遍路の心

鮒の里.四国遍路19番立江寺近く.お接待処.民宿

漁眼で見る遍路....鮒の里より

2010-03-30 08:09:23 | Weblog
     無駄な自動車専用道路

 現在、18番恩山寺より、22番平等寺方面に自動車道路が建設されている。約10キロくらいの距離ですが、地元の住民とすれば何故、今日の財政破綻の現状で無駄な公共事業をするのかわからない、雇用促進の為と言われればしかたがないが、コンクリートから人へと民主党は言っているのにこれでは自民党政権の政策と同じではないかと地元住民は怒っている。たとえ100歩譲って地元に進入路でもつくなら少しは利便性はよくなるが、ただ無用の長物が地元の生活を分断し排水を悪くするだけのことにしかならない、それも地元住民が納得しているならまだしも、用地買収もできていない、トンネルとか河川の橋の工事だけ国の管理する土地だけに工事予算を付けて、道路建設ありきで工事が進められている。
 前原大臣は民主党の政策をぶれずによく頑張っていると思っているが、平成維新なので何もかも、簡単にできると国民は思っていない、でも、大臣に地方の現状を知らせないようなことが現在起きていると思う。地元の人間とすれば、コンクリートから人へのスローガンのとおり、せめて四国遍路道の歩き遍路道にわずかの予算を付けていただければ地元住民はボランティア活動でお手伝いができると思います。我々は四国遍路の何千年の歴史の中で培われた日本人本来の心の文化を伝えて行きたいと思っています。

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2010-03-27 09:36:43 | Weblog
    上下八層からなる、地獄に定員はない

 地獄には、等活地獄、黒縄地獄、衆合地獄、叫喚地獄、大叫喚地獄、焦熱地獄、大焦熱地獄、阿鼻地獄、という名前がついており、下層に行けば行くほど苦痛はより激しくなる。
 この世で生きて生活をしている者は、どれかの地獄に行かねばならない、自分だけは地獄に落ちるようなことはしていないと思っている者がほとんどだろう、極楽と言うところもあの世にはあるらしいが、ほとんどの人間は何らかの懺悔をしなければならないだろうと思う では、どうすれば懺悔できるのかが問題だ、まず、自分の生きてきた中でどのような事柄が懺悔を必要か思い出すのが肝要であると思う。
 十善戒をとなえながら思い出すのが一番よくわかるだろう、十善戒の教えからすれば、人間生きていることが地獄に落ちることかも知れない。少しでも軽い地獄に行けるように四国遍路道で懺悔しながらの、歩き遍路道かも知れないですね。


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2010-03-25 08:17:50 | Weblog
     戦友みたいなお遍路さん

 今朝旅だった二人ずれのお遍路さん、一人のお遍路さんが足を痛めて鮒の里に着いた。もう一人のお遍路さんは元気で何も心配なさそうでした。この団塊世代のお遍路さん3日間、鮒の里で一人のお遍路さんの足の回復を待って旅立った、足を痛めたお遍路さんが何日も宿泊するのは珍しくないが、この、お遍路さんを見ていると、まるで、戦場で負傷した仲間を置いて出発することができない戦友みたいだ、足を痛めたお遍路さんは気遣っているようだし、元気なお遍路さんは相手のお遍路さんを気遣っているようだ、夫婦の遍路でもこのようにはならない、たぶん、長い間の付き合いの中から生まれたことなんだろうなと思いました。男同士の他人には理解のできない友情かも知れないですね。

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2010-03-22 10:22:45 | Weblog
    生があれば死があり、幸いがあれば災いがある

 今朝旅立ったお遍路さん、奥様の看病しながら元気になったら四国遍路に二人で行こうと約束をしていたそうです。残念ながら看病の甲斐なく彼岸に逝ったそうです、看病をしながら奥様に自分が背中に背負ってでも、お遍路に連れて行ってやると言って励ましてきましたがその約束は果たせませんでしたと言いながら、胸につった写真を見せてくれました。奥様もお遍路さんの気持ちがよくわかっていると思いますよ。
 人生は、みな二つのことがらで成り立っています。生か死か、幸か不幸か、苦か楽か、表か裏か、強いか弱いか、若いか老いか、損か得か、人生は二つの比較で笑ったり、泣いたりしているのだから、この二つの感情を克服できるように四国遍路道を歩いているかも知れませんから、元気でお遍路道を歩いてくださいと言いました。

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2010-03-19 08:34:33 | Weblog
     娘、巡礼

 今朝、旅だった20才の娘お遍路さん、少し気になったので何かありましたかと聞いてみると、お母さんがかなり悪い病気らしい、20才の娘さんのお母さんだからまだ若いお母さんだろうと思った、娘さん多くは話しませんがお母さんの病気回復の祈願のために四国遍路道を歩きに来たらしい、20才という若さで母親の為に遍路をするという気持ちなることが今の若い者にあるのがうれしかった。今の日本が本来の日本人に少しでも戻ろうとしているようにも思えた。お釈迦さんの説かれた慈悲の心そのものの気がしました。


