子は三界の首枷
欲界、色界、無色界からなる三界は仏教の教えでの、迷うがゆえに、三界は城なり、悟るがゆえに、十方は空なり、の如くで人はこの世界の中で、何度も生死を繰り返しているという。親にとって子供は、いつも忘れることの出来ない存在で、そのために行動を束縛されることも多い。罪人の首につけられた枷のようなものだ。しかし、やっかいなもの邪魔のなものといいながら、子供を思う親の愛情は、いつの世も変わらない。「親子は一世、夫婦は二世」「親の心、子知らず」というが、それでもこの世だけでなく、次の世もその次も、子供のことを心配しつづけるのが親の気持ちだと思う。ところが、近頃の親達の中では、子供はやっかいなもの、邪魔なときもあるのはよくあることだが、まさか、自分の生んだ子供を育てられないと言って人様にあずける、まだ、あずけるのは昔もあったことだが、捨ててしまったり、死なせてしまうなんてことが珍しくない世の中になってしまっている。
今の世の中、仏の教えすら通用しなくなってしまったのだろうか、我々親達が子供達に、人間とって、いや、生物にとっても一番大切なものを教えることが間違ったのではないだろうかと思える。
立江川の鮒より
欲界、色界、無色界からなる三界は仏教の教えでの、迷うがゆえに、三界は城なり、悟るがゆえに、十方は空なり、の如くで人はこの世界の中で、何度も生死を繰り返しているという。親にとって子供は、いつも忘れることの出来ない存在で、そのために行動を束縛されることも多い。罪人の首につけられた枷のようなものだ。しかし、やっかいなもの邪魔のなものといいながら、子供を思う親の愛情は、いつの世も変わらない。「親子は一世、夫婦は二世」「親の心、子知らず」というが、それでもこの世だけでなく、次の世もその次も、子供のことを心配しつづけるのが親の気持ちだと思う。ところが、近頃の親達の中では、子供はやっかいなもの、邪魔なときもあるのはよくあることだが、まさか、自分の生んだ子供を育てられないと言って人様にあずける、まだ、あずけるのは昔もあったことだが、捨ててしまったり、死なせてしまうなんてことが珍しくない世の中になってしまっている。
今の世の中、仏の教えすら通用しなくなってしまったのだろうか、我々親達が子供達に、人間とって、いや、生物にとっても一番大切なものを教えることが間違ったのではないだろうかと思える。
立江川の鮒より