以前、黒髪神社は不比等の墓ではないか、と書いたことがあります。
http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/842c60d63d11a15920c627cc55bc4f01
道成寺の位置と宮子伝説① 2006年03月24日
ブログのアクセス解析を見ますと、それほど多いわけではありませんが、そこのところを読まれている方もおられるようで、気になってしまいました。
現在は、不比等の墓は大山守命墓だと考えています。
また、黒髪神社としたのは黒髪山稲荷神社(黒髪山神社とも)だったようです。
(実はパソコンを変えただけでなく、iPhoneも機種変更しましたので、さらに混乱を増していまして、お茶濁しの投稿で済まそうと考えました。)
http://www.naraliving.com/sneaker/nara_03.html
本殿の横にこの神社の社史があり、黒髪山の名前の由来についても書いてあった。垂仁天皇の皇后狭穂姫は、兄の狭穂彦王が謀反を起こした時に兄の陣営で皇子を産んだ。皇子を天皇方に渡そうとするが、その時に捕まらないよう黒髪を切った。そしてその黒髪を埋めた地がこの「黒髪山」であるという。
垂仁天皇陵についてもやったことがありました。
≪元正天皇陵-大山守命墓-平城京・朱雀門-垂仁天皇陵はほぼ一直線です≫
しかし、黒髪から宮子も思いついており、黒髪山稲荷神社を宮子の縁ではないかと考えました。それで、不比等の墓がここ黒髪山稲荷神社ではないかと考えたのです。
公式的には、聖武天皇は文武天皇と藤原宮子の間の皇子とされています。
そして、宮子は藤原不比等の養女ということになっています。
しかし、宮子は実在しないと考えました。
それでも、聖武天皇の生母は存在します。
それを、氷高皇女(ひだかのひめみこ・元正天皇)としました。
ただし、何度も書いているように天智天皇も宮子も実在しません。
ですから、氷高皇女は元明天皇〈阿閇皇女(あへのひめみこ)〉の娘ですが、
阿閇皇女は天智天皇の皇女ではなく、阿部氏の娘だったと考えています。
(氷高皇女は草壁皇子と阿閇皇女とされていますが、草壁皇子とは高市皇子のことで、高市皇子が阿部氏の娘(阿閇皇女)を娶って生んだのが、氷高皇女と文武天皇(軽皇子)と吉備内親王と考えています。)
何度も繰り返しているので申し訳ありません。
で、藤原不比等は田辺氏に養育されたといわれています。田辺不比等と書いてあったのも見た気がします。
そこで、田辺ですがTANABEとなり、ABEが含まれています。
田辺氏は阿部氏の一族ではないかと思われます。
すると、幼少期から不比等と阿閇皇女(皇女ではありません)は近くで育ったのではないでしょうか。(近くにはいなかったとしても顔見知りだったはず)
≪源氏(不比等)は藤壺(阿閇皇女)と若紫(氷高皇女)とも関係を持ちます≫
田辺市と日高郡は写真の通りです。(田辺市は日高郡から分離した新しい市なのかなぁ。昔から無いと困ります。)

なお、以前やったようですが、
≪元正天皇陵-大山守命墓-平城京・朱雀門-垂仁天皇陵はほぼ一直線です。
また、この直線と元正天皇陵-東大寺大仏殿は直角になります。
元正天皇陵-東大寺大仏殿-平城京・朱雀門と垂仁天皇陵2011年09月18日
http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/5b343cab95a201b38702d3ef969e277b
また、大山守命墓-聖武天皇陵-東大寺大仏殿も一直線になります。
また、⊿大山守命墓-聖武天皇陵-元明天皇陵は二等辺三角形になります。
http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/cd8635f676418a580c4edc2d3c8da33f
日高=氷高ではないか 2012年12月12日