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2010-03-18 09:50:21 | Weblog
     呑舟の魚、枝流を游がず

 3月の月は自殺者が多くなってくる、仕事、就職、人生の節目になってくる時期で、いろいろな悩みが起きてくる、人間という生物は小さな心で悩んでしまう、世の中思うようにいかないのがあたりまえで、思うようにいくならカニも横には歩かない、吉田茂の名言ではないが、舟を飲み込むぐらいの魚になって小さな場所でくよくよせずに自分に自信を持とうではないか、遍路の笠に書いてあるように、悟が故に十方空なり、のとうりですよ、しょせん人生とはあの世に逝くまでは空しさとの戦いであると思います。急いであの世に逝かずともかならずその日がやって来ます。大きな魚になったつもりで人生を過ごしませんか、そうすれば、また、変わった日々があります。

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2010-03-16 06:08:34 | Weblog
    脱藩、離党
 
 鳩山邦夫が自民党を離党することをテレビで見ました。そのときのコメントで龍馬のことを、ひきあいに出した話をしているのを見てくだらない政治屋だなと思った。龍馬が生きていたら馬鹿さ加減にうんざりしただろうと思う、鳩山邦夫という人間は大家のぼんぼんそのものである、自分だけが天下、国家、庶民を思っているように勘違いも甚だしいのだ、まるで安物の芝居を見ているようだ、自民党もこんな者が離党をしてくれたらくつろいでいるだろう、鳩山邦夫について行く政治屋がいたらまるでお笑い喜劇そのものである。
 現在の自民党の本質が庶民によくわかる現象だろう、自分だけが目立とうと一生懸命なのだ、国民のことを考えている政治屋なんて誰一人としていない、まるで役者気分であろうと思う。そのような者に投票した国民も馬鹿な者だと思うのだが、国民も政治屋の本質を知ることが肝要だと思う。 
 今の政治屋諸君、4年に一回は四国遍路道を歩くようにお奨めしたい、遍路道を体験すれば少しは政治のなんたるかがわかると思うが、いかがかな・・・・

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2010-03-13 09:57:54 | Weblog
     ほんまに、死にとうない

 般若心経入門の中に「仙の臨終」という文章がある、昔、博多に仙という禅僧がおりました。ひょうひょうとした性格で、書画も巧みで現在でも高く評価されています。その死に際に、弟子達が高僧の最後にふさわしい後世に残る名言を引き出そうと、ずばり、「師よ、死にたいですか」と聞きます。枕元に集まった関係者は、臨終の至言を一語も聞き逃がすまいと耳をそばだてました。師は重い口を開いて、「死にとうない」一同は唖然として、そんなことが世間に伝わると仙の徳風が地に落ちると思い、弟子達が重ねて「死にたいですか」と祈るように聞き直しました。「死をみること帰するがごとし」とでもいってほしかったのでしょうが、またもや「死にとうない」と答えたそうです。それどころか三度聞かれるのをうるさがって「ほんまに、ほんまに、死にとうない」とだめを押すようにつぶやいて逝ったといわれます。
 四国遍路道を歩いているお遍路さんの中には、自分は四国遍路道で死ねたら幸せ者といっているお遍路さんが多くいるが、人間死ぬということはそう簡単なものではないのだから、いつまでも元気で生きて、医者のお世話になるのをなるべく短くするのが四国遍路道を歩く悟りでもあると思う。

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2010-03-12 10:32:16 | Weblog
    人間の成長の不思議

 母の胎内でいるときはわずか数ミリの命が10月10日で何千、何万倍に成長する、胎内の一日は生物が成長する何万年にもなる。わずか10月で体型も頭脳も心までも成長するのに、この世の中に生まれたら人間は成長せずにおなじ過ちを繰り返すのだろうか、人間の命の長さと比例して体型、能力、は成長しているようにも思えるが、心は何も進歩、成長はしいのが不思議だ、人間はそのことに気が付いているのだが、自分自身どうすることもできないもどかしさがあるようです。
 この世の中で生活をしてきた経験で、ある程度はわかってきているのだが納得できる結果が見つかっていないのだ、四国遍路道を歩いているお遍路さんを見ていると何故かそのような自分の心の中で葛藤をしながら歩いているような気がする。

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2010-03-11 16:43:15 | Weblog
      桜が咲いた
 土佐の高知にソメイヨシノが咲いた便りが届いた、今年は10日も速い開花のようだ、やがてお遍路さんが桜の下を歩く季節がやって来た。今、阿波の国より遍路に旅立つと四国遍路道を桜の花のお接待を受けながら徳島、高知、愛媛、香川と遍路道の桜街道を味わえる。
 遍路道の一番いい季節になってきましたが、歩くお遍路さんは聞くと見るとは大違いで、さくらを楽しんで遍路をすることにはならぬ事を覚悟のうえでお遍路道を体験してほしいと思います。

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