遍路の心

鮒の里.四国遍路19番立江寺近く.お接待処.民宿

漁眼で見る遍路....鮒の里より

2008-07-31 05:52:13 | Weblog
    諸行無常

 平家物語の一節にこの言葉がある。この世のもので、変わらないものは何もない。形あるものはいつかは壊れ、生命あるものはやがて死んで、この世から消えてしまう、この世ははかないものである。
 人間というもの、病気になって健康のありがたさがわかり、お金が無くなって、お金のありがたさがわかる。権力が無くなって地位の意味がわかる。
 人間は、万事そのようになっている、失って有り難さがわかるようになっている。無になる、空になる、この事に気がつかないから、人間生きて生けるのかも知れない。    後悔先に立たずとはよく言ったものだ。

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漁眼で見る遍路....鮒の里より

2008-07-30 18:03:45 | Weblog
    裸一貫

 人間は、裸一貫とよく言葉にする、本来生まれてくるときは裸一貫で生まれる。
それが、長く生きていると、いらぬものを多く持ってしまう。まさに煩悩の最たるものである。
 お釈迦さんの、教えに川を泳いで渡るためには、身ひとつでなければ泳げない、いらぬものなど持っては、泳いで渡ることなどできぬと説いてある。
 まさに、裸一貫である。我々鮒の世界では、水の中を泳ぐのにいらぬものは、何一つ身にはつけぬ。人間達よ、もう少し生物の本来の姿にたちもどれば、くだらぬトラブルに巻き込まれずにすむのではないかな。

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漁眼で見る遍路....鮒の里より

2008-07-29 06:08:02 | Weblog
    
    懺悔の文
 
 未だ善と悪とを弁えず、我知らずして湧き起こる、ものほしさと怒りと愚かさによって生み出す、身と口と意の誤りを、われ今、悔い改めん。

 四国遍路道、1250キロ、歩いて行くお遍路さん、御大師さんと二人で行く遍路道、御大師さんに歩むべき教えを、聞きながら歩いているのかも知れませんね。

立江川の鮒より
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魚眼で見る遍路.......鮒の里より

2008-07-27 05:30:40 | Weblog
     
     「法句教」ーーーーより

 戦場において、千度千人の敵に勝つよりも ひとりの己に勝つ者こそ、最上の戦士である。

 今朝、旅だった若いお遍路さん、猛暑の遍路道まさに、法句教の如くなり、
 
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漁眼で見る遍路....鮒の里より

2008-07-25 07:21:53 | Weblog
     鉄より生じた錆は、鉄より生じてその鉄をさらに早く錆びつかせる、

 今日の、日本の指導者はまさに、「法句経」の教えの如くである。
指導者の錆は、現在の子供達、若者の行動を見ていると一目瞭然である。早く指導者達はそれに気がつかないと、将来の日本を担っていく若者達を完全に錆つかせることになってしまう。
 今なら、まだ間に合うと思う、日本の指導者よ、自分達の錆を早く綺麗に落とし去ることが先決である。人間、「起きて半畳、寝て一畳ですぞ」余計なものを持ってると、錆はなかなか落ちませんですよ。

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魚眼で見る遍路。...鮒の里より

2008-07-22 16:47:36 | Weblog
       綜芸種智院
 弘法大師さんが、東寺に庶民に広く門戸を開いた総合学問ができる学校を設立した。それが綜芸種智院、
 当時の大学と言えば、権力者の為の官吏養成大学で、今の東大みたいなものであったらしい、いつの世も権力者や官僚、役人は自分達のことだけを考えるのが普通のようだ、所詮凡人が学問をすればそうなってくるのは仕方がない。
 御大師さんのような考えになれというのが無理かもしれないが、今日の教育者はあまりにも堕落している。弘法大師の弟子たちが四国の道を修行の場として、また弘法大師の教えを庶民に説いて廻ったのが遍路道である。
 お寺は、遍路道とは別のものであって、お寺巡りと言うのが正しいと思う。
やがて本当の教育者が四国遍路道を、教えを説いて歩いてくれるだろう。
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魚眼で見る遍路...鮒の里より

2008-07-19 19:28:40 | Weblog
   古人の人は学んで利を謀らずと、今の人は書を読んで、ただ名と財とにす。
 弘法大師さんの名言に、このような言葉がある。
昔の人は、学問をするときに、それによって何らかの利益を得ようとは考えなかったが、今の人は学問は、利益と名声の為にするものと考えている人が多いのは事実である。
 しかし、自分の利益の為にする学問ならまだ許せるが、勉強もせずに利益に有りつこうとする輩が、学校の先生になろうとするのだから、今の世の中、狂っている。
 今回の先生達は、頭を丸めて四国遍路道を弘法大師と同行二人の修行の旅立ちを、おすすめ致します。
 学問するまえに、精神修行が先だと思いますが、いかがかな、
                     
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漁眼で見る遍路....鮒の里より

2008-07-16 07:30:54 | Weblog
  木魚の「魚」の意味とは、
 木魚というと、読経するときにポクポク叩いているのを、よく見ますが木魚鼓、魚鼓、魚板、漁梆、と呼ばれるもので、これは魚の形をした木の板でできている。
主に食事や法事の時間を知らせるのに叩いた。

 おなじみの丸い形をした木魚ですが、何故「魚」なのかというと、立江川の鮒としても言いたいことがある、これは魚は昼夜を分かたず、常に目を覚ましていることから、これを叩くことによって人々のくだらない考えから目覚めさせるためだといわれている。
 立江川の鮒としても少しは人間どもに意見してもいいような気がする。
    
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漁眼で見る遍路....鮒の里より

2008-07-12 08:22:56 | Weblog
    グリーン、ツー、リズム
 私は、この言葉はよく知りませんが、ヨーロッパでは仕事の休暇のときに農家に民泊して、農作業を体験する習慣があるらしいです。日本でも各地でこのよぅなイベントが行われているようです。今の日本では自分の食べるものはみんな買って来ることになっていますが、自分で食べ物を作ったり、育てたら食の安全と言うことが基本的にわかってくると思います。
 今の日本、生活環境が複雑化しているから、悲惨な、また自己中心的な事件が多発しているように思います。動物をかわいがるばかりが、心の癒しではないと思います。
 この夏、四国遍路に来られたら、鮒の里にお立ち寄り下さい。夏が旬の緑竹「大名竹」を掘ってみませんか、これも修行ですぞ。--
                      立江川の鮒より
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漁眼で見る遍路....鮒の里より

2008-07-08 13:40:24 | Weblog
  親父と息子
 いつの時代も、親父と息子の関係ぐらい難しいものがない。一番難しいのは、父親が、定年を迎え息子に、家庭を引き継ぐ頃である、親父の方はまだまだ息子は頼りなくて任すに任せない、息子はいちいちうるさく言う親父をけぎらいする。
 
 どうすればうまく息子に、家庭を引き継がせるか、世の親父はこの頃が一番頭の痛いところである。強く言えばへそを曲げる、優しく言えばつけあがる、堪忍袋を破れては、縫い合わすその繰り返しであると思う。
 この事で、いらいらしていると身体に悪い、こんな時は四国遍路道をゆっくりと歩いてみるのが、一番かもね。家庭のことは全部忘れて。
  
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