黒髪山稲荷神社→大山守命墓
Ⅰ255°26′01.32″ Ⅱ75°25′40.26″ Ⅲ972.665(m)
黒髪山稲荷神社→聖武天皇陵
Ⅰ159°06′28.59″ Ⅱ339°06′36.41″ Ⅲ979.943(m)
大山守命墓→聖武天皇陵
Ⅰ117°27′22.17″ Ⅱ297°27′51.04″ Ⅲ1,454.787(m)
黒髪山稲荷神社での角度
255°26′01.32″-159°06′28.59″=96°19′32.73”≒96.3258度
大山守命墓での角度
117°27′22.17″-75°25′40.26″=42°01’41.91”≒42.0283度
聖武天皇陵での角度
339°06′36.41″-297°27′51.04″=41°38’45.37”≒41.6459度
7mの違いがありますが、地点の取り方によっては、黒髪山稲荷神社から大山守命墓、聖武天皇陵への距離は同一でしょう。
ということで、やはり大山守命墓は不比等の墓ではないかと・・。
⊿元明天皇陵-大山守命墓-聖武天皇陵
元明天皇陵→大山守命墓
Ⅰ245°44′31.29″ Ⅱ65°44′02.22″ Ⅲ1,425.614(m)
元明天皇陵→聖武天皇陵
Ⅰ180°24′22.16″ Ⅱ0°24′21.96″ Ⅲ1,256.679(m)
大山守命墓→聖武天皇陵
Ⅰ117°27′22.17″ Ⅱ297°27′51.04″ Ⅲ1,454.787(m)
大山守命墓での角度
117°27′22.17″-65°44′02.22″=51°43′19.95”≒51.7222度
聖武天皇陵での角度
360°-297°27′51.04″+0°24′21.96″=62°56’30.92”≒62.9419度
元明天皇陵での角度
245°44′31.29″-180°24′22.16″=65°20’09.13”≒65.3359度
30m弱しか違わないのですが、角度は2.4度違っています。
まぁ、これもポイントの取り方によっては一致するところがあるでしょう。
しかし、肝心の⊿元正天皇陵-大山守命墓-聖武天皇陵が中途半端なのが残念です。
この三つは親子をあらわすはずなんですが、何ともぴったり行きません。
(前もここで困ったんだったけな。)
苦しまぎれに、高松塚古墳から元正天皇陵に線を引きました。

