久しぶりにサイタニのブログからの転載です。
三島由紀夫氏の『若きサムライのために』をずっと転写紹介しておられますので、この中から今後一部分を転載させてもらおうと思っています。戦後の日本社会について、三島氏の眼がどのように捉えていたか、なかなか考えさせられ、納得するものがあります。また人間というもの、社会というものを、三島由紀夫という作家がどのような捉え方をしていたかというのもなかなか興味深いですね。
勇者とは 「若きサムライのために」
勇者とは 昭和44年
この間、アラン.ド ロン主演の「サムライ」という映画が来たが、日本人が“サムライ“ということばでどれだけ理想化されているかがわかって、ちょっとくすぐったい。日本文化 が西洋に紹介されたなど大きなことを言っているけれども、西洋人の頭の中にある日本男性は、やはり”サムライ“のイメージでとらえられていることが多いよ うである。
私も、多少の小説が外国に紹介されていても、ほんとうのところ、それは遠い極東のよくわからない民族にしては、ちょっとばかししゃれたものを書くではないかと、頭をなでられているような感じで、じゅうぶんに彼らを心服させたという気は少しもない。
あ る時、イギリス人の貴婦人の前で日本刀の話が出て、「日本刀はどうやって使うのか」と聞かれたので、私は彼女の前で、手で刀を抜いて振りかぶって、袈裟掛 けに切る形をして見せたところが、この瞬間に彼女は血の気を失って倒れそうになった。私は文学よりも日本刀のほうがいかに西洋人を畏服(いふく)させるか を知った。
われわれにとって“サムライ”はわれわれの父祖の姿であるが、西洋人にとっては、いわゆるノーブル・サヴェッジ(高貴なる野蛮人)のイメージでもあろう。われわれはもっと野蛮人であることを誇りにすべきである。
ユングという心理学者の説によると、アメリカ人の心を占める英雄類型は、アメリカ人自身の中には求められず、彼らがかつて戦ったインディアンの中にしかないのだそうである。
さて、“サムライ”といえば、われわれはすぐ勇気ということを考える。勇気とは何であろうか。また勇者とは何であろうか。
こ の間の金嬉老事件で私がもっともびっくりぎょうてんしたのは、金嬉老、及びそのまわりに引き起された世間のパニツクではなかった。それは金嬉老の人質の中 の数人の二十代初期の青年たちのことであった。彼らはまぎれもない日本人であり、二十何歳の血気盛んな年ごろであり、西洋人から見ればまさに“サムライ” であるべきはずが、ついに四日間にわたって、金嬉老がふろに入っていても手出し一つできなかった。
われわれはかすり傷も負いたくないという時代に生きているので、そのかすり傷も負いたくないという時代と世論を逆用した金嬉老は、実にあっぱれな役者であった。そしてこちら側にはかすり傷も負いたくない日本青年が、四人の代表をそこへ送り出していたのである。
今 は昭和元禄などといわれているが、元禄の腰抜武士のことを大道寺友山の『武道初心集』はこんな風に書いている。すなわち「不勇者」は、何でもかんでも気随 気ままが第一で、朝寝、昼寝を好んで、学問は大きらい。武芸ーいまでいえばスポーツだろうが、スポーツをやっても何一つものにならず、ものにならないくせ に芸自慢のりこうぶりばかりをして、女狂いやぜいたくな食事のためには幾らでも金を使い、大事な書類も質には入れるし、会杜の金で交際費となれば平気で使 い散らし、義理で出す金は一文も出さず、またその上からだはこわしがちで、大食い、大酒の上に色情にふけってばかりいるので、自分の寿命にやすりをかける がごとくなって、すべて忍耐や苦労やつらいことができなくなるような肉体的条件になってしまうから、したがって、柔弱未練の心はますますつのる。これを不 勇者 - 臆病武士と規定している。
泰 平無事が続くと、われわれはすぐ戦乱の思い出を忘れてしまい、非常の事態のときに男がどうあるべきかということを忘れてしまう。金嬉老事件は小さな地方的 な事件であるが、日本もいつかあのような事件の非常に拡大された形で、われわれ全部が金嬉老の人質と同じ身の上になるかもしれないのである。しかし、それ はあくまで観念と空想の上のできごとで、現実の日本には、なかなかそのような徴侯も見られない。そしていまは女の勢力が、すべてを危機感から遠ざけてい る。
危 機を考えたくないということは、非常に女性的な思考である。なぜならば、女は愛し、結婚し、子供を生み、子供を育てるために平和な巣が必要だからである。 平和でありたいという願いは、女の中では生活の必要なのであって、その生活の必要のためには、何ものも犠牲にされてよいのだ。
し かし、それは男の思考ではない。危機に備えるのが男であって、女の平和を脅かす危機が来るときに必要なのは男の力であるが、いまの女性は自分の力で自分の 平和を守れるという自信を持ってしまった。それは一つには、男が頼りにならないということを、彼女たちがよく見きわめたためでもあり、彼女たちが勇者とい うものに一人も会わなくなったためでもあろう。
今の日本では、大勢に順応するということは、戦時体制下のアメリカとはちがって、別に徴兵制度を意味しない。何とか世の中をうまく送って、マイホームをつくるために役立つ道を歩むことである。それでは大勢に順応しないということは、何を意味するであろうか。
極 端な例が三派全学違であるが、こん棒をふりまわしても破防法はなかなか適用されず、一日、二目の拘留で問題は片づいてしまう。しかもおまわりさんは機動隊 の猛者といえども、まさかピストルをもって撃ってくる心配はないので、幾らこちらが勇気をふるって相手をやっつけても、強い相手が強い力を出さないで、あ しらって一緒に遊んでくれるのである。幼稚園と保母のような関係がそこにはあるといえよう。
し たがって、いまの日本では勇者が勇者であることを証明する方法もなけれぱ、不勇者が不勇者であることを見破られる心配もない。最終的には、勇気は死か生か の決断においてきめられるのだが、われわれはそのような決断を、人には絶対に見せられないところで生きている。口でもって「何のために死ぬ」と言い、口で 「命をかける」ということを言うことはたやすいが、その口だけか口だけでないかを証明する機会は、まずいまのところないのである。
私 は『武道初心集』を読みかえすごとに、現代の若い“サムライ”が勇者か不勇者かを見る区別は、もっと別のところに見なければなるまいと思う。それは何であ ろうか。それは非常事態と平常の事態とを、いつもまっすぐに貫いている一つの行動倫理である。危機というものを、心の中に持ち・その危機のために、毎日毎 日の日常生活を律してゆくという男性の根本的な生活に返ることである。
男 性が平和に生存理由を見出すときには、男のやることよりも女のやることを手伝わなければならない。危機というものが男性に与えられた一つの観念的役割であ るならば、男の生活、男の肉体は、それに向って絶えず振りしぼられた弓のように緊張していなければならない。私は町に、緊張を欠いた目をあまりに多く見過 ぎるような気がする。しかし、それも私の取り越し苦労かもしれない。
かつてイタリアの有名な小説家モラビアが来たときに、モラビアは私に言った。
「日本の町は青年にあふれている。そして東南アジアの国々を回ってくると、日本へ来て非常に驚く特色は、それら若い人たちが皆、ウォーリアー(戦士)のように見えることだ」と。