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ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

【出所後の知的障害者支援の現状は?】足りぬ理解

2009年08月01日 01時15分50秒 | 障害者の自立
再犯への不安 受け入れ難色

 路面電車やJRが行き交う長崎市の中心部。その一角のビル内に、全国に先駆けて1月に開設された「長崎県地域生活定着支援センター」がある。

 センターは、犯罪を繰り返す知的障害者を福祉へと橋渡しするのが役割だ。刑務所や保護観察所から依頼を受け、出所後に必要な福祉サービスを整える。国は本年度中にすべての刑務所に社会福祉士を配置し、都道府県ごとに設置されるセンターと連動させる計画だ。

 長崎県のセンターは、社会福祉法人「南高愛隣会」(雲仙市)が県の委託を受けて運営している。7月中旬までに支援を手がけたのは16人。ただ、同会以外の福祉施設へ橋渡しできたのは1人だけだ。センター相談員の伊豆丸剛史さん(33)は「恵まれない境遇から罪を犯さざるを得なかったのに、犯罪者だからと不安を抱かれてしまう。受け入れてくれる福祉事業者を探すのは難しい」と話す。

 福祉サービス受給の手続きをすべて終え、受け入れ先も決定したが、最終的に頓挫したケースがある。母と精神障害の兄と3人暮らしで、生活苦から盗みを繰り返し、佐賀県の刑務所にいた中度の知的障害のある女性(39)。故郷の熊本県に戻りたいと希望し、同県内の社会福祉法人がいったんは受諾した。

 しかし、出所直前になって施設側が難色を示した。女性は、保護観察所の監督下に置かれない満期出所。仮出所なら問題行動を起こした際、刑務所への再収監もあるが、満期ではその法的強制力はなく「リスクが大きい」と判断されたという。結局、女性は行き先が宙に浮いたまま刑期満了を迎え、5月に南高愛隣会の施設に入った。

国、費用後押し 施設側の意識改革急務

 国も刑務所を出る知的障害者の受け皿確保には力を入れている。4月から、センターを通じて知的障害者を受け入れた福祉施設に、障害者自立支援法に基づく報酬を1人当たり日額で最高6700円上乗せする「地域生活移行個別支援特別加算」を新設した。費用面での後押しと言えるが、それでも「刑務所帰り」を理由に協力を渋る福祉事業者はいる。意識の改革が進まなければ、センター誕生の意義は薄れかねない。

 センターの機能もまだ完全には発揮されていない。満期出所の直前に支援依頼が飛び込んでくることも少なくないといい、「もっと早ければ、スムーズに福祉に乗せられるのだが…」と、伊豆丸さんは残念がる。

 住民票設定などを行う市町村との連絡調整、療育手帳取得などの事務手続き…。出所後すぐに福祉につなげるためには、これらを受刑中に行わなければならない。必要な期間は最低でも6カ月という。しかし、送り出す側の刑務所、保護観察所にこうした仕組みは十分浸透していないのだ。

 これまでセンターが支援に動いた人のうち、2人が必要な手続きが整わないうちに刑期満了になった。さらに4人が間に合わないことがほぼ確定している。

 長崎の場合、居住先が見つかるまで南高愛隣会の施設で一時的に保護するが、こうした「シェルター」がない地域では、適切な支援ができるか、不安は尽きない。

<受刑前に“福祉の手” 札幌>
支援事業所・弁護士連携 事務手続き、受け皿確保

 犯罪を繰り返す知的障害者に福祉の手が届くようにするためには、刑務所に収監される前の取り組みが重要だと、手探りながらも活動を始めている人たちが札幌市内の福祉関係者や弁護士にいる。いち早い対応。それは、裁判所で公判が行われている時から始まるケースもある。

 「自由はいい。もう塀の中には戻りたくない」。27日、厚別区の障がい者相談支援事業所「ますとびぃー」で、出所したばかりの男性(71)が笑った。前科28犯。窃盗と強制わいせつで服役回数は17回、刑務所生活は30年を超える。この日、過去の出所と違って、道北の福祉施設から迎えが来ていた。それは、公判中の「約束」があったからだ。