高松塚古墳の被葬者・高市天皇は氷高皇女の父のはずです。
すると、線上に黒髪山稲荷神社がのりました

そして高松塚古墳-元正天皇陵の直線と大山守命墓-聖武天皇陵-東大寺大仏殿の交点は鴻ノ池の西側になります。

そこは法蓮佐保山一丁目です。


⊿元正天皇陵-大山守命墓-交点は二等辺三角形になりそうですし、
⊿黒髪山稲荷神社-大山守命墓-交点も二等辺三角形のようです。(多少違い)
妄想ですが、ここに、氷高皇女・藤原不比等・首皇子(聖武天皇)の関係をうかがわせる何かがあったんではないでしょうか。
場所が違っていますが、近くに 藤原不比等顕彰碑があるようです。
http://blog.livedoor.jp/ijinroku/tag/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E4%B8%8D%E6%AF%94%E7%AD%89
藤原不比等顕彰碑(鴻ノ池運動公園・奈良県奈良市法蓮佐保山4-1516-1)
藤原不比等の墓がこの辺りにあったという説がある。
黒髪山稲荷神社
北緯34度42分6.43秒 東経135度49分33.01秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=344206.43&l=1354933.01
大山守命墓
北緯34度41分58.49秒 東経135度48分56.02秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=344158.49&l=1354856.02
聖武天皇陵
北緯34度41分36.72秒 東経135度49分46.74秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=344136.72&l=1354946.74
元明天皇陵
北緯34度42分17.50秒 東経135度49分47.09秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=344217.50&l=1354947.09
http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/693e9767eec80b903f4ffc4cc97ba995
阿武山、黒髪、大津、夢殿、耳成のつくる三角形
2006年11月25日
http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/354203972385447de25ac7a366244d98
黒髪神社についてのいわれ、とその位置
2006年11月21日
http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/bde18ac12f6a8234bdb1e3768490566b
不比等の墓所は黒髪(山、神社)にある、かも
2006年11月19日
・・・・・・・・・・
パソコンを変えたばかりなのに、無謀にもiPhoneも4Sを5Cとやらに変えてしまいました。
どう変わったのかもよく分かっていないで買ってしまいました。
≪文書の作成もできます。前はできなかった気が・・≫
また、覚えなければならないことが出てきて、ますます普通の生活に戻れなくなっています。(大げさに思えるでしょうが、前期高齢者には〈なったばかりとはいえ〉負担です。)
ただ、なんとなく私のiPhoneの動きが少し鈍くなった気がして、早めに買い換えようとした次第です。
2年で器具代金が終わったので、もっと安くなるかなと思っていたところ、それほど安くなったようにはみえませんでした。(4Sの時は機体をとりわけ安くしていたそうです)
どうせなら新しいほうがいいだろう。
しかし、4Sは64GBだったのですが5Cでは32GBになってしまいます。
5Sだと高くなるようで5Cにしました。
もともと機能を使いきれていたわけではありません。
心配なのは、容量ですが、WindowsのSkyDriveは無料は7GBだそうです。
それほど心配する必要がないのかもしれませんが、万が一の時には使いやすいクラウドを探します。有料でも安ければ、・・・。
当面は平気ですが、・・・。
( iPhoneのpagesとかなんか6つほどインストールしましたがこれがクラウドなのかなぁ。au Cloudは50GBあって無料のようです。写真は入れられたけど文章はどうなのかな。おや、iPhone5Ⅽの使い方というか、参考書というか、結構良さそうなハウツー本が届きました。なんだか珍しいことです。)
グーブログアドバンスの容量は大きいようですから、写真はそっちに入れていいのかしら。
整理がうまくできればそれがいいのですが、・・・。
http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/842c60d63d11a15920c627cc55bc4f01
道成寺の位置と宮子伝説① 2006年03月24日
ブログのアクセス解析を見ますと、それほど多いわけではありませんが、そこのところを読まれている方もおられるようで、気になってしまいました。
現在は、不比等の墓は大山守命墓だと考えています。
また、黒髪神社としたのは黒髪山稲荷神社(黒髪山神社とも)だったようです。
(実はパソコンを変えただけでなく、iPhoneも機種変更しましたので、さらに混乱を増していまして、お茶濁しの投稿で済まそうと考えました。)
http://www.naraliving.com/sneaker/nara_03.html
本殿の横にこの神社の社史があり、黒髪山の名前の由来についても書いてあった。垂仁天皇の皇后狭穂姫は、兄の狭穂彦王が謀反を起こした時に兄の陣営で皇子を産んだ。皇子を天皇方に渡そうとするが、その時に捕まらないよう黒髪を切った。そしてその黒髪を埋めた地がこの「黒髪山」であるという。
垂仁天皇陵についてもやったことがありました。
≪元正天皇陵-大山守命墓-平城京・朱雀門-垂仁天皇陵はほぼ一直線です≫
しかし、黒髪から宮子も思いついており、黒髪山稲荷神社を宮子の縁ではないかと考えました。それで、不比等の墓がここ黒髪山稲荷神社ではないかと考えたのです。
公式的には、聖武天皇は文武天皇と藤原宮子の間の皇子とされています。
そして、宮子は藤原不比等の養女ということになっています。
しかし、宮子は実在しないと考えました。
それでも、聖武天皇の生母は存在します。
それを、氷高皇女(ひだかのひめみこ・元正天皇)としました。
ただし、何度も書いているように天智天皇も宮子も実在しません。
ですから、氷高皇女は元明天皇〈阿閇皇女(あへのひめみこ)〉の娘ですが、
阿閇皇女は天智天皇の皇女ではなく、阿部氏の娘だったと考えています。
(氷高皇女は草壁皇子と阿閇皇女とされていますが、草壁皇子とは高市皇子のことで、高市皇子が阿部氏の娘(阿閇皇女)を娶って生んだのが、氷高皇女と文武天皇(軽皇子)と吉備内親王と考えています。)
何度も繰り返しているので申し訳ありません。
で、藤原不比等は田辺氏に養育されたといわれています。田辺不比等と書いてあったのも見た気がします。
そこで、田辺ですがTANABEとなり、ABEが含まれています。
田辺氏は阿部氏の一族ではないかと思われます。
すると、幼少期から不比等と阿閇皇女(皇女ではありません)は近くで育ったのではないでしょうか。(近くにはいなかったとしても顔見知りだったはず)
≪源氏(不比等)は藤壺(阿閇皇女)と若紫(氷高皇女)とも関係を持ちます≫
田辺市と日高郡は写真の通りです。(田辺市は日高郡から分離した新しい市なのかなぁ。昔から無いと困ります。)

