外面似菩薩、内心如夜叉、
女性を形容するときに使う言い回しで、見かけは菩薩のように穏やかで優しげだが、心の中は夜叉のように恐ろしいという。女性一般の性質を表すとも、このような性格の女性を指すともいわれる。夜叉はサンスクリット語のヤクシャを音訳したもの。薬叉と書く場合もある。人間に害を及ぼす鬼の名前である。
これもまた、女性蔑視かと思われがちな言葉だが、もともとは、修行僧に向けて言われたことわざだったという。仏の道を求めて修行中の男性にとって、女性の色香に迷うことはもってのほか。妨げになるもの、つまり女性を遠ざけようとする戒めの言葉です。
ところが、近頃の女性は外面似夜叉、男性が内心如菩薩のような気がする。例えば、善根宿で休むとき、女性が寝袋で堂々と寝ている。男性は何か遠慮がちに角の方で小さくなっている。満員電車の男性の心境みたいだ、草食男子が多くなって、女性の方が肉食になってるような気がする遍路道でもある。
女性を形容するときに使う言い回しで、見かけは菩薩のように穏やかで優しげだが、心の中は夜叉のように恐ろしいという。女性一般の性質を表すとも、このような性格の女性を指すともいわれる。夜叉はサンスクリット語のヤクシャを音訳したもの。薬叉と書く場合もある。人間に害を及ぼす鬼の名前である。
これもまた、女性蔑視かと思われがちな言葉だが、もともとは、修行僧に向けて言われたことわざだったという。仏の道を求めて修行中の男性にとって、女性の色香に迷うことはもってのほか。妨げになるもの、つまり女性を遠ざけようとする戒めの言葉です。
ところが、近頃の女性は外面似夜叉、男性が内心如菩薩のような気がする。例えば、善根宿で休むとき、女性が寝袋で堂々と寝ている。男性は何か遠慮がちに角の方で小さくなっている。満員電車の男性の心境みたいだ、草食男子が多くなって、女性の方が肉食になってるような気がする遍路道でもある。