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小さな自然、その他いろいろ

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古事記物語  神世七代と  現象世界の創造  

2012年03月14日 13時39分25秒 | 古事記

サイタニのブログから、古事記物語の続きです。

 

 

神世七代  (かみよななよ)
 
 
 
 
別天神(ことあまつかみ)の神様方は、五人に分かれているようですが一人の神様でありまして、神様の世界でも一番中心の世界にいらっしゃる神様であります。(人という字は、一つが心と体の二つに分かれているすがたです。分かれても一つということです)
 
 
五人の神様が、天之御中主神(あめのみなかのぬしのかみ)様のお言葉のとおり、一つ心に結ばれて、お互いの力を出し切りました時、神様がおつくりになった実相世界のとおりに写し出していく地上の世界も、実相世界と同じように砕(くだ)けることがないという国之常立神様(くにのとこたちのかみさま)がお生まれになりました。
 
 
次に、水蒸気の分子を組み合わせて、いろいろな形をっくっていく雲やいろいろの生きものを育てている野原のように、無限に創造していくという働きをもった豊雲野神(とよくもぬの)様がお生まれになりました。
 
 
次に、中心から上にむかって浮かび上がる力をもった宇比地邇(うひじにのかみ)神と、下に沈んでいくカをもった妹須比智邇(いもすひじにの)神が二人で一人の神様としてお生まれになりました。
二人の神様が仲良くしておりますので、地球も太陽も、どの星も、宇宙に浮かぶことが出来ますし、人間は地上を自由に歩けるのです。
 
 
次に、たくましく外にむかってっき進みながら活動していく角杙神(つぬぐい)様と、柔かく、温かく内にこもって角杙神をささえていく素晴しいお力をもった妹活杙(いもいくぐい)神様がお生まれになりました。それはちょうど蒸気機関のピストンが角杙神様で、蒸気が妹活杙神様のお力になるわけであります。
 
次に、内にも外にも、自分にも他人にも、広い大きな心をもって生活し、宇宙全体を家としていくという、意富斗能地神(おおとのじのかみ)(大殿・自家・家内)と妹犬斗乃辯神(いもおおとのべのかみ)様(大殿・他家・家外)とがお生まれになりました。
 
 
次に、理想のものが出そろう、足りる、そして無限にどのような姿になっても働くことが出来るという於母陀流神(おもだるのかみ)様(面足(おもだる))と『神様の世界』はなんというすばらしい世界なのでしょうとほめたたえ感謝・合掌する妹阿夜詞志古泥神(いもあやかしこねのかみ)様がお生まれになりました。
 
 
最後に、伊耶那岐神(いざなぎのかみ)・妹伊耶那美神(いもいざなみのかみ)様という、天之御中主神様の神意のままに現象世界を創造していく男と女の神様がお生まれになりました。
 
 
以上の神様方を神世七代と申しております。(七つの段階がある、ということです)
このようにして神様の実相世界は、円満完全に調和した、とても人問の言葉では言いつくせないほど美しく、楽しく、明るく、生き甲斐のある素晴しい世界に出来あがりました。
 
 
 
注:実相世界とは本当の世界
  現象世界は象(かたち)が現(あらわれた)世界(写し世)
 
 
 
現象世界の創造
 
 
 
実相の世界が理想通りに完成しましたので天之御中主神様(あめのみなかぬしのかみ)は、大変ご満足なさいました。
 
ところが、実相世界は具体的でないので、見たり感じたりできる「現象世界」をつくって、実相世界の素晴しさを写してごらんになりたいとお思いになりました。
(人間は神の子ですから、人間も又、舞台劇や映画ニアレビを創って
楽しむようになっているのです)
 
 
そこで、どのようにつくったなら、楽しく明るく、生き甲斐のある現象世界になるだろうかと、いろいろお考えになりまして、始めに、神界をこしらえてみようと思いました。
 
 
神界は、実相世界に近すぎてあまりにそっくり映り自由自在過ぎるので、ちょうど私達がボールを上手にあつかうことが出来ない時は、何のルールもなく自由に遊んでいるけれども、上達するにつれて、わざと不自由なルールをつくって遊び楽しんでいるように、神界の下に霊界や幽界をつくることにしましたが、
 