なお、以前やったようですが、
≪元正天皇陵-大山守命墓-平城京・朱雀門-垂仁天皇陵はほぼ一直線です。
また、この直線と元正天皇陵-東大寺大仏殿は直角になります。
元正天皇陵-東大寺大仏殿-平城京・朱雀門と垂仁天皇陵2011年09月18日
http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/5b343cab95a201b38702d3ef969e277b
また、大山守命墓-聖武天皇陵-東大寺大仏殿も一直線になります。
また、⊿大山守命墓-聖武天皇陵-元明天皇陵は二等辺三角形になります。
http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/cd8635f676418a580c4edc2d3c8da33f
日高=氷高ではないか 2012年12月12日

黒髪山稲荷神社→大山守命墓
Ⅰ255°26′01.32″ Ⅱ75°25′40.26″ Ⅲ972.665(m)
黒髪山稲荷神社→聖武天皇陵
Ⅰ159°06′28.59″ Ⅱ339°06′36.41″ Ⅲ979.943(m)
大山守命墓→聖武天皇陵
Ⅰ117°27′22.17″ Ⅱ297°27′51.04″ Ⅲ1,454.787(m)
黒髪山稲荷神社での角度
255°26′01.32″-159°06′28.59″=96°19′32.73”≒96.3258度
大山守命墓での角度
117°27′22.17″-75°25′40.26″=42°01’41.91”≒42.0283度
聖武天皇陵での角度
339°06′36.41″-297°27′51.04″=41°38’45.37”≒41.6459度
7mの違いがありますが、地点の取り方によっては、黒髪山稲荷神社から大山守命墓、聖武天皇陵への距離は同一でしょう。
ということで、やはり大山守命墓は不比等の墓ではないかと・・。
⊿元明天皇陵-大山守命墓-聖武天皇陵
元明天皇陵→大山守命墓
Ⅰ245°44′31.29″ Ⅱ65°44′02.22″ Ⅲ1,425.614(m)
元明天皇陵→聖武天皇陵
Ⅰ180°24′22.16″ Ⅱ0°24′21.96″ Ⅲ1,256.679(m)
大山守命墓→聖武天皇陵
Ⅰ117°27′22.17″ Ⅱ297°27′51.04″ Ⅲ1,454.787(m)
大山守命墓での角度
117°27′22.17″-65°44′02.22″=51°43′19.95”≒51.7222度
聖武天皇陵での角度
360°-297°27′51.04″+0°24′21.96″=62°56’30.92”≒62.9419度
元明天皇陵での角度
245°44′31.29″-180°24′22.16″=65°20’09.13”≒65.3359度
30m弱しか違わないのですが、角度は2.4度違っています。
まぁ、これもポイントの取り方によっては一致するところがあるでしょう。
しかし、肝心の⊿元正天皇陵-大山守命墓-聖武天皇陵が中途半端なのが残念です。
この三つは親子をあらわすはずなんですが、何ともぴったり行きません。
(前もここで困ったんだったけな。)
苦しまぎれに、高松塚古墳から元正天皇陵に線を引きました。

