三河に砥鹿(とが)神社があり、三河国一宮でした。
ビックリする名前です。
http://dictionary.goo.ne.jp/jn/157483/meaning/m0u/
とが【×咎/▽科】
1 人から責められたり非難されたりするような行為。あやまち。しくじり。「失敗は彼の―ではない」
2 罰されるべき行為。罪。「盗みの―で捕らえられる」
3 非難されるような欠点。
いろは歌に「とがなくてしす」が隠されているという説は有名です。
砥鹿神社の「砥鹿・とが」は、この「咎」であろう考えましたが、
砥鹿神社のホームページではそんなことは書いてありませんでした。
http://www.togajinja.or.jp/index.html
http://www.togajinja.or.jp/satomiya_rekishi.html
《「但馬続風土記」によれば、神代大己貴命は国土を開拓し、諸国を巡幸されて 但馬国朝来郡赤淵宮にお移りになって、更に東方三河国に向かわれたとあり、社伝にはその後命は「本茂山(ほのしげやま)」(本宮山)に留まって、この山を永く神霊を止め置く所「止所(とが)の地」とされたとある。》
しかし、「咎・科」といっても、もちろん、「科を祓う」とか「科を滅する」とか「科を抜く」とかいう意味に違いありません。そして、切実なために「祓う」とはつけられなかったのでしょう。
(巣鴨のとげぬき地蔵の「とげ」は、もともとは「とが」からきたものかもしれません。「とがぬき」ではいいにくいのでは・・。「と」から「が」に移る時は口を大きく開けなければなりません。そして「ぬ」に移る時はまた口をすぼめます。こういう時日本語は「が」の発音の時に、それほど口を開けないようにします。すると「が」が不鮮明になり、「げ」と聞こえてしまったのではないでしょうか)
さて、この砥鹿神社は
『大宝年中(701年~704年)鎮座』とあります。
これは、持統上皇の三河行幸の時が含まれています。
『里宮本社には、大己貴命(おおなむちのみこと)をお祀りする』そうです。
大己貴命の『己』は蛇の姿を表し、蛇神・卑弥呼を表現していると考えています。
さて「砥鹿神社」と同じようなことを「志都美神社」で考えたことがありました。
「志都美神社」は「死・罪」ではないかとしました。
http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/6802f21dc5d41ca0b574b4a0f2d3ee4c
武烈天皇陵・志都美神社と平城宮、藤原宮の位置関係2011年05月13日
http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/d8428daf927bdf10acfbc3b7d250bb71
武烈天皇陵(志都美神社)、藤ノ木古墳、崇峻天皇陵の位置関係
2011年05月14日
志都美神社(しつみのじんじゃ)
北緯34度33分36.98秒 東経135度41分47.77秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=343336.98&l=1354147.77
砥鹿神社
34°50'51.64"N,137°25'16.34"E
北緯34度50分51.64秒 東経137度25分16.34秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=345051.647&l=1372516.34
伊吹山
北緯35度25分05.88秒 東経136度24分21.01秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=352505.88&l=1362421.01
⊿砥鹿神社-伊吹山-志都美神社
伊吹山→砥鹿神社
Ⅰ124°04′57.86″ Ⅱ304°40′01.47″ Ⅲ112,121.834(m)
伊吹山→志都美神社
Ⅰ214°25′46.11″ Ⅱ34°01′21.96″ Ⅲ115,125.451(m)
砥鹿神社→志都美神社
Ⅰ259°04′59.38″ Ⅱ78°06′04.42″ Ⅲ161,183.241(m)
伊吹山での角度
214°25′46.11″-124°04′57.86″=90°20′48.25”≒90.3467度
志都美神社での角度
78°06′04.42″-34°01′21.96″=44°04′42.46”≒44.0785度
砥鹿神社での角度
304°40′01.47″-259°04′59.38″=45°35′02.09”≒45.5839度
直角二等辺三角形に近い。ちょっと距離の違いが大きいようですが、・・。
⊿伊吹山-志都美神社-砥鹿神社は、以前やっている
⊿伊吹山-道成寺-熱田神宮の一部のようなものでした。
ただし、この場合、熱田神宮は伊吹山-砥鹿神社の線上とは少しずれています。
砥鹿神社→熱田神宮の延長線上は伊吹山山頂から少しずれます。
そこも伊吹山の範囲内ですから、その地点で検討した方が、
⊿伊吹山-砥鹿神社-志都美神社は、もっと直角二等辺三角形に近くなりそうです。
(次回試します)
伊吹山-道成寺の線上には薬師寺もありますし、志都美神社の代わりに武烈王陵でも良さそうです。
薬師寺は天武天皇が持統(鸕野讃良・うののさらら)の病気平癒を願って創られたものですし大津皇子坐像もあります。
また、私の考えでは、武烈天皇には文武天皇が投影されています。
もともとは、法隆寺(藤ノ木古墳も含めて)は文武天皇慰霊のためのものです。
三河に砥鹿神社があればすべてがつながるのかもしれません。