その下に物質界を創り、高御座巣日神(たかみむすびのかみ)・神産巣日神(かみむすびのかみ)のあらわれである天と地・光と陰・先生と生徒・職場で働く人とまとめる仕事をる係や社長・男と女・白色と黒色・十と一という二つの正反対の力がかみ合って中心に帰一し、
 
 
天之御中主神様の理想通り一つの目標に結びあった時、実相世界のように、一人一人の人間が主人公となって自由に創造の喜びを味わうようにしたいとお思いになりました
それはちょうど、十の電気と一の電気を使って、部屋を暖かくしたり涼しくしたり、物を煮たり、こおらせたり、電車や機械を動かしたり自由に出来るのですが、神様の理想に帰一しないで火事になったり、人が焼け死んだりすることもあるのですが、それは神の御心ではありません。
 
 
さて、すっかり計画の出来あがった天之御中主神様は、天津神様(あまつかみ)とご相談になってこのお仕事を、
 
 
男女の神様である伊邪那岐(いざなぎ)・伊耶那美命様(いざなみのみこと)にお願いすることになりました。早速お二人の神様をお呼びになって、『貴方達も知っている通り、実相世界は素晴しく完成したので、この世界を映し出してみる現象世界をつくってみたいと思う』
 
 
『貴方達二人は、この宇宙(わたし)の中一杯に満ちている真理と創造の法則を生活を通して修め、実相世界の理想を現象世界に創造し出してもらいたい』
『どうだ、やってみてはくれないか』とにこやかにおっしゃって、天地(あめつち)を一筋に貫く、『真理であり、法則である天(あめ)の治矛(ぬぼこ)』を下さってお願いになりました
 
どうしてご命令なされないでお願いになったのかと申しますと
『させられる仕事より自主的にする仕事の方がはるかに生き甲斐がある
ことを知っていらっしゃったからです。
 
 
お二人の神様は、この素晴しいお仕事に大変感激し、おそれみかしこみ、喜んでお引き受け致しました。天(あめ)の治矛(ぬぼこ)を頂いたお二人の神様は、実相世界から現象の世界に出る、天(あめ)の浮橋(うきはし)に立たれて、暗くただよえる現象の世界を、はるかに遠くうち眺め……
 
『実相世界のままに、現象世界よなれ!』とその完成を心にくっきりとえがきながら、天の治矛を指しおろして現象世界をえがきました時、中心を中心として回転する大宇宙が出来あがりました。
この雄大な大宇宙の創造にカを得て、お二人の神様は、その中に、数かぎりない宇宙の島をつくり、それぞれの中に、さらに小さい天体をつぎつぎと創造(つく)りました。お二人の神様は、玉のような汗を流しながら、まごころをつくし、カを出しつくして真っ暗でなにもなかった大宇宙に、現象世界の大天体を創造し、銀河系の中にある太陽系の星をつくりおえることができました。
 
 
ほっと安心して……天の治矛を引きあげました時 - 今までの汗の結晶がしたたりつもって、おのごろじま(自転する島)がうまれました

 
 
 
 
塩 こおろ こおろに かきなして その矛(ほこ)のさきしただり 落つる
 
 
塩 累積(つも)リて成(な)る嶋(しま)是(こ)れ淤能碁呂嶋(おのごろじま)

 
 
(淤能碁呂嶋(おのごろじま)とは、自転(じてん)する島のこと)


 
 
 
自転島地球 (おのころじまちきゅう)
 
 
 
 
お二人の神様は、この地球がたいそうお気に召されました。
 
月は地球を中心としてめぐり、
地球は自転しながら、他の星とともに、太陽をめぐる。
この太陽系は、もっと大きな、銀河系の中心を中心としてめぐり、
この大銀河系も又、さらに大きな、宇宙の島を中心としながら、
 
『自ら動いて中心に帰一する』
という大天体の動きは、この時から、一分一秒のあやまりもなく、
神の御名(みな)にょつて、
綱や、柱のない大宇宙で、今もなお、無限創造の道を展開しているのです。
 