高松塚古墳の被葬者・高市天皇は氷高皇女の父のはずです。
すると、線上に黒髪山稲荷神社がのりました

そして高松塚古墳-元正天皇陵の直線と大山守命墓-聖武天皇陵-東大寺大仏殿の交点は鴻ノ池の西側になります。

そこは法蓮佐保山一丁目です。


⊿元正天皇陵-大山守命墓-交点は二等辺三角形になりそうですし、
⊿黒髪山稲荷神社-大山守命墓-交点も二等辺三角形のようです。(多少違い)
妄想ですが、ここに、氷高皇女・藤原不比等・首皇子(聖武天皇)の関係をうかがわせる何かがあったんではないでしょうか。
場所が違っていますが、近くに 藤原不比等顕彰碑があるようです。
http://blog.livedoor.jp/ijinroku/tag/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E4%B8%8D%E6%AF%94%E7%AD%89
藤原不比等顕彰碑(鴻ノ池運動公園・奈良県奈良市法蓮佐保山4-1516-1)
藤原不比等の墓がこの辺りにあったという説がある。
黒髪山稲荷神社
北緯34度42分6.43秒 東経135度49分33.01秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=344206.43&l=1354933.01
大山守命墓
北緯34度41分58.49秒 東経135度48分56.02秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=344158.49&l=1354856.02
聖武天皇陵
北緯34度41分36.72秒 東経135度49分46.74秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=344136.72&l=1354946.74
元明天皇陵
北緯34度42分17.50秒 東経135度49分47.09秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=344217.50&l=1354947.09
http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/693e9767eec80b903f4ffc4cc97ba995
阿武山、黒髪、大津、夢殿、耳成のつくる三角形
2006年11月25日
http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/354203972385447de25ac7a366244d98
黒髪神社についてのいわれ、とその位置
2006年11月21日
http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/bde18ac12f6a8234bdb1e3768490566b
不比等の墓所は黒髪(山、神社)にある、かも
2006年11月19日
・・・・・・・・・・
パソコンを変えたばかりなのに、無謀にもiPhoneも4Sを5Cとやらに変えてしまいました。
どう変わったのかもよく分かっていないで買ってしまいました。
≪文書の作成もできます。前はできなかった気が・・≫
また、覚えなければならないことが出てきて、ますます普通の生活に戻れなくなっています。(大げさに思えるでしょうが、前期高齢者には〈なったばかりとはいえ〉負担です。)
ただ、なんとなく私のiPhoneの動きが少し鈍くなった気がして、早めに買い換えようとした次第です。
2年で器具代金が終わったので、もっと安くなるかなと思っていたところ、それほど安くなったようにはみえませんでした。(4Sの時は機体をとりわけ安くしていたそうです)
どうせなら新しいほうがいいだろう。
しかし、4Sは64GBだったのですが5Cでは32GBになってしまいます。
5Sだと高くなるようで5Cにしました。
もともと機能を使いきれていたわけではありません。
心配なのは、容量ですが、WindowsのSkyDriveは無料は7GBだそうです。
それほど心配する必要がないのかもしれませんが、万が一の時には使いやすいクラウドを探します。有料でも安ければ、・・・。
当面は平気ですが、・・・。
( iPhoneのpagesとかなんか6つほどインストールしましたがこれがクラウドなのかなぁ。au Cloudは50GBあって無料のようです。写真は入れられたけど文章はどうなのかな。おや、iPhone5Ⅽの使い方というか、参考書というか、結構良さそうなハウツー本が届きました。なんだか珍しいことです。)
グーブログアドバンスの容量は大きいようですから、写真はそっちに入れていいのかしら。
整理がうまくできればそれがいいのですが、・・・。