80ばあちゃんの戯言

聞いてほしくて

百分de名著(論語4)

2011-06-02 19:12:38 | 教育
論語の最終回です。 〔信念を持ち逆境を乗り越えよう)

ゲストは ゛そうか 君は課長になったのか" の著者 佐々木常夫さん

で佐々木さんのお母様は論語がお好きで、子供たちに論語で教育をされて

いたという。

孔子は逆境の人だった。順風満帆だと水面は見えても百尺下の流れは

わからない。彼が苦労してくれたお蔭で色々の名言が残っている。

孔子は50代半ばで、国を追われ、14年間も放浪しやっと60代で

故郷に帰った後も親しい人々の死にあった。

まづ、最愛の息子に先立たれ、又、愛弟子、顔回と、子路も亡くなって

しまった。


孔子は宋の国では迫害を受け、軍務大臣桓魋(かんたい)に襲われた時に


    ” 天、徳を予〔わ)れに生(な)せり。 

     桓魋(かんたい)其れ予(わ)れを如何。”

世の中には正しいことをしていれば神様が助けてくれるというような

天恵派と、人間に罰を与えるものだという天罰派とあるが、孔子は若い

頃から天に対する強い信念を持っていた天恵派であったので、

  ”天は道徳的な政治を世に広める役目を私に与えてくれた。

   それを桓魋如きに殺せる訳がない。”

と言ったそうである。

 さてゲストの佐々木常夫さんは40代の頃奥様が自殺しようとする

くらいの重度の鬱病になり、子供さんも障害児で生まれたので、仕事と

家事と、大変な育児をしなければならなくなった。

 其のときにお母様の”運命を引き受けよう”という言葉を思い出され

た。

ご自分が一番愛された奥様と子供さんの運命を真正面からちゃんと

見据えようと思われたという。

佐久先生は孔子は其のあたりを

 "人間に乗り越えられない運命はない”と言っているといわれているが、

エピソードとして次の様な話がある。


 孔子の愛する弟子の冉伯牛(ぜんはくぎゅう)が病の床に就いたときに

見舞った孔子は

 これ亡(な)からん  命なるかな 

 斯(こ)の人にして 斯の疾(やまい)あること

 斯の人にして 斯の疾あること 〔繰り返し)


 冉伯牛は大変徳の高い人であって、当然健康にも気を使っていたと思う

 が、病気になってしまった時に、孔子は見舞って言った。

 "少なくともこれは天罰なんかではない。これはお前に与えられた試練で

 必ず乗り切れる。天は必ず乗り切れるだけの試練を与えるのだと言われ

 た。


 司会者の佐々木さんに対する質問で、

 ”今の論語の言葉はわかりますか?”との問いに


神様は私に試練をおあたえになっているのか、いたづらしておられる

 のではないか、来月になったらどこかへ 行っちゃうのではないか、

 来年になったらキットいい日が来ると考えておられたそうである。

 

 ・心が折れそうになった時どうしたらいいか

 
 ”もし、私が重い病気になったりしたときにどのようにして乗り越えた

 らいいのでしょうか?という質問に対して佐久先生は



 孔子には多くの弟子がいたので、放浪していた際に食料がなくなって

弟子たちが立つこともできなくなったときに、子路が聞いた。

 ”修行を積んだ君子でも困ることがあるのですか?”

 其れに対して、孔子は

 
 "君子 固(もと)より窮す。

 小人 窮すれば 斯(ここ)に濫(みだる)



 どんな立派な人間であろうとも困難に陥ることはあるが、困難にな

 ればなるほど、 泰然自若としているが、小人はあわてふためく。

 いざとなればできるさという人もあるが、普段からやっていなければ

 できない。

佐々木さんのお話。

 普通の人はおいしいものを食べたり、旅行などしたときに幸せだと言っ

 たりするが、自分は何もなかった時、平凡な日に幸せを感じていた。

 
 佐々木さんは自己実現要求がお強くて、仕事に対する評価が出るのが

 励みになった。仕事の効率を上げるアイデアをいろいろ出されたり、

 ご自分で作った工場や、システムをいろいろ作られたり、お仕事が

 お好きで楽しんでやられたので、社長にまでなられた ということで、

 仕事が支えになったという。

 佐々木さんのお好きな言葉は、 孔子の論語に、

 
  ”これを知るものは、其れを好むものに如かず。

   これを好むものは これを楽しむ者に如かず。”

  ”是を知るものは好むものには及ばない。

  是を好むものは楽しむものには及ばない。”という意。


 佐々木さんは孔子の心の支えはきっと学問の面白さとか弟子たちに

教える情熱だったろうという。

 

 ”日本は今震災で大変なときですが、論語の中で支えになる言葉と

 いえば、佐々木さんはどんな言葉を選ばれますか?”との司会者の

 問いに

 "恕”(じょ)(おもいやり)という言葉を上げられました。

 "恕という言葉は大変重たい言葉で、人間が幸せになるにはこの

 言葉が必要じゃないかといわれました。





 佐久さんの論語からのお言葉。

  ”徳は弧〔こ〕ならず。 必ず隣あり。)  

〔注。隣は昔の字で偏が反対であったようだが、PCで出せなかった。)

 徳のある人は思い悩み、それでも日々向上している人間。

 逆境になると、人間、自暴自棄になりがちだけれど、其れをこら

 えて踏ん張っていれば、必ず助けがあると。

 孔子は逆境でもいろいろと頑張ってきたので、今でもみんなに読み

 つがれている。

 

佐久先生は孔子の教えは現代的であり、ある意味では近代的でもある。

若い人は説教くさいなどといわずに暇のあるときにぱらぱらと読んでみて、

自分の気づいたことを一つでも二つでもお覚えておく。一回で判ったと

いうのではなく、又読み返すと、昔読んだときにつまらないと思ったこと

でも、深い意味がわかったりする。

結局論語を繰り返し読むことによって、自分の成長や堕落がわかる。


佐々木さんは論語の魅力を

 ”論語にはいろいろな言葉があって、いろいろ解釈できて、その時に

 よって自分の感じが違う。

 なかなか含蓄のある奥深いものだなあと感じる。”と仰っている。

佐久先生は

 "西洋の哲学は ”善か、悪か”コインの裏表の世界なんですよ。

 ところが東洋の思想はじゃんけんの世界だ。

 じゃんけんでは石が出ても勝つとは限らない。ですからね。そう

 いう感覚で読むと判るんですよ。コインの裏表で読むとなーんだ。

 矛盾していることを言っているなと思って判らなくなる。

 でもこれから21世紀にはコインの世界ではなくてジャンケンポン

 で読んでいただくと判ると思います。”ということでした。