風竿の「人生の達人」烈伝

愛すべき友、仕事・趣味の磯釣り・ゴルフ・音楽、少しの読書などにまつわるあくまで「ヒト」に重点をおいたブログです

感じるままに

2010年06月18日 23時59分59秒 | 風竿日記

haru-155さま今年も掲載してしまいます。お許しを・・・・。

     

日ごと劣化していく脳細胞とブログというツールを使い、闘いを繰り広げている。

平凡な日常の繰り返しのようではあるが、注意深く見回すと実に多くのことが無造作に転がっているものである。

ただし日々の多忙さというのは、齢を重ねるごとに次第に増幅していて、時にはスケジュールに押しつぶされようとさえする。

では、そんな中で寸暇を惜しんで私は、どうしてブログを書き続けるのだろうか。

「結局ブログを通じて、僕を見てくれーっ!と叫びつつ、早逝した母親の愛を求めているんですよね。」

と分析した友人もいたんであるが、確かにそれも内包されてはいるかも知れないが、どうも言い当ててはいないようだ。

「自己憐憫」を外に向うブログの中で表現するほどナルシストではないし、そんなに精神的に行き詰ってはいないつもりだ。

そんな自己中心の世界では、こんなに長い間ブログを書き連ねることは絶対に出来ない。

とどのつまり自分をゆっくりと内観してみるに、「そんなに深い意味はなし」という結論に至ってしまう。

無理やり意味をこじつけると、それはそれで出来ないこともなさそうであるが、まあ日々感じたことをレアなうちに記することによって、直ちに「過去」という記憶の圏外に葬り去られる事象や出来事を、ひたすら書き連ねているに過ぎないのである。

平凡そうに見える日常も「心の襞」というフィルターを通せば、まるで万華鏡のように様々に変化するものである。

     

そこかしこ、その時、この時で微妙に視点が違ってくる出来事を、素直に、心に感じるままにキーボードを通じて記録していく。

そんなことで、まずはボケ防止に役立っているに過ぎないのだと思うんである。

花はただ咲いて散るのみなんであるが、それは1ヶ年のスパンの中ではほんの一瞬の出来事に過ぎない。

それでも一番綺麗な瞬間を写真に収めることによって、それは永遠の輝きを放ち続ける。

そして表紙から続けて2枚の写真なのであるが、これは、昨年あまりの美しさに、この世界の掟を破って作者を拝み倒して同意を得て載せた写真。

haru-155さまの「アメジスト色のアジサイ」と「ブルーのカクテルドレスを纏ったアジサイ」の2点。

写真の表題は僕が勝手に付けたもの。

一年後の今、宝箱の中から引っ張り出してきても、「フーッ!」とため息が漏れてしまう名作。

こんな素晴らしい仲間にたくさん出会えたのも、実はブログの効用といえるものである。

これからもひたすら感じるままに、ただ書き続けていきたいと思わされている。


DOUG

2010年06月17日 23時59分59秒 | 風竿の音楽夜話

波佐見にちょいと用事があって出かけました。

えらい人と会食して・・・・その後ジャズ喫茶「DOUG」へ

ここは東京にも引けをとらないジャズ・スポットなのです。

入り口のお洒落な看板、表紙の写真は駐車場の看板です。

マスターの人柄も最高。

そして、男から見ても、とてもイカしている。

3000枚のジャズ・アルバムと暮らしている人。

今夜はハウス・バンドの練習というかセッションというか・・・・

丁度いいタイミングでありました。

「ラッキー」ってピースマークでにっこりしてお店に入りました。

次々とジャズの名曲が演奏されます。上手いんだこれが・・・。

それにしても、ジャズ・ミュージシャンは凄いですね。

当たり前といえばそうなんですが、譜面を渡され、初見でバリバリなんですから。

「I remember you」がとっても良かったです。

Doug 専属ヴォーカリストのMaikoさんの声は相変わらず、疲れたおじさんの心に響いてきます。

プロに一番近い人なんであります。

声をガラス箱に入れて持って帰りたいほどのキュートでしっかりしたヴォーカルにタジタジなんであります。

いい4ビートに魂を揺さぶられながら、こだわりのある、旨いコーヒーを頂いて、とても愉しい夜を過ごしました。

「音楽はいいなぁ・・・。」としみじみ思わされました。

 


