高松塚古墳
北緯34度27分44.30秒、東経135度48分22.34秒
元明天皇陵
北緯34度42分17.24秒、東経135度49分46.51秒
用明天皇陵
北緯34度31分00.08秒、東経135度38分39.07秒
元明天皇陵→高松塚古墳
①184.536度 ②4.52280度 ③27.03416km
Ⅰ184°33′58.00″ Ⅱ4°33′10.23″ Ⅲ26,984.793(m)
元明天皇陵→用明天皇陵
①219.090度 ②38.9850度 ③26.90652km
Ⅰ219°15′35.17″ Ⅱ39°09′16.06″ Ⅲ26,900.622(m)
高松塚古墳→用明天皇陵
①292.235度 ②112.143度 ③16.02049km
Ⅰ292°11′09.75″ Ⅱ112°05′39.47″ Ⅲ16,066.370(m)
元明天皇陵での角度
219.090-184.536=34.554度
219°15′35.17″-184°33′58.00″=34°41′37.17″
高松塚古墳での角度
360-292.235+4.52280=72.2878度
360-292°11′09.75″+4°33′10.23″=72°22′0.48″
用明天皇陵での角度
112.143-38.9850=73.158度
112°05′39.47″-39°09′16.06″=72°56′23.41″
この三角形は、用明天皇、高松塚古墳の被葬者、元明天皇が関係していなければ成立しないものと考えます。
高松塚古墳の被葬者=高市皇子(天皇)
高市皇子(天皇)=草壁皇子
また、元明天皇(阿閇皇女(あへのひめみこ)は草壁皇子の妃です。
ですから、実は、高市皇子(天皇)と阿閇皇女(元明)は天皇と皇后という関係になります。
用明元年586年の100年後が高市元年のはずですから、用明には高市皇子(天皇)が比定されているはずです。
ですから、この二等辺三角形は意味を持って成立しているはずです。
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2011年(平成23年)3月11日午後2時46分東北地方太平洋岸巨大地震M8.8(8.9?)発生。
地下1階で勤務中。ここであんなに揺れたのは初めて。警報は出ましたし、エレベータも止まりましたが、幸い乗っていた人はいなく、館内でけが人も出ませんでした。またその他の機器も異常なかったようです。
ただ、大きな地震が来る前に警戒警報が出ることになっていたはずなのですが、何の放送も入りませんでした。
で、こんなことやっている状況ではありませんし、気分も乗りません。
しかし、前夜やっていたことのため投稿します。
昨日は、S氏、W氏共に交通手段がなく帰宅できなかったために、私は午後10時30分にナンとか帰宅させてもらいました。ですが、帰宅しても、おんぼろアパートですから、小さな余震は頻繁に感じました。
想像もできない被害。復興には巨額の資金が要る。しかし、国は巨大な借金。
すると、これから超インフレがくるのでしょうか。
グーグルアースは地震のマークで真っ赤
陸前高田の地形。
津波がきたら・・。