遍路の心

鮒の里.四国遍路19番立江寺近く.お接待処.民宿

魚眼で見る遍路...鮒の里より

2007-11-30 18:24:51 | Weblog
  四国遍路道もだいぶ寒くなってきました。お遍路さんの歩く姿も少なくなって遍路道に師走の風情が色濃くなってきました。遍路宿もだいぶ休むようになってきています、来年の春まで遍路さんの姿が見えないのが寂しく思います、ただ師走。睦月。如月に遍路に来られる遍路さんを見ていると、何故か、哀愁漂う遍路姿で、どこかの映画をみているような気がします?無口な遍路さんに、お接待していると目は口ほどにものを言う、そんな気がする今日この頃です、今日も枯れ葉の舞う遍路道を遍路がひとり.....
               立江川の鮒より....
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魚眼で見る遍路...鮒の里より

2007-11-29 08:59:06 | Weblog
  お接待の文化について
近頃、新聞、テレビで接待の言葉が不愉快な言葉に聞こえてきます。本来接待とは相手のことを、思いやり、また自分のできることで、相手に気遣いをさせない程度の接待をするのが、本当の接待と思いますが、近頃あまりにも見返りだけを、求める、接待だけが言葉として使われているように思います?            四国遍路道のお接待は、お遍路さんとの一期一会の思いで、接待をさせていただく、接待を受けるお遍路もその接待を心よりありがたく受ける?その気持ちと相手の思いが通じるのが、本当の接待であって、相手のたちばになって、相手を、思いやる、それが接待の意味だと思います.

                   立江川の鮒より...
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魚眼で見る遍路。...鮒の里より

2007-11-12 11:48:02 | Weblog
  脳梗塞のリハビリの為に遍路に来たお遍路さん、6か月かかって88番大窪寺を、結願して、高野山にお参りをすませ、福岡に帰る途中鮒の里に立ち寄ったそうです。そのお遍路さんの話しでは、長い苦しい遍路道、何回もこんな苦しい遍路道を、リハビリの為とはいえ歩いていると、自分の体がだめだと思って帰ろうと思ったそうです。ところが高知、愛媛と歩いていると、自分はバスに乗ろうと思っているのに、自分の意識とは違う別の力が働いて、また歩きだすのだそうです。     それが何かわからないが、1日、2,3キロだったのが、10キロも歩けるようになったそうです。お遍路さんが言うのに、四国の遍路道には何かわからないが、いままで自分の中になかった、もう一人の自分を見つけてくれる、長い苦しいお遍路道かも、知れないと言っていました。
                  立江川の鮒より、.. 
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魚眼で見る遍路。..鮒の里より

2007-11-11 08:00:51 | Weblog
   今年の春であった。男の遍路が、杖をつき足をひきながら鮒の里にたち寄った。私はあまりの不自由さにびっくりしました。遍路さんこれから鶴林寺に行くのですかと、たづねると、行きますのこと、私はとてもこれからでは無理と思い、お遍路さんに歩けるだけ歩いて、だめと思ったら電話しなさいといいました。
 夕方電話があり迎えに行くとお遍路さん脳こうそくで2年間ベットで治療を受けていたそうです。病院ではあまり目標がないので、リハビリのつもりで遍路にきたそうです。1番から19番までに1か月かかったそうです、これから88番までいくのですかと尋ねると、なんのちゅちょなく、いきます。との返事でした。人間一つの想いを、決めるとすごい精神力になるのだなと、思いました.         遍路さんとの色々な話しは、また後にして6か月後そのお遍路さんが鮒の里にまた来のです.  
       次にそのお話をします.
                    立江川の鮒より、....

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魚眼で見る遍路。..鮒の里より

2007-11-05 07:10:45 | Weblog
 般若心経、は智慧のお経ともいわれる。智恵ではなく、智慧である。私たちがもっている、智恵ではなく,智慧である。私たちがもってる知恵とは、此岸の知恵だといわれる、つまり、迷いや煩悩にこだわった知恵である。般若心経が説いているのは、彼岸の智慧である。彼岸に渡る、つまり空の境地を得てこそ得ることが、できる、本当の智慧のことである。さらに、般若心経は悟ったことすらこだわるなとも教えている…空、とはレッテルを貼らないこととも解釈される。つまり、差別しないことである…皆がすべて仏さまである…皆で仏さまの国に行こうと説いているのである。                                            仏教早わかり百科、 参照                                         立江川の鮒より
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魚眼で見る遍路。..鮒の里より

2007-11-03 13:39:50 | Weblog
 般若心経は、わずかな文字数で深遠な、空、の境地を説いた教典である。
大乗仏教が誕生する前の小乗仏教では煩悩にこだわっていた。煩悩をなんとかなくそうと教えを説いていた。しかし、般若心経説いた教えは、煩悩などにこだわらなくてよいと、いうものであった。執着する心を捨て、こだわらない心をもてば。空。の境地が開ける。これこそが真理であり、一切の苦しみを取りのぞく道であると、説いた。小乗仏教がこだわり、克服しようと苦悩した。生,老,病、死、などの苦にこだわるな。と教えている。しかも、こうした教えは出家僧だけではなく、すべて人々に対して説かれたものである。こうした理由から,般若心経。確信的
な経典であり、大乗仏教の根本経典といわれるのである。                 主婦と生活社。仏教早わかり百科、参照                                      立江川の鮒より
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魚眼で見る遍路。..鮒の里より

2007-11-02 11:31:45 | Weblog
般若心経とはどんな経典 ?                     正しくは、摩訶般若波羅蜜多心経。または般若波羅蜜多心経という。数ある経典のなかでも最も有名なお経であり、またよく写経に用いられるお経でもある。日本にはサンスクリット語で書かれた 、最も古い(般若心経) が法隆寺にのこっている。これ推古天皇の時代の609年に日本にもたらされたといわれている(貝葉) といい、パットラ.ターラという、植物の葉に書かれたものである。
般若心経、の原典は大きく分けてサンスクリット語小本と大本の二系統がある。また、チベット本もある。漢訳された、訳本は玄奘三蔵のものが一番普及している。般若訳鳩摩羅什訳、法月訳、法咸訳など七種類の訳本がある。私たちがよく見るものは、玄奘訳のものである                                       株式会社(主婦と生活社)の仏教早わかり百科参照
                                                                     立江川の鮒より 
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魚眼

2007-11-01 07:28:14 | Weblog
    お経を伝えたり訳したのは誰か。
 中国からインドまで教典を求めて旅をしたことで有名なのが7世紀玄奘三蔵である、西遊記、でその活躍が知られる。玄奘は657の教典を持ち帰り、中国語に翻訳した。ちなみに三蔵とは、経律論のことで、これに精通した僧侶のことを三蔵といった。なかでも最も有名なのが玄奘であった。玄奘よりも以前にし経典を持ち帰り翻訳したのが法顕である。4世紀の末に中国から西域、インド、セイロン、などを14年にわたって旅をし多く教典を中国に持ち帰った。鳩摩什も教典の翻訳に従事した西域の僧侶である。401年に長安に入り、多くの教典を翻訳した。すぐれた翻訳を残し、現在でも利用されている。ほかにインド人の僧侶、真諦や中国唐時代の義淨なども翻訳した、日本にも遣随使や遣唐使として留学した僧によって多くの教典がもたらされた。.....立江川の鮒より
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