武雄よかとこブログのこと

2010年06月16日 23時59分59秒 | 風竿日記

武雄にはしみじみとしていて、ほんのりとした、それでいてどこか硬派でいながら、とっても暖かい写真ブログがあります。

それが「武雄よかとこブログ」なんであります。

武雄の現在の原風景を味付けも何もなしに、

そのまま切り取って見ていただき、

遠くから故郷を思う人に温もりを感じて頂こうという、

とても存在意義のあるブログなのです。

この写真は今朝通勤途中で拾ったもの・・・・。そして「武雄よかとこブログ」にアップしました。

なんでもない水田に映える御船山の写真なのですが・・・・・

思わずハッとするような日常風景って結構あるものなんです。

「武雄よかとこブログ」はサッカー大好きの「Dr.かいぼー先生」を編集長として10人以上の投稿記者が、気ままに武雄の写真を貼り付けています。

地道な市民運動といえるのかも知れません。

その「武雄ブログ」にお世話になって、早や一年が経ちました。

私の投稿はもっぱら通勤途中のものが多く、そのせいか橘町からの写真便りが殆どなんであります。

この写真は通勤帰りの同じ場所で撮影・・・今日の19時過ぎ

 

どうかこの風竿ブログを訪れて頂く皆様も、一度覗かれてみてはどうでしょうか。

何かほんわかとしていい感じですよ。

特に何もない日常の原風景に、何故かしら「ホッ」とするのであります。

例えば私はいつもこんな感じで記事を載せます。

「通勤の道すがら」

通勤の朝には植えられてなかったんだが、帰りには早苗が風に整然と揺れていた。

杵島山のなだらかな山並みが水田に映し出され、豊穣の穀倉地帯橘町の実力を思い知らされる季節が到来したのだ。

 

                           presented by 風竿

 


フンコロガシ

2010年06月15日 23時59分59秒 | 風竿日記

フンコロガシという虫がいるのは今ワールドカップが開催されているアフリカなんであるが、ここでは男たちは皆マイ・フンコロガシを所有していて、その格闘選手権競技大会もあるんだという。

まさに軍鶏の世界。フンコロガシも大変なんである。

         

さて、ここ武雄にもフンコロガシが生息しているのを御存知だろうか。

あまり世間様のお役にも立たないブログを書いては、いつも優雅に花の写真なんぞを載せているのだが、

ここのところ有難いことにというか、そうではないというか、

慢性的に超多忙な日々を送っている。

写真は我が家に咲く「スノー・ホワイト」なのだが、これまで写真を撮るのは早朝か夕方だったのが、とうとう夜になってしまった。

ところが夜の写真は、思わぬ凄い世界が展開することが多い

それは夜は魑魅魍魎や悪魔が支配しているからであろうか・・・。

このスノー・ホワイトのリアルさといったらどうだ・・・・。

時ならぬ、本当の雪かと思えてしまう。

 

で、なんで夜の写真って・・・・・。

そうそう、自由な時間がないんである。

忙殺という言葉があるのだが、手帳を見るとビッシリの日々が当たり前のように続いている。

仕事中は勿論のこと、分刻みで人と会う。

そして夕方から大概2、3の会合が入る。

宴席も勿論多い。酒を呑むと、おしまい。もうブログを書く時間と気力がが消滅してしまうのだ。

分単位で時間を使う人をフンコロガシというそうな・・・。

人生とは、命とは、時間そのもの、

時は人にとって有限なもの、

転じると、時間を消費することとは、命を削ることなんである。

大切に使わねばと思わされているのは、

残り時間が短かくなった証拠であろうか・・・・。

     

