遍路の心

鮒の里.四国遍路19番立江寺近く.お接待処.民宿

漁眼で見る遍路....鮒の里より

2010-02-23 08:30:18 | Weblog
      番犬にならぬ犬

 人間世界にも、この世の役に立たない人間も多くいるが、昔より「生きて、この世の穀潰し、死んで閻魔の帳汚し」といわれる人間もよくあることだが、この世に生を授かった者はすべていらぬ者はないのです。巡りめぐって何かの役になってるものです、鮒の里に小さな柴犬がいます、鮒の里に宿泊したりトイレに立ち寄ったりするお遍路さんが、この犬は賢い犬ですねと言うのです、初めて鮒の里に立ち寄ったのに犬が少しも吠えないから訓練をしているのですかとよく尋ねるが、何も教えた訳でもなくお遍路さんの姿には吠えないのです。 四国遍路道にいる犬がお遍路さんには吠えない訳ではありませんから気をつけてくださいねとお答えしますが、鮒の里の柴犬の雑種ですが何故かお遍路さんには吠えないのが不思議なんです。しかし、この犬、夜に尋ねてくる人には吠えて知らせるから番犬にはなっているのです。   犬も飼い主に似てくると言いますからね、、、、、、


                         立江川の鮒より
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漁眼で見る遍路....鮒の里より

2010-02-19 08:41:51 | Weblog
   オリンピックのメダル

 現在カナダで開催されているオリンピックの大会で、日本人のみんながメダルを期待していると思う、ところがなかなかメダルが取れない、選手達は全力を出してプレーしているが体力的にもかなりの差があるようにも思える。参加することに意義があるのだろうが、日本人の身びいきだろうか悔しさがこみ上げてくる。
 遍路の笠に書かれた智恵の言葉でないが、迷うが故に、三界は城なり、悟が故に、十方は空なりとは、まさにそのような気がしてきます。


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漁眼で見る遍路....鮒の里より

2010-02-13 08:01:44 | Weblog
   今、話題の筆談ホステスさんの言葉

 銀座の筆談ホステスさんのテレビ放送を見ました。彼女の筆談の話の中で「歩くという漢字は少し止まることです」と言っていた、なるほどなと感心させられました。人間、ものごころついてからは、ただ一所懸命やって来た結果が今日のような世の中に成ってしまったわけですから、本来日本国は何も資源があるわけでもなく、ひたすら真面目に仕事をしたのです。その結果が庶民の生活が成り立たなく成っているのが現在の日本です。
 まさに、少し止まってみる事が大切な時期に来ている気がします、現在、四国遍路道を歩いて廻る遍路が多くなっているのも、日本人が少し止まって、今までの価値観を見直しながら遍路道を歩いているように思います。


                       立江川の鮒より
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漁眼で見る遍路....鮒の里より

2010-02-09 16:56:42 | Weblog
     お遍路さんの笠には、智恵の言葉

 迷故三界城。。。迷うがゆえに、三界は城なり

 悟故十方空。。。悟るがゆえに、十方は空なり

 本来無東西。。。本来、東西はなく

 何処有南北。。。何処んぞ、南北あらんや

 欲におぼれ、失う若さを惜しみながら、、時間も忘れて、人の幸せを祈ってしまいます。
 そんな迷いだらけの心をありのままに見つめることが生きていくことです。

                      お遍路を伝える会より
                            立江川の鮒より
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漁眼で見る遍路....鮒の里より

2010-02-08 09:20:48 | Weblog
    迷故三界城。。。。。。。自分を見失うのはどうして?

 欲の世界、色の世界、無色界、

 あれが欲しい、これもしたいと思っているうちに、時間が立つのを忘れています。この時私たちは欲界の中にいます。つい昨日まで自分は18才だと思っていたのに、ふと気がつくともう25才になってしまっています。我を忘れて働くうちに40才が50才になり、70才を過ぎています。どんどん変わっていく自分の姿を見て、惜しいとか、悲しいとか、いろんな心になります。この時、自分は色の世界で生きていることを感じます。ところが、辛い目に合う人を見ると、放っておけず、悲しんだりします。柄にもないと思いながら。。。。自分の損得など忘れて、人の幸せまで心配してしまいます。この時、私たちは仏に近い世界の中にいます。
 三つの世界で人は彷徨っては、何の為に生きるのかとまどいます。
欲におぼれ、失う若さを惜しみながら、時間も忘れて、人の幸せを祈ってしまいます。
 そんな迷いだらけの心を、ありのままに見つめながら歩く四国遍路道です。

                お遍路を伝える会より 立江川の鮒より                            
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漁眼で見る遍路....鮒の里より

2010-02-06 07:54:27 | Weblog
    削って、削って、削りとった後に、、、、

 明治の中ごろ、鎌倉の円覚寺の官長になった今北洪川という名僧がいました、もとは儒者でしたが、感ずるところあって禅僧となられたそうです。
 あるとき、洪川和尚に「禅の修行をしたら、どんな得がありますか」と質問した弟子がおりました、和尚は「得は一つもない、禅は日々損して、日々損をする」と答えたらしい、修行は学問と違い、毎日損をして削った上にも削って、もう削るところがない、それをも削り取ってしまうのですと答えたそうです。削ったというところにも停止しないこと、そのことが無所得だと教えたそうです。
 今日の民主党の仕分け作業を見ていると、まだまだ削るところがあるのではないだろうか、削って、削ってこそ本来の庶民の幸せを導けるのではないだろうか。

                     般若心経入門より「松原泰道」

                             立江川の鮒より
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魚眼で見る遍路。...鮒の里より

2010-02-02 08:19:05 | Weblog
   小沢一郎と大久保利通の権力

 明治維新の官僚組織の権力者の大久保利通は日本国を新しくするには官僚組織を完璧に掌握する必要があったと思う。たしかに、幕府より政権を国民に取り戻したのだから、いい加減なやり方では国家をリードしていけないのである、大久保利通はけっして遠大な計画を立てるのではなく、それよりもむしろ身近な問題を一つ一つ丹念に、確実にこなしていったのである。そこで、小沢一郎は政治の権力者である、平成維新の今日、政権自民党、官僚政治より政権を取り戻した今日、参議院の単独過半数を取るのが一番の目標であると思う。
 ところが、選挙というものは、軍資金が必要になってくる明治維新の時代では庶民の知らぬところで調達できた軍資金が現在の政治資金規制法では難しくなっているのが、小沢一郎の言いたくても言えないジレンマがあるようだ。
 鳩山総理、西郷隆盛の遠大なビジョンをかかげる手法、小沢一郎、大久保利通の身近な問題をこなしていく手法、どちらも世の中が変わる時代には必要な事のように思える。


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