古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

『無題』にするか『平等』にするか

2018年06月01日 21時55分05秒 | Weblog
平等院の名前の「平等」という言葉が気になり、考えましたが、まとまりません。
手に負えませんでしたが、とりあえず、ともかく、投稿します。
https://www.byodoin.or.jp/faq/byodoin/
よくある質問
Q 平等という言葉がなぜついているのですか?
A 仏の救済が平等ということを意味します。
  そして、仏の平等を光で顕わします。平等院は光のお寺なのです。

確か、キリスト教では「神の前では平等」という言葉があった気がします。
《「神の前では平等」 Equality before God》でした。
それと違うのだろうか、と疑問が起きました。
しかし、検索すると、この言葉は聖書のどこにもないそうです。
それどころか「平等」とは仏教の言葉でした。
「平等」は中国で《仏典の漢訳のために創出された語彙》の一つでした。
そして、明治の文明開花期に、人権宣言の中のフランス語のégalitéに『平等』という言葉が充てられたそうです。
《仏教になじんできた日本人にとって、さほど困難なことではなかっただろう。》仏教漢語50話  興膳 宏 岩波新書

すると、平等院の『平等』と現代の我々の『平等』の概念とでは違っているのかもしれません。
それにしては違和感を受けないようです。
それほど違っていないとするとどう考えればいいのでしょうか。

今まで,いろいろ、西洋の測量技術、キリスト教の影響については考えてきました。特に、古代の藤原氏は西洋の影響、キリスト教の影響を受けていた、と考えています。
私の手に負えるようなことではなさそうですが、『平等』はどうなんでしょうか。
平等院鳳凰堂の『平等』には西洋の影はないのでしょうか。

以前からやっているように、古代日本には,中国・朝鮮・仏教だけでなく、西洋・キリスト教の影響が大きくあったと考えています。
一つだけ述べれば、きっかけは魏志倭人伝にあります。
魏志倭人伝が日本に影響を与えた最大の間違いは卑弥呼を復活させたことでした。(卑弥呼・臺与(とよ)の墓が造られた後で卑弥呼・臺与(とよ)が登場した。要するに、臺与(とよ)も卑弥呼だったことに魏志倭人伝は気づかなかった)
これはキリストの復活と重ねられたはず、と固く信じております。
卑弥呼・臺与(とよ)の子孫がヤマトに戻ったときに魏志倭人伝の卑弥呼復活の預言は達成されました。言霊の誕生・完成。
藤原氏も卑弥呼・臺与(とよ)の子孫ではないか(ただし百済から戻ってきた)、と考えます。
西洋・キリスト教の影響はいくつもあった、はずです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今までやってきたいくつかをあげておきます。
出雲という地名は,幕屋の上には必ず雲があった、という旧約聖書の記述から取られたものと,考えています。
https://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/6ea09fbf700fc4b99584081f8e5a1abc
大蛇の居る上に常に雲気あり 2013年01月26日
・古事記・日本書紀と二つあるのは旧約聖書・新約聖書と二つあるから
https://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/81a2ae84445f3809ffa229e463d377a0
なぜ日本では『古事記』『日本書紀』の二つがあるのか2005年03月08日
・法隆寺のエンタシスの柱
・厩戸皇子の名称はキリスト誕生の逸話から取られたもの
・乙巳の変(大化の改新)蘇我入鹿の暗殺はカエサルの暗殺の場面の借用
カエサルと蘇我入鹿の暗殺の共通点 2014年03月30日
https://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/1a08ee29729c04fb626cfc0c833f7afb
古人大兄のモデルはブルータス
・天若日子ー返し矢  旧約聖書・ニムロッド
・優れた測量技術が疑いなくあったことは明白。
・欠史八代も旧約聖書にある。
古代日本にキリスト教の影響はあるか2005年03月08日
https://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/1abcdb5ee48a6e0d0175ce5dcc288e0b
『神武東征』と「モーセの出エジプト」2005年05月02日
https://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/722fc763e846e94c2bc3366246da0f7b
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
さて
《『平等』は,サンスクリット語のsamanyaの意訳で、差別のない絶対の真理を意味する。》
  仏教漢語50話  興膳 宏 岩波新書
https://blog.goo.ne.jp/yosh388/e/35f4d3688d1056bd07345a44e5c37dc2
《サンスクリット語のサマ(sama)、あるいはその名詞形サマター(samata)の漢訳語である。中村元博士は「人類の歴史において『平等』ということを最も明瞭な自覚を以て最初に唱えたのは仏教徒であった」と論じている。ところが釈尊滅後100年頃には、教団の保守・権威主義化の中で部派仏教(小乗仏教)と化し次第に差別思想が蔓延した。これに対して紀元前後ごろに平等の旗印を掲げて思想運動を展開したのが「大乗仏教」であり、それが法華経の一仏乗の思想へと結実した。》