ビックリする名前です。
http://dictionary.goo.ne.jp/jn/157483/meaning/m0u/
とが【×咎/▽科】
1 人から責められたり非難されたりするような行為。あやまち。しくじり。「失敗は彼の―ではない」
2 罰されるべき行為。罪。「盗みの―で捕らえられる」
3 非難されるような欠点。
いろは歌に「とがなくてしす」が隠されているという説は有名です。
砥鹿神社の「砥鹿・とが」は、この「咎」であろう考えましたが、
砥鹿神社のホームページではそんなことは書いてありませんでした。
http://www.togajinja.or.jp/index.html
http://www.togajinja.or.jp/satomiya_rekishi.html
《「但馬続風土記」によれば、神代大己貴命は国土を開拓し、諸国を巡幸されて 但馬国朝来郡赤淵宮にお移りになって、更に東方三河国に向かわれたとあり、社伝にはその後命は「本茂山(ほのしげやま)」(本宮山)に留まって、この山を永く神霊を止め置く所「止所(とが)の地」とされたとある。》
しかし、「咎・科」といっても、もちろん、「科を祓う」とか「科を滅する」とか「科を抜く」とかいう意味に違いありません。そして、切実なために「祓う」とはつけられなかったのでしょう。
(巣鴨のとげぬき地蔵の「とげ」は、もともとは「とが」からきたものかもしれません。「とがぬき」ではいいにくいのでは・・。「と」から「が」に移る時は口を大きく開けなければなりません。そして「ぬ」に移る時はまた口をすぼめます。こういう時日本語は「が」の発音の時に、それほど口を開けないようにします。すると「が」が不鮮明になり、「げ」と聞こえてしまったのではないでしょうか)
さて、この砥鹿神社は
『大宝年中(701年~704年)鎮座』とあります。
これは、持統上皇の三河行幸の時が含まれています。
『里宮本社には、大己貴命(おおなむちのみこと)をお祀りする』そうです。
大己貴命の『己』は蛇の姿を表し、蛇神・卑弥呼を表現していると考えています。
さて「砥鹿神社」と同じようなことを「志都美神社」で考えたことがありました。
「志都美神社」は「死・罪」ではないかとしました。
http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/6802f21dc5d41ca0b574b4a0f2d3ee4c
武烈天皇陵・志都美神社と平城宮、藤原宮の位置関係2011年05月13日
http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/d8428daf927bdf10acfbc3b7d250bb71
武烈天皇陵(志都美神社)、藤ノ木古墳、崇峻天皇陵の位置関係
2011年05月14日
志都美神社(しつみのじんじゃ)
北緯34度33分36.98秒 東経135度41分47.77秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=343336.98&l=1354147.77
砥鹿神社
34°50'51.64"N,137°25'16.34"E
北緯34度50分51.64秒 東経137度25分16.34秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=345051.647&l=1372516.34
伊吹山
北緯35度25分05.88秒 東経136度24分21.01秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=352505.88&l=1362421.01
⊿砥鹿神社-伊吹山-志都美神社
伊吹山→砥鹿神社
Ⅰ124°04′57.86″ Ⅱ304°40′01.47″ Ⅲ112,121.834(m)
伊吹山→志都美神社
Ⅰ214°25′46.11″ Ⅱ34°01′21.96″ Ⅲ115,125.451(m)
砥鹿神社→志都美神社
Ⅰ259°04′59.38″ Ⅱ78°06′04.42″ Ⅲ161,183.241(m)
伊吹山での角度
214°25′46.11″-124°04′57.86″=90°20′48.25”≒90.3467度
志都美神社での角度
78°06′04.42″-34°01′21.96″=44°04′42.46”≒44.0785度
砥鹿神社での角度
304°40′01.47″-259°04′59.38″=45°35′02.09”≒45.5839度
直角二等辺三角形に近い。ちょっと距離の違いが大きいようですが、・・。
⊿伊吹山-志都美神社-砥鹿神社は、以前やっている
⊿伊吹山-道成寺-熱田神宮の一部のようなものでした。
ただし、この場合、熱田神宮は伊吹山-砥鹿神社の線上とは少しずれています。
砥鹿神社→熱田神宮の延長線上は伊吹山山頂から少しずれます。
そこも伊吹山の範囲内ですから、その地点で検討した方が、
⊿伊吹山-砥鹿神社-志都美神社は、もっと直角二等辺三角形に近くなりそうです。
(次回試します)
伊吹山-道成寺の線上には薬師寺もありますし、志都美神社の代わりに武烈王陵でも良さそうです。
薬師寺は天武天皇が持統(鸕野讃良・うののさらら)の病気平癒を願って創られたものですし大津皇子坐像もあります。
また、私の考えでは、武烈天皇には文武天皇が投影されています。
もともとは、法隆寺(藤ノ木古墳も含めて)は文武天皇慰霊のためのものです。
三河に砥鹿神社があればすべてがつながるのかもしれません。