monologue
夜明けに向けて
 



95/03/26 垣武の夢を一度は叶えた国民(クニタミ)よ、此度は思いとどまれよ。

  「天皇の始まりはカンム天皇だね」と息子が高校生のころわたしに訊ねた。
  わたしはあれっと思った。どうして、神武天皇はジンム天皇、なのだろう、
  息子に答えることを忘れて頭の中で神武の字が踊った。初めの音節に濁りが付くのは変だ。付けなくてはならないのだろうか。発音しやすいと言うのか。普通に読めば、シンム、シンブあるいはカンム、カンブとなりそうなものである。ジンムという読み方にはなんらかの意図が感ぜられる。「釈尊」をジャクソンと読めばマイケルファンには悪いが神々しさが失われた感じがする。神をシンと発し、人をジンと発するのは、人は神(シン)が濁ったものとして理解できる。その観点で考えれば神武天皇をジンムと発するのはそこまで神格化しきれないなにかがあると思われる。人間的な部分が多かったような気がする。いつかシンムと発する日がくるかも…。桓武天皇は京都に都を移した。そして坂上田村麿を征夷大将軍に任命して蝦夷征伐を行った。族長、阿弖流為(アテルイ))を鬼として討ったことになっているが蝦夷にとっては坂上田村麿こそが「魔」であった。 
垣の音はエンで訓はカキ垣武はエンムと読むのだろうか、カンムとは読めない。この字に含められた意図を推し量れば垣を巡らした武将を意図しているように見える。桓武の「桓」は漢代、宿場のしるしに立てた角柱のことで、姓の一つになっている。
 してみると、宿場の武では桓武の為したことに合わないのでわざとARIONは垣の字を用いたようだ。桓武天皇は大和から山城に遷都した。垣は城を守るためのもの。山城の国に垣を築き武力によって平安京を潤し育んだ桓武は垣武の方がふさわしいのかも知れない。東北を征伐した垣武に一度は加担して夢を叶えてしまったわれわれ国民は今度は思いとどまれと諭されている。。今の世界でこの垣武にあたるのは米国。アフガンやイラクその他どこかに攻め寄せて武力でなにかを奪おうとするようなことが起こるとき、世論に惑わされず加担を思いとどまらねばならない。きっと、世論が沸騰し、損か得か、そればかりが判断の基準になることだろう。われわれの授かった究極の基準は愛しかないのに…。
fumio


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