monologue
夜明けに向けて
 



   
   94/04/27 蓮華の花はヘルメスの杖によって開く、麒麟の瞳は何処を示すか
  
   こんなことがあったの、と遠い目をして妻は語り始めた。
 妻はわたしと結婚することになって、姉とふたりでわたしの実家のある京都見物に出かけた。市内の繁華街をぶらつき歩いての帰りに東山区の蓮華王院本堂、三十三間堂に立ち寄った。平日のことで人影がなく閑散としている。。ふたりは拝観料を払って一歩入った。
 そのとき、薄暗い堂内にずらりと並んだ仏像を一瞥して背筋がぞーっとしたという。 
 中央に湛慶作の千手観音座像、その左右に五百体ずつの千手観音立像、計千一体が安置されている。一旦、こわくなると宗教心のない人には耐えられない。どちらともなくダーッと駆け出した。まるで百メートル競走、「炎のランナー」のように。
 三十三間堂は実際には六十四間五尺、約118メートルもある。見ようによっては二本の通し矢のようだったかもしれない。出口でお坊さんがゴールのテープを持って待っているわけでもないのに金まで払って競走をするとは…。、どちらが勝ったのかはさだかでない。仏様たちはどう思われただろう。、娘さんがふたり堂内に入ってきて「やぁ、こんにちは、今日は人出が少なくて退屈していたのですよ、よくいらっしゃいました」と挨拶をする間もなく、出口に向かって脇目もふらず必死に目の前を駆け抜けて行ってしまったのだから。がっかりされたことだろう。なんなの、あれ…、ここは墓場の肝試しの場所じゃないよ、と。   
 三十三間堂の正式名称が蓮華王院、柱の数が三十四本、そして、通し矢の行事、千一体の千手観音像、これらをふまえてヘルメスが地上に降りればどうなるか、ちょっと逆読みしてみよう。スメルヘあるいはスメルエ。なんとスメラに似ていることか。そして、 蓮華王院の王は三を通し矢が下から上へと貫いた文字。三十三間堂の通し矢は南から通す。「王」一文字で三十三を示してある。観世音菩薩は三十三変身して衆生を救う。千一体の千手観音で千を印象づけている。手の字は千と一を重ねた文字。通し矢が的の真ん中に当たるとチョンが入ることになる。中心に、最後の最後まで隠されていたスメラの数(一)が入ると蓮華=ハチス=八素の花が一挙に開く。三十三間堂とはそんな祈りを込めて建てられたお堂であったらしい。はたしてだれが三十三の通し矢となって「王」の文字を形成するのだろうか…。
fumio

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