古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

後醍醐天皇陵の位置Ⅱ

2011年02月06日 22時53分40秒 | Weblog
後醍醐天皇陵は北面していて、京都を見据えている、というのが一般的な解釈のようです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E9%86%8D%E9%86%90%E5%A4%A9%E7%9A%87
《陵墓は奈良県吉野郡吉野町吉野山にある如意輪寺内の円墳の塔尾陵(とうのおのみささぎ)である。通常天皇陵は南面しているが、後醍醐天皇陵は北面している。これは北の京都に帰りたいという後醍醐天皇の願いを表したものだという。軍記物語『太平記』では、後醍醐天皇は「玉骨ハ縦南山ノ苔ニ埋マルトモ、魂魄ハ常ニ北闕ノ天ヲ望マン」と遺言したとされている。》

http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/godaigo.htm
《辞世の句は、「玉骨(ぎょっこつ=貴人や美人の骨)は縦(たとい)南山(吉野)の苔に埋るとも、魂魄(こんぱく=死者のたましい。霊魂)は常に北闕(ほくけつ=闕は宮門の意味。京都)の天を望(のぞま)ん」(「太平記=たいへいき=後醍醐天皇の討幕計画から、建武の中興・南北朝内乱に至る変革期の歴史過程を、南朝側の立場から描いた軍記物語で、近世以降の文学にも大きな影響力を与えた」⇔吉川英治『私本太平記』)。陵墓は奈良県吉野町の塔尾〈とうのお〉陵。》

後醍醐天皇陵が北面しているのは、もちろん、京都に復帰の願望でしょう。
ですが、その位置は全体から考案されたものでしょう。
そして、京都御所→箸墓→後醍醐天皇陵の延長線は熊野速玉大社に行き着き、京都御所-伊勢神宮・内宮-熊野速玉大社は直角三角形になるのではないかと考えました。
熊野速玉大社・新宮市は、浪速で敗れた神武軍の再上陸地です。
これは九州で起きた事実に基づいて創られたフィクション(のはず)
ですが、ともあれ、神武天皇軍はここから北上して長髄彦(那賀須泥毘古)をやぶります。
ですから、後醍醐天皇が復活を祈願するにはもってこいかと思えます。

ところが残念ながらそこまでうまい形にはなっていませんでした。

とりあえず、後醍醐天皇陵-熊野速玉大社-伊勢神宮・内宮の三角形を見ます。

後醍醐天皇陵→熊野速玉大社
 ①171.352度 ②351.417度 ③71.0313km
 Ⅰ171°18′46.98″  Ⅱ351°22′39.90″ Ⅲ70,904.675(m)
後醍醐天皇陵→伊勢神宮・内宮
 ①82.4657度 ②262.950度 ③79.28776km
 Ⅰ82°29′55.38″  Ⅱ262°59′00.45″ Ⅲ79,500.060(m)
熊野速玉大社→伊勢神宮・内宮
 ①40.1812度 ②220.597度 ③105.4175km
 Ⅰ40°18′42.10″  Ⅱ220°43′39.93″ Ⅲ105,423.856(m)

後醍醐天皇陵での角度
 171.352-82.4657=88.8863度
 171°18′46.98″-82°29′55.38″=88°48′51.60″≒88.8143度
伊勢神宮・内宮での角度
 262.950-220.597=42.353度
 262°59′00.45″-220°43′39.93″=42°15′20.52″≒42.2557度
熊野速玉大社での角度
 360-351.417+40.1812=48.7642度
 360-351°22′39.90″+40°18′42.10″=48°56′2.20″≒48.9339度

京都御所-伊勢神宮・内宮-熊野速玉大社
熊野速玉大社→伊勢神宮・内宮
 ①40.1812度 ②220.597度 ③105.4175km
 Ⅰ40°18′42.10″  Ⅱ220°43′39.93″ Ⅲ105,423.856(m)
伊勢神宮・内宮→京都御所
 ①305.989度 ②125.440度 ③108.3529km
 Ⅰ305°51′58.59″  Ⅱ125°19′02.30″ Ⅲ108,485.458(m)
熊野速玉大社→京都御所
 ①352.020度 ②171.895度 ③144.9721km
 Ⅰ351°59′03.11″  Ⅱ171°51′33.62″ Ⅲ144,719.449(m)

伊勢神宮・内宮での角度
 305.989-220.597=85.392度
 305°51′58.59″-220°43′39.93″=85°8′18.66″≒85.1385度
熊野速玉大社での角度
 360-352.020+40.1812=48.1612度
 360-351°59′03.11″+40°18′42.10″=48°19′38.99″≒48.3275度
京都御所での角度
 171.895-125.440=46.455度
 171°51′33.62″-125°19′02.30″=46°32′31.32″≒46.5420度





また、京都御所-熊野速玉大社の線に、箸墓も後醍醐天皇陵ものりません。
後醍醐天皇陵→京都御所
 ①352.535度 ②172.436度 ③73.94853km
 Ⅰ352°30′06.84″  Ⅱ172°26′30.54″ Ⅲ73,822.559(m)
後醍醐天皇陵→熊野速玉大社
 ①171.352度 ②351.417度 ③71.0313km
 Ⅰ171°18′46.98″  Ⅱ351°22′39.90″ Ⅲ70,904.675(m)
熊野速玉大社→京都御所
 ①352.020度 ②171.895度 ③144.9721km
 Ⅰ351°59′03.11″  Ⅱ171°51′33.62″ Ⅲ144,719.449(m)

73.94853+71.0313=144.97983・・・7.73mも違い
73,822.559+70,904.675=144727.234・・・7.785m違い・・実際の距離(線と線の間)とは690mほど離れています。



だいぶずれています。
きっちりとはいきません。
というわけで、後醍醐天皇は熊野速玉大社をそれほど意識していなかったのかと思えるかもしれません。
ですが、ここに熱田神宮を入れると、そうではないということが解ります。

京都御所
東経135度45分43.59秒 北緯35度1分27.05秒
‘ウォッちず’では、位置の経緯度表示では小数点以下が出てきませんでしたが、電子国土ポータルでは小数点以下が表示されて、計算できるようです。
今回はまだやっていません。
プレビューでは地図が載せられたので、できるのかと思いましたら、ブログにはのせられませんでした。やり方がまだわかりません。

後醍醐天皇陵
東経135度52分5.45秒 北緯34度21分51.74秒

熊野速玉大社
東経135度59分0.97秒 北緯33度43分56.5秒

皇大神宮(伊勢神宮・内宮)
東経136度43分33.03秒 北緯34度27分17.6秒
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 後醍醐天皇陵の位置 | トップ | 後醍醐天皇陵の位置 Ⅲ »
最新の画像もっと見る

Weblog」カテゴリの最新記事