古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

聖武天皇が現在に続く天皇家の初代ではないか

2022年11月27日 10時27分23秒 | Weblog
初代といえば「神武天皇」ですが、神話ですし、真の初めといえば「卑弥呼臺与(トヨ)」
と考えます。
ただし、一般的には、桓武天皇もしくは父の光仁天皇が初代とされるのではないか、と考えます。
天武天皇系ではありません。
しかし、聖武天皇は文武天皇の御子ということになっていて、天武天皇系ということになっています。
ですから 《聖武天皇が現在に続く天皇家の初代である》なんてことは世迷い言の類いです。
ところが、この陵の位置を見るとどうも変です。


光仁・桓武天皇のお二方は聖武天皇と強く結びついているように見えます。
直角で結びついているように見えます。
結びつくはずがないところです。
しつこく言いますが、大和朝廷にとって最も重要な角度は直角です。
「魏志倭人伝」は卑弥呼臺与(トヨ)の復活を告げていました。
(二人の卑弥呼を同一人物と間違ったため臺与(トヨ)の墓がつくられた後で臺与(トヨ)を誕生させてしまいました)
ですから、卑弥呼臺与(トヨ)の子孫にとっては「魏志倭人伝」は超重要です。
その魏志倭人伝は東にある邪馬台国を南として、直角の間違いをしていたから、直角が重要になりました。

ところが、本当は、桓武天皇陵の位置ははっきりしていないそうです。 エッ!

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%93%E6%AD%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87
桓武天皇陵
陵(みささぎ)は、宮内庁により桃山陵墓地内にある柏原陵(かしわばらのみささぎ)に治定(京都府京都市伏見区桃山町永井久太郎)されている。宮内庁上の形式は円丘。
上記とは別に、伏見区深草大亀谷古御香町にある宮内庁の大亀谷陵墓参考地(おおかめだにりょうぼさんこうち)では、桓武天皇が被葬候補者に想定されている。

https://colorfl.net/kanmutennoryo-basho/
桓武天皇は、70歳でこの世を去りました。
実は桓武天皇のお墓は、どこにあるのかわかっていないことをご存知でしょうか。
宮内庁が桓武天皇の墓所としている柏原陵かしわばらのみささぎがあるのは、京都市伏見区です。
とはいえ、柏原陵は明らかに埋葬地ではないとされる「擬陵ぎりょう」。
現在は立派な姿をもつ柏原陵ですが、こちらも明治以降になって大修理が行われたからだそうですよ。

まさか、桓武天皇陵が・・・・・びっくりしました。不勉強で申し訳ありません。



しかし、なぜ、明治の初めに宮内庁は、この位置を桓武天皇陵に決めたのでしょうか?

簡単にこの位置の特徴をいえば、桓武天皇御母陵と大石龍門との直線上にありそうに見えます。
また、いろいろ直角三角形が創れそうに見えます。



計算は次回。
大石龍門を直角とする直角三角形
△大石龍門X-桓武天皇陵-聖武天皇陵
△大石龍門X-桓武天皇御母陵-聖武天皇陵
△大石龍門X-桓武天皇陵-恭仁京大極殿址
△大石龍門X-桓武天皇御母陵-恭仁京大極殿址

聖武天皇陵を直角とする直角三角形
△聖武天皇陵-大石龍門X-光仁天皇陵
△聖武天皇陵-恭仁京大極殿址-光仁天皇陵

その他
大石龍門-桓武天皇陵-桓武天皇御母陵はほぼ一直線
桓武天皇陵-恭仁京大極殿址-光仁天皇陵 ほぼ一直線





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引っ越し準備で大変です。もっと前に粗大ゴミや家電リサイクルなどのだし方を知っていればもっとスムーズに行ったのですが・・・・
荷物だかゴミだかわからないものに囲まれてうろたえています。
聖武天皇の遷都も大変だったでしょうねぇ。
比べるのはおこがましいですが。
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