日々是チナヲチ。
素人による中国観察。web上で集めたニュースに出鱈目な解釈を加えます。「中国は、ちょっとオシャレな北朝鮮 」(・∀・)





 まずは、丸々一週間の長きにわたり御無沙汰して申し訳ありませんでした。

 更新できなかったのはこの一週間、中国観察日記を書く(当ブログ)という娯楽を楽しむヒマがなかったためです。「こんなときにテレビゲームやってる場合か!」的状況が続いたといってもいいでしょう。

 ●親戚が他界したため忌引き3日。
 ●忌引きのシワ寄せが仕事に影響して超過密スケジュール。
 ●最後にはパワブクのハードディスクがあらえっさっさー。

 と前回のコメント欄でもお伝えしましたが、息つくヒマもなく予想外の出来事3連発で、中国に関しては記事を集めるのが精一杯。それを頭の中に放り込んでぐつぐつ煮込んで……なんてことまではさすがにできませんでした。

 いや、台風一過とタイトルには書きましたが、実際には東京同様に残暑厳しく、一過して秋らしくなったねえ、などとしみじみする余裕はいまなおありません。

 申し遅れましたが、今回はリハビリを兼ねた雑談です。

 ――――

 前回のエントリーをupして、香港朝刊各紙のニュースを拾い上げ「さあもう寝るとしよう」というその矢先です。実家からの電話で親戚の訃報を知らされて「お前も出ろ」ということに相成りました。

 まずは香港と台湾の仕事仲間に連絡です。

「ああおれ御家人。悪いけど忌引きで3日休むから」

「キビキ?……キビキって、なんですか?」

「辞書に出てるから、調べてごらん。……とりあえずそういうことで」

 という会話のあと準備を整え、正月には玄関に盛り塩をした配偶者(香港人)が塩をまいて私を送り出しました。それはちょっと違うぞ、逆だろそれは、と思ったのですが時間がないので構わず出立。

 ともあれ他の親戚も交えて在京者は上野駅公園口集合です。顔ぶれが揃って、東北新幹線で一路北上。

 ちなみに他界したのは父方の近しくもない親戚で、享年93ですので私が幼いころにはすでにお爺さん。可愛がってもらったらしいのですが私にはあまり記憶がありません。東北在住ということでその後の往来もほとんどありませんでしたし。

 ――――

 在来線に乗り換えて1時間ほどでようやく到着。田舎の極みともいうべき村落でして、まず無人駅。それから山からの湧き水が道の両側を流れていて、さすがに飲む人はいませんが洗濯などでいまも使われているとのこと。

 蛇口から出る水道水も同じ水源を使っていて、ポンプで湧き水を山の高い場所までくみ上げ、そこから高低差を利用した勢いで集落の各戸へ給水するという仕組みです。

 お盆など帰省者が集中する時期は給水制限が行われるとのこと。要するに一時的に人口が増えるので水が足りなくなるのです。当然ながらコンビニ?何それ?……というのはお約束でして、村落内の商店は万屋(よろず屋)が一軒あるきり。

 図式的にいうとその地方の主要河川に沿って位置する米作中心の50戸ばかりの農村で、背後には山が迫っています。

 ちなみその背後の山のひとつは当家が所有しているそうですが、このド田舎で一坪平均でいくらぐらいになるのか、ともあれ資産といえるほどのものでないことは確かです。たぶん私の副業である中文コラムの原稿料1カ月分で買える程度のものだと思います。

 ――――

 こういう集落ですから葬式も村を挙げての行事となりました。私も久しぶりにスーツ着用です。……とは、私は非常に気楽な業界で仕事をしているので、スーツなんてものは大手企業の決算報告会見や何とか記念パーティーを野次馬として見にいく以外は着る機会がないのです。

 さてそのお葬式。祭壇を組み上げ、和尚さんを呼んでお経を上げてもらう、というところまではフツーでした。

 ところがその地方の風習らしく、物故者の家族はみな白い三角の布を額に巻いた鉢巻き姿で神妙に並んで座っています。日本の幽霊でお決まりの、あのお岩さんのような白い三角の布です。これは反則技じゃないですか(笑)。不覚にも笑ってしまいそうになりました。

 正座で足の感覚がなくなってきたあたりで出棺ということになりました。お墓は集落の外れにあり、その一角にある物置きにしまい込んである道具を取り出して、それを親族の者に割り当ててお墓まで葬列を組みます。

 葬列!時代小説などに出てくる野辺送りといったところです。ただ道具には鳴り物などもあり、村人総出の行事ですから湿った寂しい雰囲気はなく、むしろ一種の明るさというか晴れやかさ、そして賑やかさを感じさせるものでした。

 私はといえば、何か無形文化財を鑑賞したような気分です。もちろん土葬。

 ――――

 しかし暑かったです。松本とか軽井沢といった長野の高原の涼しさをイメージしていたのですが、陸奥で東京より北海道の方が距離的に近いのに、都心とまるで変わらない暑さでした。こんなものなんですか?>>「きんぎんすなご」さん。

 打ち上げの飲み食いが始まると、夏の葬式は勘弁してほしいものだ、と皆が賑やかに話していました。そこは天寿を全うしての大往生なのでジメジメしていません。何といいますか、完走したマラソンランナーを讃えるような明るい空気が一座にありました。

 ただ「皆が賑やかに話していました」というのは父から聞いたもので、地元の方言で話されると私には全く意味がとれませんでした。北京語出身者にとっての広東語より距離があるというのが実感。その代わり、テレビがありますから私の話す言葉は皆には通じます。ただ会話をするとなると、通訳抜きには成立しません。

 帰る日の朝、試みに当家の所有とされる山にのぼってみたら、オニヤンマが飛んでいました。たかがトンボとはいえ、あのクラスは正面からスーッと向かってこられるとちょっと恐怖感がありますねえ。

 ともあれ、私にとってはまさに文字通りの別世界を二泊三日で体験して慌ただしく帰京しました。


「下」に続く)



コメント ( 9 ) | Trackback ( 0 )