遍路の心

鮒の里.四国遍路19番立江寺近く.お接待処.民宿

鮒の里 

2012-09-26 08:52:05 | Weblog
日本の文化は中国の影響だと思うが、?????

 日本人の文化は、孔子の教えが大きく影響していると思う。仏教文化にしてもインド、中国より伝わったものだが、中国には現在その教えが継承していないのか日本人には理解できない行動をとっている。共産党いう人間をロボット化してしまう教育が今日の中国の現状なのだろう。群衆心理をコントロールできる共産党の教育は今回の尖閣の問題で良くわかった。しかし、日本は右頬を殴られれば左頬を出しているのだから凄い国民だと思います。
 これからの日本は中国、韓国、北朝鮮、ロシアとどのように付き合えばよいのかわからなくなっているのが日本人の本音だろう。話せばわかるというような次元ではないと思う。長い間日本人は平和という空想の夢から覚める時期が来ているのかも知れない。



                       立江川の鮒より 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鮒の里  

2012-09-24 06:00:19 | Weblog
      さすとなき日かげは軒にうつろいて

               木の葉にかかる庭のむら雨

                             「永福門院」

 この間、鮒の里の軒下でにわか雨をしのいでいた大きなリックを持った歩き遍路さんが縁側で休んでいた。野宿をしながら遍路を歩いているのか、色々な荷物を持っていました。その時の情景が、さすとも見えぬ、あわい日の光りが、野端にうつっていて消えたと思うと、ばらばらと桜の落ち葉に音をたてて降りかかってきた、庭先のむら雨よ、
 まるで歌の世界を見ているようだった。私がお遍路さんに、お茶でもどうぞと声をかけると有り難うございますと返事が返ってきた。歳の頃は四十才くらい手、顔は日焼けで黒くなっていた。あごひげが伸び放題という感じです。色々な話をしましたが話の内容は書くだけ野暮なので、人間諦めたら駄目ですと言ったことでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鮒の里  

2012-09-21 09:12:10 | Weblog
     秋夕


 風に聞き、雲にながむる夕ぐれの秋のうれへぞ、たえずなりゆく


                                  永福門院内侍

 遍路道に彼岸花が咲きみだれ、お遍路さんが歩いている情景は毎年おなじ光景だが、春のお遍路さんより何故か遍路道になじんでいる気がする。所詮、遍路道というのはわび、さび、の世界かも知れない。春のお遍路さんも遍路道にはなじんだ景色だが、桜の花の咲きみだれた遍路道より、桜の葉が秋風に裏をみせ表を見せて散っていく遍路道を、歩くお遍路さんは何も語らなくても哀愁が感じられるような気がする。



                         立江川の鮒より                          
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鮒の里  

2012-09-18 08:44:56 | Weblog
      泣き面に蜂の日本政府

 民主党政権、まさに、泣き面に蜂の状態です。1000年に1回あるかないかの地震にみまわれ、原発の事故、中国の暴動騒ぎと次から次ぎへと難題が起きてくる。
 しかし、大物なのか、どうすることも出来ないのか、動じないのが国民は安心してよいのか不安な気がする。現在、民主、自民も自分達のことで国家のことなど気にならないようだ。中国の国民は顔は日本人と見分けが付かないが、考えは180度違う考えなのだ。いくら日本が過去の出来事のお詫びという日本人らしい考えで付き合っても中国人には何も感じていないのだ。今回の騒動を見ていると何の教育もしていない、たんなる野蛮人ではないか、日本人の人の良いのがあだになっている気がする。

 中国人と付き合っていくのは、日本の常識を捨て去って付き合うことが必要だと思います。




                      立江川の鮒より
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鮒の里  

2012-09-16 06:01:17 | Weblog
   金のブルジヨアがあるならば、時間のブルジヨアという名もあっていい。

                           吉川英治、より

 まさに、へんろ道は時間のブルジヨアの際たるものだ。いらぬものを捨て去って風とともに時間を気にせず、自分の時間の中でへんろ道を歩くなんてこんな贅沢は現在の世の中ではないと思う。今までの自分とは価値観のまったく違った世界を味わって、心を潤すことが今日の日本人にとって一番大切なことかも知れません。




