goo blog サービス終了のお知らせ 
monologue
夜明けに向けて
 

波動  



空海が虚空蔵菩薩の真言(namo akasagar-bhaya om arikah mari muri svaha)、
 ノウボウアキャシャ ギャラバヤ オンアリ キャ マ リ  ボリ ソ ワ カ
『南牟、阿迦捨、掲婆耶、俺阿利迦、麼利、慕利、娑婆訶』を百万遍誦した時かれの身になにが起きたのか。
「俺」(オン)は実際には口偏で「利」も口偏に利なのだが漢字表にないので代用しているのだがそれでもいいのだろうか。文字霊は変わらないのか。
虚空蔵菩薩とは虚空(アーカーシャAkasa)の母胎(ガルパgarbha)すなわち胎蔵の菩薩だから真言に akasagarbhaというお名前が含まれていると思われるがそれを「ガルバ」でなく「ギャラバヤ」と読むと言霊、音霊が変わってしまわないのか。南無阿弥陀仏を「ナンマイダ」と唱える人もあるように細かいことにはこだわらずいかに気持を込めるかが大切なのか。そんな疑問が湧くけれどとにもかくにも空海は「ノウボウアキャシャ ギヤラバヤ オンアリ キャマリ ボリ ソワカ 」と唱えることによって聴覚では「谷響を惜しまず」視覚では「明星来影す」という成就のしるしをを得たのだ。その修行の場所は阿国大滝や土州室戸崎であった。、大自然の中でかれは百日の行なら一日一万回同じ振動を自身の頭脳神経組織、共鳴箱としての肉体に与え続けた。百万遍誦し終わる頃には空海の頭脳神経組織は真言の持つ波動によってきめ細かに構築されなおしたのだろう。それがかれを密教の大天才へと導いたとみられる。
fumio

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )