goo blog サービス終了のお知らせ 

古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

なぜ伊勢神宮には内宮と外宮があるのかについての乱暴な一仮説

2005年09月03日 00時14分53秒 | Weblog
 伊勢神宮にはなぜ内宮と外宮があるのでしょうか。
次に、日向か福井への直線を調べるつもりだったのですが、一旦寄り道します。
 一般的には、又は公式的には、内宮に天照大神が、外宮には豊受大神が祀られているということになっています。

《外宮
雄略天皇の代に,皇大神宮の神饌を供進する神として豊受大御神を,丹波国与謝郡比沼(治)真奈井原から迎え,山田原の宮に祭ったことにはじまるという。

内宮
崇神天皇のとき,それまで皇居の中に祭られていた八咫鏡を,その神威を恐れて大和の笠縫邑に移すこととしたが,次の垂仁天皇の代に,皇女倭姫命を大神につけ,鎮座にふさわしい土地を求めさせた。倭姫命は近江,美濃などを巡歴した後,伊勢国に至り,そこに宮を建てたのが内宮のおこりであるという。 》

豊受大神が丹波の国から迎えられたことや、内宮が伊勢の国に決まるまで巡歴をされたということは意味のあることを伝えているとは思われます。

しかし、全く違った視点で見てみます。

前回の記事のA~Fの数値の②から①を引いてみてください。
一例を挙げれば
 ①出雲大社から平城宮跡の方位は104.664度(東)
 ②平城宮跡から出雲大社の方位は286.451度(北北西)③293.8644km
 
前回のA~Gのそれぞれの①、②の直線は本来なら一つの直線を両端の方位から見たものですから、角度の差としては、普通に考えれば、180度でなければなりません。
 しかし、これらの場合はすべて180度以上になっています。
平面上ならば180度になるのですが、地球の表面は球面のために違ってくるようです。
http://www.tabiken.com/history/doc/L/L256R100.HTMより
《【地図投影法(図法)】地図は立体(三次元)である地球の表面を,平面(二次元)の上に表現したものである。このため,ごく狭い範囲を表現するのであれば平面とみなしてさしつかえない
(誤差の許容量の取り方にもよるが,約20km四方以内)が,日本全図や大陸図・世界図となると必ず誤差が生ずるようになる。この誤差(ゆがみ)は,立体を一次元低い平面に表現するわけであるから免れることはできない。》

前にもやりましたが、ともかく、平面の地図一枚では、地球面の方位・距離などを正確には表現できません。方位が正しければ距離は不正確になります。また逆に距離を正確に表わそうとすると方位が正しくなくなります。

しかし、大和朝廷は、出雲大社・平城京・伊勢神宮を一直線上に並べたかったのです。これは確かだと思われます。
福井や日向の位置を見れば納得せざるを得ないはずです。
ところが、伊勢神宮には内宮・外宮と二つあります。どちらを一直線上に置きたかったのでしょうか。

最初はたぶん内宮なんだろうなと、ぼんやり考えていました。続く
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 前回のやり直し | トップ | 前回の内宮・外宮の続き »
最新の画像もっと見る

Weblog」カテゴリの最新記事