 男性は札幌市内で運動靴などを盗んだ疑いで逮捕され、昨年4月に起訴された。「犯行の動機が説明できない。何かがおかしい」。国選でついた札幌の弁護士の岸田貴志さん(41)が疑問を感じた。これまでも、現金を所持したまま盗みを働いてはその場で捕まった。強制わいせつ事件でも、女性だけでなく中学生の男児にも抱きつくなど首をかしげたくなる行動が目立った。

 同事業所の相談支援専門員の小関あつ子さん(57)に面会に同席してもらい、男性に中度の知的障害があると分かった。公判では小関さんが情状証人に立った。「出所後は必ず福祉につなげます」。求刑は懲役2年。支援による更生に期待が込められ、判決は懲役1年2カ月に減らされた。岸田さんは言う。「もっと早く弁護士が福祉との接点をつくっていれば、人生の半分近くを刑務所で過ごすことはなかったんじゃないか」

 男性は出所前の6月、療育手帳を取得した。受刑者が手帳を取得したのは道内では初。これが実現したのも、公判中からの支援があったからだ。「このケースを突破口に、もっと多くの人を救えれば」。手続きを代行した小関さんは力を込めた。

 男性は小中学校にほとんど通わず、読み書きができないため、人間関係をうまく築けなかった。土木作業員を10年前に辞め、生活保護を受けたが、罪を犯して出所後に橋の下で生活する日々も送った。「これからは受刑中に覚えた農作業に精を出す。趣味の釣りにも行きたい」。男性はようやく穏やかな生活を手に入れようとしている。

 国もいち早い公的な支援を模索している。6月、厚生労働省は南高愛隣会の活動を中心とした「触法・被疑者となった高齢・障害者への支援の研究」を始めた。

 地域生活定着支援センターが刑務所出所後の知的障害者を支援するのに対し、起訴猶予処分や執行猶予付き判決を得て刑務所行きを回避した障害者を福祉につなげる仕組みづくりで、3年後には実現する計画だ。(宇佐美裕次)

<長崎の社会福祉法人「南高愛隣会」田島理事長に聞く>
福祉につなぐ早期体制必要

 社会福祉法人「南高愛隣会」の田島良昭理事長に地域生活定着支援センター設立の経緯や意義などを聞いた。




 かつて知的障害者は一度入所施設に入ると、一生出ることができなかった。無期懲役でも30年ほどで仮出所があるのに、とても福祉とは言えないものだった。世間と隔離されていたため、障害者の問題はだれにも注目されなかったのです。

 センター設立に向けて研究が始まった時、ある専門家に言われました。「罪を犯した知的障害者がいることはタブーなんだ」と。障害者は危ないとの偏見に拍車がかかることへの懸念です。しかし、研究は大きなうねりとなって国会でも関心が広がりました。

 障害者は一般社会では著しく適応能力が劣っていても、刑務所では模範囚になれる。私語は禁止で職員には絶対服従しなければならないが、障害者は言われたことはやるので、適応しやすいのです。福祉関係者として、刑務所が福祉の安全網になっていた現実に驚き、恥ずかしかった。

 刑務所を出た障害者を救う懸け橋は、か細いつり橋のようなものですが、整いました。ただ、実刑になってしまう前に、何度も罪を犯している人は多い。刑務所に足を踏み入れてしまう前に、こうした人を早く福祉につなぐ必要があります。

出所後の知的障害者支援の現状は?】

2009年08月01日 01時12分28秒 | 障害者の自立
福祉と無縁 社会と断絶

 「累犯障害者」。生活苦や社会に適応できないなどの理由で犯罪を繰り返す知的障害者のことだ。大半の人に福祉の手は届かず、刑務所が福祉施設の代わりになってしまうことがある。出所後、頼る家族もなく、孤立を深め、再び犯罪に走る負の連鎖。国はそうした人たちの社会復帰支援の体制づくりに着手したが、それは、まだほんの第一歩だ。支援のモデル事業に3年前から取り組む長崎県の施設を訪ね、行き場のない知的障害者の現実を取材した。(宇佐美裕次)

 「3度のご飯を食べられる。くよくよしなくていいし、不安はなくなった」。長崎県雲仙市の社会福祉法人「南高(なんこう)愛隣会」の施設。中度の知的障害がある女性(59)が笑顔を見せた。

