櫛渕荘、「阿波国那賀群にあった 岩清水八幡宮領荘園」
1017年、後一条天皇により寄進され、岩清水八幡宮司家田中氏に伝領された。承久の乱後、新補地頭として秋元二郎兵衛尉が1222年が地頭として入部し60年間争いが続く「領家と地頭」1396年秋本左衛二郎泰恒の代まで続く。
櫛渕城祉「秋元城祉」、中世秋元和泉守盛貞の居城、孫成公は長曽我部氏との戦いで中富川で戦死、1582年「天正10年」、子孫は蜂須賀氏に仕える。
現在、真念へんろ道沿いにある法泉寺の裏山に秋元和泉守盛貞が創建、盛貞の墓も現存している。
現在ある善根宿のある少し上がった所に法泉寺がある。真念大師も立ち寄ったかも知れない是非、真念へんろ道を歩くと本来のへんろの姿が分かるかも知れないです。
鮒の里より