遍路の心

鮒の里.四国遍路19番立江寺近く.お接待処.民宿

漁眼で見る遍路....鮒の里より

2009-07-26 07:41:06 | Weblog
    官尊民卑
 中国の長い歴史を見ていると、一部の権力者が民、百姓を統治するには官尊民卑という政策を今でも続けているようだ。
 官尊民卑の考え方はかならずしも悪いものではないかも知れないが、日本の官尊民卑の考え方は、今日の庶民の苦しみを見ていると、政府官僚は尊く、庶民は卑しいという、まさに官尊民卑そのままです。
 当然庶民も官僚になるチヤンスはあたえてあるが、人間にはさだめがある、なりたくてもなれないのが世の中である。その庶民がどうすれば幸せになれるかを考えるのが政治であると思う。
 今回の選挙は、そのことをよく考えて投票したいものだ、御大師さんの教えがよくわかった人を選ぶことが肝要かと思います。

                     立江川の鮒より
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漁眼で見る遍路....鮒の里より

2009-07-24 07:17:07 | Weblog
     団塊の世代の登山
 定年退職して今までいかれなかった様々の場所はたくさんあると思う。
この頃、観光会社が登山ツアーなどと言って、いかにも簡単に登山ができるように宣伝をしている。だが、自然の山、海、川、というところは我々の予想をはるかに超えるすごさを秘めている。
 会社、世間の知識で自然を見ていると大変なことになる、我々素人はわずかな知識で物事を計ろうとするが、自然環境は計る物差しが違うのだ、しょせん人間も自然の中の小さな生物なのだから、登山に行く前に四国遍路道を歩いて結願し、己の身の丈を知ることが肝要かと思います。
 歳を重ねてくると、あごは達者になるが体がついてこなくなる。

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魚眼で見る遍路.......鮒の里より

2009-07-21 17:37:52 | Weblog
   解散総選挙、夏の陣

 宗教とはいつもの時代、権力者の思いにほんろうされる、時代が変わっても同じあやまちを繰り返す。
 今回の選挙戦は、様々な意味で歴史に残る選挙になると思う、庶民は今回の選挙の一票は自分でよく見極めなければならない。
 権力者は、朝三暮四の騙しの言葉で庶民を操るのだ、四国遍路道を歩くように己を信じて、様々な煩悩に惑わず、権力者の心を読まなければならないと思います。
 仏の教えには、権力者に従えとは説いてない、間違いを正さなければならないのだ、己の間違いもです。

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魚眼

2009-07-11 16:35:50 | Weblog
  相田みつをさんの詩、「セトモノとやわらかい心」
 セトモノとセトモノと、ぶつかりっこするとすぐこわれちゃう、どちらかやわらかければだいじょうぶ、やわらかいこころを持ちましょう。
 自分に「こそ」をつけて、相手をやっつける。この心こそセトモノで、これではお互いぶつかれば、こわれ傷つくのは当然です。
 世の中は、「こそ」の二文字のつけどころ、おさまるもこそ、みだるるもこそ
俺が、会社で一日中働いて、がんばって帰ってくればこそーーというところを「こそ」を相手に付けて、お前が家をしっかり守っているからこそ、がついたら奥さんの言い方も違ってきます。あなたが会社で頑張ってくれればこそですになると思います。
 ご夫婦のお遍路さん、長い遍路道、ごたがいに「こそ」の使い方を間違わないようにお願いしますよ。
                 釈尊、十大弟子より
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魚眼で見る遍路...鮒の里より

2009-07-07 07:37:17 | Weblog
   釈尊のことば「教え」とお経
 お遍路さんは、八十八番のお寺に納経をしながら遍路道を行く、
35歳でさとりを開き仏陀の境地に到達した釈尊は、八十歳で入滅するまでの四十五年間、一日も休まずに人々に教えを説き続けました。
 釈尊の滅後、お弟子さんは自分たちが直接釈尊から聴いた教えを、人々に伝えましたが、それらの教えを後世にも残すために、摩訶迦葉尊者をはじめお弟子たちの主なものが集まって、聖典の編さんを試みました。
 現在残っている、仏教聖典の核ともいうべきかたちができあがったわけです。
編さんされた聖典も数百年間は暗記によって保持されていました。
 現在、お寺の僧が朝のおつとめのお経を読むのも、その時代よりの修行のしきたりのひとつとも言われています。

               釈尊、十大弟子より
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魚眼で見る遍路...鮒の里より

2009-07-04 07:58:50 | Weblog
    過ぎ去った日のことは悔いず
 人間はとかく過ぎ去ったことをいつまでも思い悩むようである。落語家の小朝師匠のお年寄りの番組で、百歳を迎えたお年よりとお話しているときにあるお年寄りが「反省すれども後悔せず」と話していました。長生きの秘訣はこんなところにもあるのかな、と思ったことです。
 「過ぎ去った日のことは悔いず」という釈尊の法句教の言葉の続きは、「まだこない未来にあこがれず、とりこし苦労をせず、現在を大切にふみしめていけば、身も心も穏やかになる」つまり、今という時をおいて人生はないと受け止めて、いま成すべきことにうちこんでゆくべしと説いてある。
 今今と、今という時、今ぞなく、今という時、今ぞ去りゆく、

                釈尊、十大弟子より
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