 6畳ほどの自室には、テレビやちゃぶ台、ぬいぐるみ。施設は雲仙岳の山すそにあり、窓の下には有明海が見渡せる。夜はあたたかい布団で寝られる。「ここに来られてよかった」。質素ながらも「普通の生活」を過ごす女性は言った。だが、それを手に入れたのは、4回目の刑務所生活の後だった。

長崎などにセンター 救いの手、ようやく

 知的障害者の再犯をどう防ぐか。この問題に国が制度をつくって動きだしたのはこの7月からだ。

 中心となるのは、各都道府県が設置する「地域生活定着支援センター」。具体的な役割は、出所した知的障害者の福祉施設へのあっせんや手続きの代行、福祉サービスの手配など。相談員が施設や刑務所、保護観察所と連携して知的障害者を支える。設置した都道府県には、国が年間運営費の1700万円を補助する。

 長崎県では2006年度から南高愛隣会が中心となりモデル事業を開始。女性は支援対象者の1人で、07年5月に受け入れられた。

 女性が初めて刑務所に入ったのは47歳の時。路上生活者だった。コンビニエンスストアなどの商店で賞味期限切れの弁当やパンの耳をもらい食いつないだ。路上での暮らしには危険がつきまとう。女性と気付かれないよう、男性の格好をしていた。

 雨の日は雑居ビルの軒先で一夜を明かす。「食べ物がなくて大変だった。3日間は水だけで我慢できる。でも、4日目になると、どうしても手が出てしまった」。拾った預金通帳から現金を引き出そうとして捕まった。刑に服した後も、暖をとるため、ごみや他人の車庫に放火するなど、罪を重ねた。

身内からも見放され

 転落のきっかけは離婚だ。故郷の大分県で中学を卒業後、大阪で就職。パチンコ店や旅館で働き、22歳で結婚した。しかし、朝まで酒を飲み、ゲームセンターで遊び明かす日々を送った。「帰宅しても夫は出勤後だし、愛想つかされてしまった」。大分県に戻ったが、身内には受け入れてもらえず、住む家もなかった。

 女性の知能指数(IQ)は41。知的障害の目安とされるIQ69以下だが、会話の受け答えはでき、障害に気付く人は少ない。女性自身、支援対象者に選ばれて、初めて自分の障害を知った。本来、受けることができた福祉サービスを素通りし、何度も罪を犯しては刑務所に入り、社会から断絶した。こうした負のスパイラルから抜け出せない人は少なくない。

 法務省の矯正統計年報によると、07年度の新受刑者は3万450人。このうちIQ69以下は6720人。さらに知能が低いなどの「テスト不能」者も1605人いた。刑務所に入る4人に1人が知的障害の可能性がある計算だ。

 厚生労働省が06年、知的障害かその疑いのある全国15刑務所の受刑者410人を対象に行った調査では、福祉サービスを受けるのに必要な「療育手帳」を所持していたのは、26人(6%)しかいなかった。

 一方、このうちの7割に当たる再犯者の平均服役回数は6.75回。前回の出所時に仮釈放が認められたのは20%で、全出所者では50%超が仮釈放されているのと比較すると少ない。仮釈放は身元引受先があるのが条件だが、服役中の知的障害者の大半は身寄りがなく、福祉と無縁の人生を送っている実態が浮かぶ。厚労省は「刑罰を科すだけではなく、福祉で立ち直れる人は多い」とみる。

 ただ、福祉への橋渡し役として期待されている定着支援センターの開設は進んでいない。国は09年度中の設置を求めているが、「ノウハウがない」などの理由で動きは鈍く、7月までに設置したのは長崎県のほか、山口県と静岡県だけ。ほかに6府県が補助申請をしているが、まだ開設されていない。

 道内でも設置場所、時期ともに決まっていないのが現状だ。道内には保護観察所が4カ所、刑務所は6カ所ある。国は各都道府県に1カ所のセンター設置を示しているが、道の担当者はこう言う。

 「面積が広い道内で1カ所で対応できるのか課題もある。地域事情を考え、運用できる体制を検討中だ」(福祉援護課)

