80ばあちゃんの戯言

聞いてほしくて

昭和20年の思い出を語る会(3)

2010-08-28 08:35:18 | 戦争体験
 Mさんの話(以下原文どおり)

私はあの空襲で大怪我をしました。

あまりいい話ではないかもしれませんが・・・。

家は中区二ノ谷の山の方にありました。山はUの字のような格好で、家の10

メートル上は高射砲陣地でした。此処は高射砲台だから安心だと軍の人は

言ったんですね、今考えれば一番危険な所なのに、教育というか、洗脳と言う

か、恐ろしいものだと終戦後つくづく解りました。

あの日はカンカン照りでしたが、空襲があるというので、冬の制服を着ていま

した。 あのヘチマカラーの長袖、でも暑いので、ぬいだ途端に”ババーン”

と来ました。

母の声が

 「飛行機がきたから出なさい」

 着る間もなく飛び出そうととした瞬間爆風で倒れました。多分右を下にして。

 だから右の方が怪我がひどかったのです。焼夷爆弾の直撃でした。

 実は50年経っても不思議だと思っているんですが、5月29日の一週間前に

 夢を見たんです。 爆撃でやられても耳が聞こえたから助かっている証拠だと

 言う・・・・・・暗示をうけたんですね。我にかえると爆弾の音がバンバン

 すごいんです。 

 ”あっ!聞こえる、助かったんだ”と思いました。

 家は焼け始めて煙がすごい。裏山の防空壕へ行こうとと逃げ出した時、ヒョイ

 と見たら両腕の肘から先に白いものがぶら下がっています。

 「あっ、皮だ。皮膚だ!」

 しかし其の時は痛くもなんともなくて、高い窓を飛び越えて貴重品をとりに

 いったりしました。それを肩に掛けて崖をのぼったのですが足が動かない、

 普段は平気で駆けのぼっているところなのに。やっとの思いでよじ登ると

 そこは三中、今の緑ヶ丘高校の山つづきで広々と畠なんですが、其処に焼夷

 弾が落ちているのを母と消しました。畠の土が柔らかくて足がブスブス入る

 ので、足の傷の中に泥が詰まってしまいました。

 手の怪我だけはわかっていたけれど、足もやられているとは気付かなかった

 んです。 顔もです。要するに露出していた部分は全部。右足はズボンの中

 なのに上の方までやられました。

 あっという間に空襲が終わりました。

 坂下の東福院に救護所があったので母と行きました。

 治療の順番があって包帯をもっている人が先なんです。母は黙って包帯を

 盗んだんです。 ほんの僅かですけど・・・・。そして井戸で傷の泥を洗って

 くれました。それがとてもよかったんですね。親って本当に強いなあと思い

 ました。盗んだおかげで早く診てもらえましたし・・・・・。

 今だからこんな事を話せます。 当時としては国賊ものですよね。

  (つづく)


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