                        立江川の鮒より
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鮒の里  

2012-09-14 04:41:34 | Weblog
倒木更新

 エゾマツは倒れた古木の上より新しい新芽が育つてくる。現在の日本は政治、経済、災害、様々の分野で倒産、自己破産、何もかもがいきずまっている。だが、日本人は今までにどんな苦しいときでも諦めずに立ち直ってきたのだ、戦後何もかも焼け野原になり、原爆という世界で初めての人間による仕打ちを受けてきた。でも、日本人は諦めずに今日までになってきたのだから少しばかりの不孝ぐらいは耐えていけると思う。
 長い間、平和という幻想の世の中で生活をしてきたので、今日の日本を世紀末の如く嘆く人達もいるが、今までが夢の世界であって現在が普通と思えば楽なものだ。
 エゾマツの如く倒れた古木を肥やしに諦めずに頑張っていけば必ず新しい日本がよみがえると思う。




                      立江川の鮒より
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鮒の里  

2012-09-13 05:04:57 | Weblog
フランスより四国遍路に来た、言語学者の先生

 この間、フランスに永住している日本人のお遍路さんが学生さんと遍路道を歩きに来ました。四国遍路道に何があるのか体験しに来たのかも知れないが、遍路というよりもなにかの研究をしているように思えた。どこまで遍路道を行くのかも知れないが、学生相手に講義をしているのとは少し違っているのにやがて気がついてくれるかも知れません。机上の遍路道の理解とはかなり違うことを身をもって体験するのが、フランス人の学者先生も自分が日本人と気が付くのではないだろうか、???????




                     立江川の鮒より
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鮒の里  

2012-09-11 08:24:15 | Weblog
年功序列の日本の文化

 日本人はとかく年功という価値観で物事を判断する。たしかに長い経験は大事なことではあるがあまりにも年功にこだわると、大局を見過ごすことがあると思う。
 人間には経験、努力、勤勉さだけではどうしようもないことがある。生まれつき才能、運、巡り合わせ、神のみぞ知る世界があると思う。その時代が必要とした人材が現れた時は、年功序列という枠組みを取り去ってみんなが支援することが、今日の混迷した日本には一番大切なことだと思います。
 どこかの、党首選びに長老の意見を聞かなければ党首さえ選べない党に日本国民は何の期待が出来るのだろうか、これからの日本を託すには今の時代に必要と天が世に送った人物を支援するのが懸命と思います。



                   立江川の鮒より
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鮒の里 

2012-09-08 11:19:53 | Weblog
      引導を渡す

 何かをあきらめさすとき、誰かと縁を切るとき、その最後の宣告をすること、本来の引導は「誘引開導」という法華経の中の言葉。人々を仏教の道に導きいれることを意味している。また、人が死ぬと葬式のときに僧が死者に引導を渡す場面がある。
 これは、心と肉体が消え、煩悩のない世界である涅槃へ、死んだ人を導く儀式である。そこで、今回の衆議院の選挙のときには、国民がお坊さんにかわって、既成政党の政治屋の人達に引導を渡し、煩悩のない涅槃の世界に導いてやらなければならないと思います。これが、せめてもの馬鹿議員への国民の思いやりと思います。                                               追伸

  近くのお坊さんにお願いします。馬鹿議員たちに引導を渡してやって下さい。引導を渡すのは、お坊さんの本分であると思います。                                                                      



                           立江川の鮒より

                        
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鮒の里 

2012-09-05 11:36:27 | Weblog
     人間は自分のためにだけでは、頑張れない


 近頃、結婚をしない若い人達が多くなってきている。色々な理由はあるのだろうと思うが、自分一人で一生過ごすとすれば、様々な場面で頑張る必要がなくなってくると思う。人間は誰かのためにだから頑張れるのではないだろうか、家族、仕事、世の中の色々な出来事のために頑張ってみることが生きている証だと思う。
 たとえば、これからの人生で自分一人かいないとすれば、何の努力も頑張りも必要ないわけだから社会全体が成り立たなくなることだろう。現在の世の中が頑張ろうと思えない世の中かも知れないが、全部の人間が頑張ることを拒否してしまったら、歴史が終わったことになるだろう・・・・・・・・
 我々小さな人間でも、誰かのために役立っていると思って、頑張って生きていくことが幸せにつながるのだろうと思えます。



                        立江川の鮒より
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする