古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

孝霊天皇及び陵について

2005年10月31日 23時35分45秒 | Weblog
 欠史八代について考えたことは今までにほとんどありません。
 旧約聖書の系図に欠史八代と同じものがあったこと。(三浦綾子氏の著作からの推測でした)
 神武天皇と崇神天皇の間に挟まれていること。この両天皇は、須佐之男命を卑弥呼にとって敵であったか、味方であったかによって分けられた同一人物である、としました。
同一人物にはさまれている時代ですから、繰り返しを起しているという想像はしましたが、欠史八代の中身にについては皆目見当がつきませんでした。
ところが、ネットで「孝霊天皇と陵」を調べてみると面白いことが出てきました。

その前に天皇陵に対する一般的な考え方を挙げておきます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%9A%87%E9%99%B5
① 宮内庁の天皇陵の比定はすべて間違っているといわれている。
② 皇陵は、宮内庁の管理下にあるため、研究者などが自由に立ち入って調査することができない。
③ 中世の陵墓は、荒れ放題だった。天皇の権力が失墜した時代であったからである。
④ 万世一系を謳いあげるためには、天皇陵のすべてが重要であり、天皇陵の一つでも欠けるのは、不都合なことである。

 要は、陵墓は荒れ放題の時期があり、実際に存在した天皇との比定だけでも困難であるにもかかわらず、実在を疑われている天皇の陵墓まで存在させるのは変であろうから、天皇陵を研究者に公開したほうがいいだろう、ということでしょうか。
 
 
 そのようなことを踏まえてみると、「孝霊天皇と陵」は面白そうです。
先日調べた、孝霊天皇陵が、平城京―紀伊・日御埼の直線上に乗っていて、その線と直角の線上の出雲大社・日御碕神社と連動するであろうと推測できるからです。

さて、孝霊天皇をネットで調べて気になったことは次のことです。
「記・紀」で読んだだけではひらめきませんでした。
① 倭迹迹日百襲姫命の父であること・・卑弥呼との関係
② 吉備津彦の父でもあること・・・・・・スサノヲとの関係 『神武東征』との関係  桃太郎伝説との関係
③ 片岡馬坂に陵があること・・・・・・・聖徳太子の飢人伝説との関係
④ 大倭根子日子賦斗邇(おおやまとねこひこふとに)の命。
諡号に根子という字が入っている。
              続く
話しがあっちこっちに飛んで散漫に見えるかもしれませんが、本人はいたってまじめです。しかし、今のところ、まとまりようがありません。
時がすぎれば何とかなっているかもしれません。
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