとつです。

 以前にも書きましたが、周囲に高層ビルがないため靖国神社から見上げる空は広いのです。私は冬の澄み切った、また冴え冴えとした青空が大好きです。香港や台湾から戻ってきてあの冬空を目にすると、これだよ、やっぱりこれだよ。……という気持ちになります。

 ――――

 さて、パワブクを引き取らねばならないので、秋葉原に戻らないといけません。何を勘違いしたのか、私は九段下からつい歩き通してしまいました。「おかしいぞ。なかなか着かないな」と思いつつようやくたどり着いたときには「水をくれ水」状態でした。歳なのに我ながらよく歩いたものです。

 雑談の余談として言うと、その途上、小川町のあたりで服装もメイクもコギャル系の高校生ぐらいの女の子に遭遇しました。反航砲雷戦……ではなく向こうから歩いてきたのですが、ふと立ち止まったかと思うと、ビルの壁際に歩み寄って、そこに転がっている空のペットボトルを拾い上げました。

 何をするのかなと眺めていると、自販機近くのゴミ箱まで歩いていってペットボトルを捨てたのです。ほぉーと私は思いました。人は見かけによらない、ということを再認識させられた次第です。

 私は「近頃の若い奴らは」と口にできる年齢に達しているのですが、この「近頃の若い奴らは」には常に徹頭徹尾、反対論者です。だって「近頃の若い奴ら」に育て上げたのはその親でありオトナ社会ですから。

 個人的には、若い世代ほどオトナに比べ確固たるもの、凛然としたものを感じている、日本の将来を託するに足る、という印象があるからでもあります。

 今年の花見どきの話ですが、遊就館の喫茶店で、とある家族連れのパパが礼を失した振る舞いをしていたので、私がそれをたしなめ、やんわりと説教したことがあります。

 まだ小学生ぐらいの子供の目の前で赤の他人に説教されたパパはよほど罰の悪い思いをしたのか退散してしまいましたが、要するにそういうオトナからは同じタイプの、他人に説教されるような人間しか再生産されません。

 ですから「近頃の若い奴らは」という話になると、私はいつも「まずその前に親の顔が見たいものだ」と切り返すことにしています。

 ――――

 以上、雑談ですから結語はありません。いま現在の私は内蔵ハードディスクを交換したついでにOSのバージョンアップを行っているので余計な仕事が増えて、さらに先週分のチナヲチのおさらいもあり、普段より時間的余裕がないのが残念無念。

 ヒコーキ、早く飛ばしてみたいものです。


コメント ( 5 ) | Trackback ( 0 )