 
さて、伊耶那岐(いざなぎ)・伊耶那美(いざなみ)お二方の神様はさいごに完成した地球が、大そうお気に召されましたので、そこに実相世界の理想を、スリルと興味にあふれる現象世界のなかに秘め、人間に、神様のような、自由創造の意志を与えて、
 
 
『最高に楽しく、明るく、生き甲斐のある精神を味わうことが出来るように
したい』と天降りになられました。
 
 
地球に天降りましたお二人は、天地(あめつち)を貫く真理を天之御柱(あめのみはしら)とし、その中心真理が、四方八方に展開していく無限次元世界の宇宙を八尋殿(やひろどの)として、真理の法則にしたがって、実相世界に完成した、天之御中主神様(あめのみなかぬしのかみさま)の理想通りに、現象世界を創造することにいたしました。

 
 
それですから、中心に帰一しながら、無限に創造していくという真理は、この天体だけでなく、極微の世界をみても、十の陽電子を中心に一の陰電子がまわる法則となっております。
人問の生活を見てもわかりますように、子供は、自分で好きな活動をしながら、親を中心とした家で生活し、父を中心としている家は、市町村の長を中心とし、市町村は県。県は国国は国会で、総理大臣を中心として政治をしながら、もっと大きな実相世界の現われである 天皇陛下をとおして、政治が常に
宇宙の大神の御心のままであるかと照応しながら、正しく運営されていくのです

 
この原理は個人も学校も、会社も、アメリカであろうと、ソ連や中共であろうと、どこの国でも同じことですし、自然の草木も、天地一切、すべてのものにあてはまる法則であります。この、より大きな中心に帰一しながら(天之御中主神様の御心に帰一しながら)、無限創造が行われている間は、世界は平和で、どれほどの便利さや、幸福がおとずれるか知れませんが、
 
 
より大きな中心に帰一することを忘れて、自分個人を中心にしようと考えたり、党や、宗派や、思想や、国一つを中心にしようとすると、すべては、平和への創造力とはならないので、個人も人類もほろぼしていく破壊力となってしまうのです
 
 
このことは、これからだんだんとはっきり古事記の中に示されてきますので、良くおぼえておいてほしいことです。
 
 
地球に、天降りましたお二人の神様は、いよいよ国生みをすることになりました。
 
 
 
 
 
 
 
 

古事記物語

2012年03月13日 12時40分30秒 | 古事記

サイタニのブログか らの転載です。

とても面白い古事記の解釈を転記しておられます。古事記は日本最古の憲法という解釈、非常に斬新な見解ですが、でも納得できる気がします。

古 事記は日本人独特の感性が満ちあふれた物語であり、まさに日本人の宇宙観、世界観であり、国家観、人生観、自然観であると思います。これが天皇の帝王学と して書かれたというのも、天皇とは祭祀王ですから、たしかにその通りではないかという気がします。そしてそれゆえに古代においては、 帝王学としてかかれたものは、すなわち憲法であるというのは、納得できる気がします。

憲法十七条は、これは官僚の心得としての憲法でありますが、古事記はそれよりも格上の憲法であり、これは非常に大切なことである気がします。古事記には天照大御神の御神勅が書いてあり、これはわが国にとっての、最高の不文憲法であると思います。

 

はじめに
 
 
古事記は、和銅五年(西暦七百十二年一に書かれたもので、国宝真福寺本「古事記」は、一番古い写本ですが、誤字が多いとされている。誤字の理由は、中国を含む文献に用例がない。ということと、学者によって、古事記の解釈に根本的な考え方の違いがあるために、読み方が異なってくる。そのために「誤字である」とされているのである。 (勿論、明らかな誤字脱字もある)
 
 
古事記の序文では「日本語を漢字で書くことは難しい。それで、音と訓を合わせ用いて・辞理の分かりにくいのは注をつけた」と書いている。しかし、現在出版されている古事記で、この注の通りに読んでいる本はない。
 
 
例えぼ、高天原の天は「アマと読め」と注が付けられているのに、タカァマハラと読んでいる本はほとんど無い。音便で変化したのだからこれで良い。というのである。
 
 
しかし、当時わざわざ注を付けたのは「音便で変化させては真意がなくなる」からだったのである。また、書かれている文字の通りに読んでいない。特に上巻では、「言依(ことよ)さしたまいき」という依願の書き方を「○○せよ」と命令の意味に解釈している
 
