80ばあちゃんの戯言

聞いてほしくて

戦後の暮らし(9)

2010-10-20 06:49:43 | 戦争体験
国民全体が配給品だけで暮らすことなど到底考えられなかった時代に頑として

闇買いを拒否して餓死を選ばれた方々がある。

山口良忠(やまぐちよしただ、1913年11月16日・1947年10月

11日)は日本の裁判官、佐賀県出身、太平洋戦争の終戦後の食糧難の時代

に、闇米を拒否して食糧管理法に沿った配給食糧のみを食べ続け、栄養失調

で死亡したことで知られる。



 1913年佐賀県杵島郡白石町に、小学校教師の長男として生まれる。

鹿島中学校(旧制〕・佐賀高等学校(旧制)・京都帝国大学を卒業。大学院

に進み宮本英脩・佐伯千仭に師事、高等文官試験司法科試験に合格、判事と

なる。

1949年に東京民事地方裁判所に転任後、1946年10月に東京く裁判所

の経済事犯専任判事となる。この部署では、主に闇米等を所持していて食糧

管理法違反で検挙、起訴された被告人の事案を担当していた。


食糧管理法を担当し始め、配給食糧以外に違法である闇米を食べなければ生きて

いけないのにそれを取り締まる自分が闇米を食べていてはいけないのではないか

という思いにより、1946年〔昭和21年〕〕10月初め頃から闇米を拒否する

ようになる。

山口は配給の殆どを二人の子供達に与え、自分は妻とともに殆ど汁だけの粥

などをすすって生活した。

義理の父親、親戚、友人等が其の状況を見かねて食料を送ったり、食事に招待

するなどしたものの、山口はそれらも拒否した。

自ら畑を耕してイモを栽培したりと栄養状況を改善する努力もしていたが、

次第に栄養失調にともなう疾病が身体に現れてきた。しかし〔担当の被告人

100人を何時までも未決でいさせなければならないと〕療養する事も拒否した。

そして、1947年8月27日に 地裁の階段で倒れ、9月1日に最後の判決を

書いた後、やっと故郷の白石町で療養する事となる。

同年10月11日、栄養失調にともなう肺浸潤〔初期の肺結核)のため33歳

で死去した。

死後20日ほどたった11月4日に、山口の死が朝日新聞で報道され、話題を集

めた。

なお、其の自らに厳しい態度から、食糧管理法違反で逮捕された人々に対しても

過酷であったのではないかと思われがちであるが、むしろ同情的であり、情状

酌量した判決を下すことが多かったと言われる。

この事件から闇米を食べなければ生きて行く事それ自体が不可能であり、食糧

管理法それ自体が守る事が不可能な法律であったという意見もあり、食糧管理法

違反事件ではしばしば期待可能性・緊急避難の法理の適用が主張されたが、

裁判所によってことごとく退けられた。食糧管理法を遵守して餓死した者として

山口の他には東京高校ドイツ語教授亀尾英四郎、青森地裁判事保科徳太郎の名が

伝えられている。

 以上wikipedia より


(つづく) m(__)m

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2 コメント

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はじめまして (くろねこ)
2010-10-21 01:32:45
考えると近しい年配者からもっとお聞きしたかったと思える内容、ざーっとですみませんが拝見させていただきました。
大変貴重で実体験の迫力がありますね
ありがとうございます。

海軍400時間のテープ私も興味深く拝見し当事者意識の欠如、今の官僚組織と同様のエリート意識の暴走、無責任主義が何時の時代にも変わらない残念な内容でした、あの中の軍人の一人で良いから自分の過ちを認めての反省や生き残った残りの人生に役立てていてほしかったです。

その時代を経験された方だからこそ戦争はもういい、ガンジーの無抵抗主義でも防衛の名を借りた武装はたくさんと、私もそう思います、よく脅威々とわが身に降りかからない思いで武装するのに賛成する意見が理解できなく、じゃあ戦争になったらあなたは戦えますか?って自分の事として捕らえられていない気がします。

漠然と今まで戦後食糧難での物価高騰時そこまでなぜ?馬鹿らしいと思える金額でも払うんだろうと?でも疑問の余地は無いんですよね、記事のとうり生死の話で想像似難いのは幸せなことだと思う。

お聞きしたいのは戦後の政治と年金
政治はその時代を経験した筈の方軍人出身者が同じような状況、無責任政治を連綿と続けて来たこと、それを支持し続けた戦後の国民の不思議、年金は現行支給者も全体問題として削減されるべきと私は思いますが、それについて大変ご面倒、失礼な事で申し訳ございませんが又記事にしてご意見を頂けたらと幸いです。

いきなり長文で申し訳ございません
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ありがとう (80ばあちゃんの戯言)
2010-10-24 07:11:19
くろねこさん

いろいろ読んでいただいて有難うございます。

私は浅学にして、まだ良くはわからないことばかりで

す。

 これからもいろいろ勉強させていただきたいと思っ

ておりますガ、何せ今では、正真正銘の80歳になり

まして、まず健康をどうして保つか、どうしたらぼけ

ないで、〔もうすでに半ボケですが?)書き続けられ

るのか、それが、一番の課題になってしまいました。

〔笑い)

お気づきの点、またこれからもいろいろとご指導くだ

さいませ。どうもありがとうございました。
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