古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

北京-ソウル-平城宮は一直線上

2010年06月04日 22時25分45秒 | Weblog
これは多少無理をすれば、平城宮の代わりに平安京でも一直線になりえます。
北京もソウルも大きいですから可能です。(北京の位置をかなり南にしなければなりません)
しかし、意味のあるところを通るかどうか心もとありません。
実のところ、京都のほうが都合いいのですが、仕方ありません。
北京、ソウル(昔は京城とか漢城とか表記されていました)、そして京都ですと、みんな京が付きます。(北京は大都といいましたから関係ないかな)
というだけでなく、北京はフビライが、副都として冬の都にしたところです。(上都(ザナドウ)よりも南で暖かいからです。ただしそれ以前にも北京の場所は一応ある程度だったようです。栄えたのはフビライ以降です)

http://www.peoplechina.com.cn/maindoc/html/kaogu/50/200301.htm

http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/a69a8bf227c3d22baa87b3da26e1723e

そこで、フビライなら、平安京を意識したと考えています。(フビライはジンギスハン=源義経の孫のはずですから。)

ですから、北京-平城宮の線上にソウルが乗るのは単に偶然だったかもしれません。
ですが、なぜこんなことに気づいたかといいますと、遷都の関係なのです。
日本では都は南から北に動きました。
朝鮮では、百済は南に遷都していきました。
そして、中国では、フビライは南に遷都していったのです。
これらは、各国別々の事象ではなく、関連があるものと考えています。

ソウルの地点をいつもは汝矣島(ヨイド)にしていますが、それでは一般的ではないと考えられてしまうかもしれませんので、ソウル支庁の位置でもやってみます。

ソウル支庁・・北緯37度34分00秒、東経126度58分40秒
扶余(プヨ)・・北緯36度16分40秒、東経126度55分5秒
公州(コンジュ)・・北緯36度27分20秒、東経127度7分26秒


この写真は、実は北京と京都御所を結んだ線です。だいぶ上空からの写真となりますので、ソウルが線上に見えるかもしれませんが、だいぶ離れています。






紫禁城(故宮)-第一次大極殿の線上、地下鉄のソウル駅のよう


紫禁城(故宮) 39°55'8.11"N 116°23'26.88"E

紫禁城(故宮)→ソウル支庁
 ①102.536度 ②289.175度 ③953.5043km
 Ⅰ102°28′31.18″ Ⅱ289°06′49.80″ Ⅲ956,066.379(m)
紫禁城(故宮)→第一次大極殿
 ①102.608度 ②294.452度 ③1806.38km
 Ⅰ102°32′06.40″  Ⅱ294°22′44.62″ Ⅲ1,810,846.894(m)
ソウル支庁→第一次大極殿
 ①109.326度 ②294.532度 ③852.8777km
 Ⅰ109°14′20.99″  Ⅱ294°26′45.16″ Ⅲ854,781.602(m)

953.5043+852.8777=1806.382km・・・一致しているといえるような値です。
956,066.379+854,781.602=1810847.981・・1,810,846.894と1.087m違い
線上にないことは写真を見ればわかります。
しかし、ソウル市内を通っていることも確かです。
何処がのっているかといえば地下鉄のソウル駅とか、ソウルタワーのようです。

北京-京都御苑(京都御所)を結んだ線は、ソウルのかなり北側を通ります。


本日やったことは、単に紫禁城(故宮)-ソウル-平城宮が一直線というだけです。
都の南北関係がやりたかったことなのですが、寄り道をしてしまいました。
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