また、このサンスクリット語のサマ(sama)は英語のsameと語源が一緒だそうです。
www.manduuka.net/sanskrit/w/dic.cgi?seek=sama&dic=1
sama- [ सम サマ ] 変化表(a形)
〔形〕同じ、平等な、平坦な、[具]に等しい、[具]のような

明治になって《égalité》に仏教漢語の『平等』という訳を充てたわけですが、ピッタリしすぎじゃないでしょうか。

もしかすると、仏教がキリスト教に影響を与えたのかと想像しました。
『平等』が聖書にはないけれども、キリスト教には『神の前では平等』という言葉があるということは、仏教とキリスト教のそれぞれが広がっていったときに,どこかでぶつかったとき、言い過ぎならば、交流が起きたときに、キリスト教が『平等』を受け入れたのではないでしょうか。
しかし、検索すると、仏教がキリスト教に影響を与えたという説も、キリスト教が仏教に影響を与えた,という説も両方ありました。

http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/bukkyokirisuto02.htm
大乗仏教に見られるキリスト教の影響
仏教と言えば、よく知られているように「小乗仏教」と「大乗仏教」があります。
「小乗仏教」(上座部仏教)とは、大乗仏教成立以前の仏教諸派の総称で、現在もセイロン、タイ、ミャンマー(旧ビルマ)、インドシナなどに見られる仏教です。
 一方、「大乗仏教」は、旧来の小乗仏教が個人的解脱の教えであるのに対し、広く人間の全般的救済と成仏の教義を説き、一~二世紀頃に成立しました。中国、日本などに伝わった仏教は、大乗仏教です。
大乗仏教には、末法思想と呼ばれる歴史観、および「弥勒」と呼ばれる未来の救い主に対する信仰があります。この思想によると、シャカの死後長くたった現代は"末法の世"で、シャカの教えが実行されず、世も乱れる時代であるとされています。けれども将来、「弥勒」と呼ばれる仏がこの世に現れて、シャカの教えに漏れた人々を救う、という信仰があるのです。

仏教漢語50話  興膳 宏 岩波新書
はじめに 
もちろん「世界」「平等」「方便」のように、仏典の漢訳のために創出された語彙もあるが,既成の語を転用した例が意外に多くを占めることは留意しておいてよい。
さて、仏教は六世紀前半にはすでに日本に伝来していた。漢訳仏典も中国大陸や朝鮮半島から伝わっていたと想像できるが、それら中国の言葉で書かれた経典はどのようにして日本語の中に同化していったのだろうか。六世紀当時の日本が直接外交関係を有していたのは、朝鮮半島南部の百済であり、その百済が密接な関係を保っていた南朝梁の文化が,間接的に日本に伝わってきたのが実状である。仏典を含む中国の文献も、中国南方の言語である呉語の音声、すなわち「呉音」で読まれていたはずである。
やがて七世紀初めから隋・唐との直接の外交が開かれるようになると、遣隋使・遣唐使や留学生を通じて、都長安を中心とする中国北方の文化が導入されてくる。そして、言語の面でも、北方の言葉が標準とされるようになり、平安朝初期の延暦十一年(792)には,『論語』『孝経』などの経書を読誦(どくじゅ)するのに、「呉音」ではなく必ず北方の「漢音」によるべきことを、桓武天皇の勅旨として公布した。すなわち漢音が「正音」として公認されたのである。
それ以後、公文書の読みも漢音によるのが基準となったが、仏典だけは例外だった。だから仏典は今日に至るまでずっと呉音で読まれ続けている。
原則的には仏教語は呉音で、それ以外は漢音で読むのが基準である。
しかし、そう簡単に割り切れないのが実状

29平等 p120~p123
「平等」はまぎれもなく仏語である。
「平等」の反対語は「差別」(仏語では呉音では「シャベツ」と読む)
『平等』は,サンスクリット語のsamanyaの意訳で、差別のない絶対の真理を意味する。
仏典では、いろいろな経典でしきりに「平等」が説かれる。
『法華経』薬草喩品では雨が全ての草木にあまねく降り注ぐように,仏の教えが一切衆生の救済を差別なく目指すものであることを説く
また、『金剛般若経』には、仏の教えについて、「この法は平等にして,高下有ること無し」といい、だからこそ「この上なく正しい覚り」なのだといっている。
「高下有ること無し」とは「差別がない」ことである。かくて「平等」は,仏教の教理そのものを象徴する語になっていたといってもよい。仏教は「平等」の教えなのであり、全ての衆生はみな均しく覚りに至る資格を備えている。
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 宇佐・宇陀・宇治 | トップ | 749年八幡大神は宇佐から »
最新の画像もっと見る

Weblog」カテゴリの最新記事