 
この解釈で、古事記の自他一体観を、自他対立の考え方とし「独裁者」の存在を許すような読み方にしたのである。誤字と言われている漢字を、古事記や日本書紀の精神に基づいて、調べ直して読んでみると、中国の儒教や仏教、王道や覇道とは根本的にことなっている。それは、日本民族の直観し得た、「宇宙や万物の創造原理。そして、人類平和への偉大なる予言の書。」となっているのです。
 
『古事記伝』(本居宣長著)を研究した小林秀雄は「古事記は憲法だった」と語っている。古事記は「稗田阿禮(ひえだのあれ)に勅語して」書かれたものである。当時「勅」は公式文書であり、勅語は、口頭で命じたものである。それは、何を意味するのかと言えば、古事記は「天皇家の帝王学として書かれたものである。その意味では憲法だった」ということになる。
 
憲法では、聖徳太子の十七条憲法が有名である。一に和を以て尊しとし、二に篤(あつ)く三宝(仏・.法・僧)を敬い、三に天皇の詔を受けたら必ずつつしんで従え。といっている。
 
しかし、古事記の精神からすれば、これは、間違いである。古事記の精神では、「天照大御神(あまてらすおおみかみ)の神勅(しんちょく)に従って神習う」のであり、「民は歓喜(よろこび)楽しむ生活をしているかどうか」によって、政治の善し悪しを反省するのである
 
 
そのために「私情を捨て、思想の中立をはかる心身潔斎(けっさい)をする」それが「神道」である。この第一眼目が頭書に述べられていなければ、いくら内容がよくとも、やがて世を惑わすことになるのである
 
古事記に基づく精神は相対的考え方や契約的杜会観念では、理解し難いものがある。また、宗教的感覚では、もっと根本的な誤解が生ずることになる。これは、日本本来の親子の生活感情が、もっとも良い理解の糸口である。
 
 
昭和天皇の御生涯は、身をもってこの道を明らかにしたもうたのである。けっして、個人の御考えでの生き方ではない。常に 天皇家の歴史的生き方をなさったのです。おそらく、昭和天皇の御生涯が御歴代最高にましましたことは、古事記の精神が杜会に理解されてきた時、明らかな事実となって「私たぢすべての人間が平凡な生活のままに、帝王の生き方をする」という古事記の精神を常識とすることが出来るでしょう。
 
人類共に、万世の為に太平を開く、協補・共存・共栄の日常生活を祈ります。
 
 
平成元年昭和天皇大葬の日
                           現代に生きる古事記研究会


転載元 転載元: サイタニのブログ

 

 

惟神成り座す天神(かんながらなりますあまつかみ)
 
 
昔……昔 ー 大昔のお話です。
どのくらい昔の事か。と申しますと、この宇宙には
地球も-
太陽も-
星も…:
星雲も無かったほど、昔のことです。1
 
そこは、現在科学的には真空といわれている世界の、そのまたもっと本質に近く、高天原(たかあまはら)とよばれている、理念と法則(命(みこと)・言(みこと)・事(みこと))の世界です。
 
 
その高天原には、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)という神様お一人の言葉だけが鳴り響いておりました―

 

天之御中主神様は永い間、何も想う事なくいらっしゃいましたが、やがて、『明るく - 楽しい -世界を創りたいものだ……』とお思いになりました。
天之御中主神様の神意(みこころ)に、明るく・楽しい・円満完全な理想が
完成しました時 ―
 
 
高御座巣日神(たかみむすぴのかみ)という、天之御中主神様の理念を司(つかさど)る内面(こころのなか)の神様と、神産巣日神(かみむすびのかみ)という、天之御中主神さまの理念を、現象世界に表現していく、正反対の方向を司るお力を持ったお二人の神様がお生まれになりました。
 
お二人の神様がお生まれになりましたので、高天原には三人の神様が並んでおいでのように思われますが、この神様方は、三人で一人という、独神(ひとりがみ)の神様なのです。そして、お姿は現象世界に見せる事のない、隠身(かくりみ)なのであります。―
 