 出所後の知的障害者に社会が手を差し伸べる具体的な取り組み。道内では、まだ見えてこない。




社会福祉法人「南高愛隣会」 1977年、長崎県雲仙市に設立。同県内を中心に、知的障害者の生活訓練や職業訓練の施設のほか、グループホームなど約50事業所を運営し、約1500人が利用している。刑務所を出た知的障害者の社会復帰にも力を入れ、地域生活定着支援センター設立に向けた厚生労働省の研究班「罪を犯した障がい者の地域生活支援に関する研究」(2006~08年度)で、同法人の田島良昭理事長が研究代表者を務め、モデル事業で計8人の出所者を受け入れた。

視覚障害者介助、児童学ぶ…兵庫・淡路

2009年08月01日 01時10分57秒 | 障害者の自立
 視覚障害を持つ人への理解を深めようと、淡路市立野島小学校の子どもたちが29日、同市志筑新島の淡路サティなどでアイマスクをつけるなどして行動の不自由さを体験、介助の方法などを学んだ。

 同市教委が各小学校で進める人権学習の一環で、4~6年生12人が参加。子どもたちは障害者役と介助者役で2人一組になり、障害者役がアイマスクとつえを持ち、店内や周辺を歩いて回った。途中、エスカレーターやエレベーターに乗り、講師の市社会福祉協議会職員から、「足を乗せるときの合図を」「周囲の状況をもっと説明してあげて」などとアドバイスを受けた。介助者役を体験した5年生の池田稜さん(11)は「学校でやった時よりも疲れた。もっと声をかけてあげるようにしたい」と話していた。


障害者権利条約に署名 米政府

2009年08月01日 01時07分51秒 | 障害者の自立
 米国の国連代表部は30日、米政府が全世界の約6億5千万人の障害者に雇用などで健常者と同等の権利を保障する障害者権利条約に署名したと発表した。ブッシュ前政権は同条約が国内法の効力を弱めるなどとして署名を拒んでいた。

 同日、国連本部で行われた式典でスーザン・ライス米国連大使は「障害者は雇用、教育で依然差別を受けている」と述べ、署名が差別解消の契機となることに期待を示した。オバマ大統領が近く上院で批准手続きに入るという。

 同条約は2006年12月の国連総会で採択され、昨年5月に発効した。署名国は米国を含めて142で、批准国は61。日本は07年9月に署名しているが未批准。(

足りぬ障害者用住宅 行政の支援急務

2009年08月01日 01時05分51秒 | 障害者の自立
 障害者自立支援法の施行に伴い、別府市内で障害者の住宅問題がクローズアップされている。多くの障害者が2011年度末までに入所している施設を出なければならなくなるためだ。設備の整った住宅は少なく、金銭的な負担も大きいため、「行政による支援が急務」と訴えている。

 「福祉のまちと聞いていたが、住宅探しがこんなに難しいとは…」。宮崎県出身の池田泰允(ひろのぶ)さん(23)は19歳の時、遊泳中の事故で頸髄(けいずい)を損傷。別府市内の自立訓練施設で暮らしていたが、今春、2年半の入所期限を迎えた。
 「家族の介護負担を考えると自宅に戻れない」と一人暮らしを決めた。不動産業者から40軒ほどの情報をもらったが、建物入り口などの段差がネックとなり、改修しても車いすで暮らせる所はなかった。
 結局、障害のあるオーナーを見つけだして市内のマンションの一室を借り、県と市の住宅改造費(40万円)と親の支援でトイレや浴室を改修中。「社会の理解はまだ足りない」と痛感した。
 施設を出ていく人は、市内で数百人になるとみられる。障害者に住宅情報を提供する市内のNPO法人「自立支援センターおおいた」の河野龍児さん(40)は「高齢化も進む中、バリアフリー住宅の需要は今後、確実に高まるだろう」と指摘する。だが、市内ではバリアフリー住宅はまだ少ないのが現状。障害者用の市営住宅は23戸しかない。
 家賃の問題もある。市障害者自立支援協議会が実施したアンケートでは、回答者の約8割が支払い可能な金額は「2万―3万5千円」と答えた。「バリアフリーの住宅は高額で、この金額では見つからない」(河野さん)という。
 障害者が地域で暮らしていくためには、地域で孤立しないためのネットワークづくり、災害時や急病時の支援態勢なども課題。同協議会の田川収一会長(57)は「障害者の自立に行政が追い付いていない。法のすき間にある課題を全市的な取り組みとして考えていきたい」と話している。