古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

なぜ邇芸速日命は長髄彦を殺したのか、についての想像

2023年10月16日 10時22分52秒 | Weblog
「神武東征」は神武天皇が西から東に向かいヤマトを征服した話です。
邇芸速日命(にぎはやひのみこと)は部下の長髄彦(ナガスネビコ)を殺して、神武天皇に帰順します。

《『日本書紀』では長髄彦であるが、『古事記』では那賀須泥毘古、また登美能那賀須泥毘古(とみのながすねびこ)、登美毘古(とみびこ)とも表記される。》ウィキペディア

なんとなく変な筋書きのような気がする人は多いでしょう。

しかし、元になっている話は、西暦247年「スサノオ」が東から北九州の奴国を襲った話と考えています。
北九州の奴国の「難斗米・ナノトミ」と「都市牛利(ツクシのギニ(ニギ))」は
神武東征のヤマトの「登美のナガスネビコ」と「邇芸速日命(にぎはやひのみこと)」と対応します。
そこで、この二つの話が対応しているとしますが、大きな違いがあります。
東西逆になっていますし、邇芸速日命(にぎはやひのみこと)が王で長髄彦(ナガスネビコ)が部下となっていますが、真実は逆と考えます。それ以外の違いは「卑弥呼」の存在です。

スサノオが北九州に攻め込んだとき、当時の卑弥呼は亡くなったはずです。
さて、北九州の奴国では、「難斗米」は卑弥呼の弟で、卑弥呼のお告げを聞いて、政治を司っていたはずです。
「神武東征」では卑弥呼は出てきません。出てくるわけにはいきません。
のちに卑弥呼臺与(トヨ)の子孫が王位につくからです。
そこで、卑弥呼が殺されたとすると、「難斗米・登美のナガスネビコ」は一人では何も決められない情況になっていたのではないか。
すると、部下の「都市牛利・ツクシのニギ」は、困惑したでしょう。
卑弥呼のいない「難斗米・ナノトミ」では、たんなるでくの坊でスサノヲと戦えない、戦っても勝ち目はない。自分も殺される。奴国は全滅する、ならば「スサノオ」に帰順した方が良い、となったのではないか。
そして、スサノヲは帰順してきた「都市牛利・ツクシのニギ」を王位に就けたのではないか。
しかし、国はまとまりません。そこで13歳の臺与(トヨ)を女王(すなわち卑弥呼)にすることで、国はまとまりました・・・・・・ということではなかったでしょうか。
すると、都市牛利《(ツクシのニギ・邇芸速日命(にぎはやひのみこと)・物部)》は奴国・北九州には居づらくなってきます。
臺与(トヨ)が女王というより卑弥呼になったとき、都市牛利・ニギ(物部)は北九州・奴国から出て行ったのではないか。

邇芸速日命(にぎはやひのみこと)の殺した長髄彦(ナガスネビコ)は臺与(トヨ)の父と想像します。先代の卑弥呼は叔母になり、長髄彦(ナガスネビコ・難斗米は卑弥呼の弟と想像しています。
ですから都市牛利・ニギは出て行かざるを得ないのではないか。
しかし、卑弥呼臺与(トヨ)もその後すぐ北九州を離れたはずです。
なぜなら、スサノヲの子を身籠ったはずだからです。
卑弥呼に男性との関係は無いはずだからです。あってはなりません。

物部氏と吉備は関係がある、という説を見ました。
ですが、理解できません。
とりあえず、石見一宮物部神社、高千穂峰の位置関係をみました。





△石見一宮物部神社-吉備津彦神社-高千穂峰
石見一宮物部神社→吉備津彦神社
 ①112°51′59.41″ ②293°38′22.44″ ③134,328.412(m)
石見一宮物部神社→高千穂峰
 ①202°40′03.89″ ②21°47′12.53″ ③391,632.027(m)
吉備津彦神社→高千穂峰
 ①222°22′11.87″ ②40°45′11.23″ ③413,560.208(m)

石見一宮物部神社での角度
 202°40′03.89″-112°51′59.41″=89°48′04.48″≒89.8012度
吉備津彦神社での角度
 293°38′22.44″-222°22′11.87″=71°16′10.57″≒71.2696度
高千穂峰での角度
 40°45′11.23″-21°47′12.53″=18°57′58.70″≒18.9663度

吉備津彦神社
 34°40′36.72″ 133°51′50.59″
北緯34度40分36.72秒 東経133度51分50.59秒
https://maps.gsi.go.jp/#15/34.676867/133.864053/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

吉備津彦神社元宮磐座
 34°40′27.27″ 133°51′28.34″
北緯34度40分27.27秒 東経133度51分28.34秒
https://maps.gsi.go.jp/#15/34.674242/133.857872/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

石見一宮物部神社
北緯35度09分17.71秒 東経132度30分48.52秒
35°09′17.71″ 132°30′48.52″
https://maps.gsi.go.jp/#15/35.154919/132.513478/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

諸塚山
32°38’03.95”N 131°17’13.95”E グーグルアース貼り付け用
北緯32度38分03.95秒 東経131度17分13.95秒
https://maps.gsi.go.jp/#15/32.634560/131.287378/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

高千穂峰
北緯31度53分09.97秒 東経130度55分08.36秒
31°53′09.97″N 130°55′08.36″E
https://maps.gsi.go.jp/#15/31.886213/130.918992/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

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