身体や知的、精神に障害のある人が、地域で生きていくための支援拠点「えんぴつの家」(神戸市中央区南本町通5)が開設から30年を迎えた。泣いて、笑って、また泣いて、少しずつ活動を大きくした。現在は社会福祉法人としてパン工場やグループホームなど11事業所を運営する。毎月1回、計367号発行された「えんぴつの家だより」から、この30年間を振り返る。(木村信行)
■出発
〈わたしたちは、みんなと同じ学校へ行き、地域に生き抜きます!〉(1983年6月、号外)
えんぴつの家建設の募金を呼び掛けるビラの一文だ。発起人は、初代理事長となる故・玉本格さん。41年間の教員生活を養護学校長で終え、障害者と地域住民が共生する拠点づくりに奔走した。
当時は、施設ではなく地域で生きたいという障害者の願いと、養護学校ではなく普通学校に通わせたいという親や教員らの運動が呼応し、全国的なうねりになっていた。
玉本さんが退職金で購入した土地に85年、市民からの募金3千万円でビルを建てた。
「共生会館」にしようという案もあったが、「狭いところにすーっと伸びるんやから、えんぴつの家や」と声が上がり、名前が決まった。
1階にパン工場、2階は織物工房、3階は事務所と相談室。仲間が集う交流拠点になった。
一方で「働く場がない」「もっと地域で生きられる場を」-と切実な声も絶えなかった。
91年、自宅にこもりがちな障害者が通う「六甲デイケアセンター」(神戸市東灘区)を開設。さらに、男性の知的障害者4人が共同生活するグループホーム「たろう」(同市長田区)など4拠点を相次いで開設した。
■転機
〈今こそ、地域で共に生きるチャンスだ〉(1995年4月、127号)
阪神・淡路大震災で、神戸市長田区にあった「ライフデイケア」が全壊。えんぴつの家本部とほかの拠点は無事だったが、ライフの目前に火事が迫り、周辺家屋の大半が壊滅するなど、被災地のど真ん中で手探りの復旧活動が始まった。
ライフデイケアの利用者は垂水養護学校で144日間、避難生活を続けた。全国から駆け付けたボランティアの宿泊基地となったえんぴつの家本部には毎日十数人が寝泊まりし、地域で暮らす障害者の安否確認に奔走。その後、「被災地障害者センター」が結成され、被災地で暮らす障害者700人以上の個別訪問と生活支援を引き継いだ。
■連携
〈グループホームは「施設」ではなく「家」です〉(2011年10月、317号)
震災で痛感したのは、「いざというとき、支えになるのは近所付き合い」という思いだった。
2000年、廃校された吾妻小の旧校舎を利用した「神戸市立自立センターあずま」(同市中央区)の運営を市から受託。さらに、「小学校区ごとに障害者の拠点1カ所」を目標に掲げ、ほかの団体とも連携してグループホームの立ち上げに取り組んだ。自立生活をする障害者を支援するヘルパー派遣事業にも乗り出した。
現在、えんぴつの家は11事業所を運営。延べ107人の障害者が利用している。相談も受け付ける。えんぴつの家TEL078・252・0109


30周年を迎えた「えんぴつの家」
2015/12/28 神戸新聞