三人がお一人で、その上、お姿をお隠しになつているのはどうしてかと申しますと、天之御中主神様は、木の種を宇宙としますと、その種の中一杯に満ちている生命のようなお方だからです。それはちょうど
 
 
 ―  桃の種を地面に蒔(ま)きますと ―

根は、土を分け、岩を溶(と)かして、大地の中にしつかりと根を張って、幹や枝葉をささえ、養分を吸って幹へおくり、その植物の名前の通りに成長させます。このおカが高御座巣日神(たかみむすびのかみさま)のお働きであります。
 
 
 
 
 
 
 
は、根の力に従って地面に出てきて、さわやかな緑の枝葉を空高く茂らせ、太陽の光から養分をとって幹へ送りながら、ぐんぐん上へ伸びいきます。このお力が神産巣日神様(かみむすびのかみさま)のお働きであります。
 
 
この時、であった天之御中主神様(あめのみなかのぬしのかみさま)は、(高御座巣日神(たかみむすびのかみ))(神産巣日神(かみむすびのかみ))に分かれても桃の木(高天原(たかあまはら))という一つの名前の樹木(世界)なのですが、お働きとしては、中心の幹で一つに帰一させながら、枝葉から送られた養分を根へ ― 根からの養分を枝葉へと送って桃の木が大きく成長する、という『理(ことわり)』をお創りになりました。
 
 
このように、唯一つの理念三つの働きに分かれそれぞれの役目をはたして現象に表現し更に元の理念に帰っていくという繰り返しの成長によって、桃の木は大きく伸びて、美しい香りある花を咲かせ、おいしい実をならせることが出来るのです。
 
 
隠身(かくりみ)というのは、『桃の木の、姿・形という身に隠れていながら、それを表現している力法則・生命等の世界』ですので、目に見る事は出来ないけれども写し出している本当の神様ですというのは、かくりみのカミであり二つの正反対のお力が一つに噛(か)み合って新しい世界を創る噛みのカミであります
 
天之御中主神様は、高御座巣日神に思わしめ、神産巣日神様に表現させてみました
『明るく、楽しい世界は、少しの時間もかからずすぐ写し出されます』天之御中主神様は、大変お喜びになりました。
 
 
ところが、神様は、原因も結果もすぐわかってしまいます。それに、もっと困った事には、初めて写し出した時は大変満足するのですが、同じものを二度写してみると二度目には、それほど楽しくなく、五度、六度となると、何も感じなくなってしまうことでした。
 
 
『明るい ― 』ということも同じでした。「光を ― 」と言って、初めて光の炷(とも)された時は、吾ながら感動したのですけれども、明るさにもすぐ憤れてしまって、何も感じくなってしまうのです
 
 
本当に歓喜(よろこ)び … 咲楽(たのし)む世界を創るには、どのような『理』をつくったなら良かろうか ― 
 
 
いろいろと天之御中主神様はお考えになりました。そこで考えついたことは、『何でも、原因・結果がすぐ分かってしまうから面白くないのだ-ということです
 
 
それで、ものごとのはじまりの時は、水に浮いている油のように、『どうしたら楽(よ)いか』と思い、考え、楽しむことと、あれこれと考える中から、実際は自他は一つなのだけれども、正反対に見える力や正反対の方向にむかう力や、その力がうまく噛み合っていろいろと、美(うま)し国や事や物をつくり味わい楽しむ宇摩志阿斯詞備比古遅神様(うましあしかびひこじのかみさま)と、
 
 
『空手自(くうしゅみずから)ら立って、天之御中主神の理想をより具体的な世界に現象化していく』という無限創造の天之常立神様(あめのとこたちのかみさま)が成(な)り出でました。この二柱の神様も並んでいるように見えますが、この神様は、天之御中主神様の心が『味わう情感(こころ)』、『行動の悦び』『理』をつくる
ことによって、 - 本当に歓喜(よろ)び…… 咲楽(たのし)む世界-としたのです。
 
 
この五柱(はしら)の神は、実相・現象一切の中核にいますとともに、すべてであるという、特別な、天之御中主神様、そのままの世界です。
 
 
この神様の世界は、特に尊びまして『別天神(ことあまつかみ)』と申し上げております。
 

 
神世七代  (かみよななよ)へ続く