遍路の心

鮒の里.四国遍路19番立江寺近く.お接待処.民宿

漁眼で見る遍路....鮒の里より

2009-10-29 07:07:01 | Weblog
    時間のブルジョア

 世間には、鳩山総理のように地位も名誉も財力もあるブルジョアは、多くこの世の中にはいると思う。しかし、時間を思いっきり贅沢に使える人は今の世の中にさほど多くはいないと思う。
 我々、庶民は時間という人間にとって一番大事なものを沢山持っているのではないだろうか、価値観の持ち方で庶民は時間のブルジョアという考えがあってもいいと思う。では時間の使い方をどう使うかが大事である、損得勘定なしの時間といえばなかなか使い方が無いものだ、心の癒し、価値観の転換、ボランテア活動、様々な分野で時間は必要としている。
 今日のよぅな時代だからこそ、時間のブルジョアになってみてはいかがかな、

                       立江川の鮒より
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漁眼で見る遍路....鮒の里より

2009-10-25 08:37:42 | Weblog
    常識や知識をわすれ、思いつきを大切にする。
                          松下幸之助、名言より
 
 人間とは、常識、知識、慣例、慣習を基本に物事を考えるようだ、今の世の中を生きていくにはそれを否定するわけにはいかないのだ。
 ではどうすれば今の生活を忘れる手段があるのだろうか、今までの価値観を基本から変えてみることが一番だろう、狭い日本でそれを体験できるのは四国遍路道だろうと思う。
 騙されたと思って四国遍路道を歩いてはいかがかな。

                       立江川の鮒より
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漁眼で見る遍路....鮒の里より

2009-10-20 10:27:44 | Weblog
   人生はさとるのが目的でない。ーーーーーー
                         岡本かのこ、名言より、
 お遍路さんが、さとりとはどういうものかと聞く、さとりとは生きること、一生懸命生きるものだ、一生の間には喜びや悲しみ、希望や失意、尊敬や嫉妬、いろいろなことを経験する。きれい事ではなく、もがきながら味わって生きていくことが悟りではないだろうか、四国遍路道はその時代、その時代の人間の生きざまの、遍「あたり」を見ながら遍路旅をするのが遍路道である。
 公園のように綺麗に完備された道ではないのだ,人生の道のりは完備されてはいないようにです。
 
 遍、「あたり」を見まわして、道、路を他害無き歩みが己が安心安泰を、手にする路、       
                      遍路の地、あいの会

                          立江川の鮒より 
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漁眼で見る遍路....鮒の里より

2009-10-16 08:08:45 | Weblog
この世界には、人間の頭数と同様に、仕事は沢山あるはずである。
                       
                      野口英世の名言より
                            
 今日の世の中は大きな変革の時代になっている、リストラ、派遣社員の解雇と様々の職業がなくなっているように思う。しかし、人間がこの世の中で生きていくには人間の数だけ食べ物、品物が必要なはずである、仕事がないはずがないのだ、今までの価値観で見ていると、何もかも過剰状態になっているが、少し立ち止まって基に考えを転換すれば無駄なものも使い道があるのではないだろうか、時代遅れとか思わずに人間にとって、今必要なものをみつけていくのが仕事につながるのではないだろうか、まず、臆病な自尊心をなくすることが肝要かと思います。

                      立江川の鮒より
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漁眼で見る遍路....鮒の里より

2009-10-15 10:54:20 | Weblog
      「何もない庭」より、       百田宗治、詩人

 家のうえに屋根あり、屋根のうえに月あるをおもうのみにて、わが心足りる。
若いお遍路さんが、野宿しながらのへんろ旅をしている、野宿する場所は人それぞれで、吾妻屋、バス停のベンチ、道の駅、民家の軒先などいろいろです。
 今までの生活では家の自分の部屋、マンションの部屋、なにもかも満ちあふれた生活であったと思う。四国へんろに来てみて、初めて体験する屋根のない場所での寝床に就いたときに感じたこと、風雨をしのぐ屋根があり、その上には月が出て見守ってくれると思うと心が満たされる。ささやかなことにも心は和むことを感じて野宿を、へんろ道で体験していると思います。今までの幸せをかみしめながら。

                   立江川の鮒より
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漁眼で見る遍路....鮒の里より

2009-10-12 08:36:16 | Weblog
   おのれに恥じず、他にも恥じず

 おのれに恥じず、他にも恥じないのは、世の中を破り、おのれに恥じ、他にも恥じるのは世の中を守る。慚愧のあればこそ、父母、師、目上の人を敬う心も起こり、兄弟姉妹の秩序も保たれる。
 自ら省みて、我が身を恥じ、人の有様を見ておのれを恥じるのは、尊いことと言わなければならない。

            「仏教聖典」はげみ、第2章実践の道、より

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魚眼で見る遍路...立江川の鮒、光潤より

2009-10-07 06:11:23 | Weblog
  遍路道は42日間、高野山は3日間、家路に4日間

 遍路道は死に装束の旅立ちで42日間、自問自答の旅である、その42日の修行が無事終われば、高野山に3日間の彼岸への旅立ち、彼岸に無事到着したなら今度は、家路に帰る49日の挨拶に行かねばならぬ。

 死は、42日で、死後は3日で45日、家路、、、家族にお礼で49日です。
まさに、四国遍路道、結願できればよいが、なかなか難しいものだ。


                   立江川の鮒より
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魚眼で見る遍路...立江川の鮒、光潤より

2009-10-03 08:11:33 | Weblog
   52日間のへんろ旅

 8月7、8、9、10、と四日間、鮒の里で足にできた肉刺を病院に通って治療して旅立ったお遍路さんから、この間、大窪寺を結願して高野山にお礼参拝をしましたとの報告の手紙が来ました。私は無理をせずに、こだわりを捨てて、一度帰るのも遍路道ですよと言いましたが、52日かかり結願したとはすごい遍路さんもいるものです。
 あのときの足の状態を見ている私、はとても無理かなと思ったのですが、阿波の発心の道場を過ぎるとお遍路さんは体力、精神的にも自信ができるのか、何かがのりうつるのか我々に理解できないようなことがあるようです。
 四国遍路道には歩き遍路でなければ体験できない様々なことがあるようですね。

                     立江川の鮒より
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