昨日付けにフィードバックしていますが、実は16日の早朝、4時に起き出でてこのブログを記している、実に涙ぐましいフンコロガシの呟きなんであります。


ハヤブサ帰還の日・姫シャラの木に花が咲いたよ

2010年06月14日 00時00分00秒 | 風竿日記

我が家の庭には色んな木が共存している。

その中で11年にもなるのに、位取りが高く、ツンと澄ました彼女「姫シャラ」がやっと花を咲かせてくれた。

この木いつのまにかこっそりと花をつけて、僅か数日でせっかくの可憐な花を散らしてしまうんである。

なついてくれない木とでも云おうか・・・・・。

彼女はわがまま、気ままで、けして人を歓ばそうとはしない。

そのツンと澄ました貴婦人の花はこれ・・・・。

それがアナタ、何とも可憐で美しい花なんである。

可憐で清楚なのであるが、どこか人を寄せつけない気品すら漂っている。

横で春を謳歌する「花ミズキ」を鼻でせせら笑ってたりしていたのだが、初夏のある日、いつの間にか、こんな素敵な花を咲かせていたんである。

そしてその奥には今をときめく「額紫陽花」が、梅雨を祝って咲き誇ろうとしている。

ひねもす庭に座って、花たちの語りかける言葉にしずかに耳を傾けて、ささやかな一日が暮れていくのも悪くはない。

そういえばディア・ジョンのマスターから貰った「モチノキ」の苗がこんなん、なってます・・・・。

この木が大きくなった頃には、この庭の主はこの世にいないであろうという無常感を感じながら、この新緑を眺めてみると、また味わいが違ってくるんである。

デイア・ジョンのお店の前に立っているあの大きな木の「子供」なんですよ。

 

さて、ハヤブサの燃え尽きる光を、和歌山大学のインターネットライブ中継をUSTREAMで見せて頂きました。

10時51分彼は、天の川の中に在る南十字星の上で光って消えた。

世界初の惑星往復旅行を終えて帰還した、ハヤブサの最後の燃え尽きる美しい光を見たときには、何故か涙が溢れました。

苦労に苦労を重ね何度も絶望感の中で帰還を諦めながらも、満身創痍の体をさすりながら、地球に帰ってきたハヤブサ君、でも懐かしい地球を前にした途端に光となって死んでいくわけですからね。

              

ハヤブサ君、この優しい人々が住み、

美しい植物の咲き乱れる地球へ、お帰りなさい・・・。

そして7年間の孤独な旅路、ご苦労さまでした。

USTREAMの動画はこちら


惑星探査機ハヤブサの涙・・・地球帰還へ

2010年06月13日 00時16分59秒 | 風竿日記

先日のブログでお伝えしておりました、惑星探査機ハヤブサは、満身創痍の状態で13日23時頃(日本時間)オーストラリアの砂漠地帯にカプセルを投下して、自身は大気圏突入後の高熱で融解してしまうとのことです。

さてカプセルの中に小惑星イトカワの石が入っているのか否か、とても興味に駆られるところであります。

60億キロ、7年もかけての一人ぼっちの長旅、折りしもアジサイの花が咲き乱れるこの6月、九州地方は今日から入梅という時期、ハヤブサの苦労を思うとき、天は涙を流すのでしょうね。

何度も危機的な状態を奇跡的に乗り越えての帰還には、敬意を表するとともに、ハヤブサの機体の中には魂が宿っているように思えてなりません。

 さて、日曜日はゴルフの県体予選会、多分雨の中なんでしょうが、頑張りたいと思います。


カンツォーネ、ああカンツォーネ

2010年06月12日 09時12分54秒 | 風竿日記

多感な中学・高校生の頃ラジオから流れてくるビートルズの歌声にショックを受けた。

そしてそれはそのまま、音楽の神様から魅入られ洗礼を受けたに等しい音楽的なカルチャーショックだった。

その頃アメリカやイギリスのポップスに比べるとちょっと地味ではあったのだが、どこか胸を打つ音楽がもう一つあったんである。

それはイタリアの歌謡曲カンツォーネ

サンレモ音楽祭という一大イベントがあって、そこで歌われた曲が日本でも紹介されヒットしたりした。

その頃の大好きだった曲を、少しばかりこのブログにとどめておきたい。

ジリオラ・チンクエッティの「ノーノーレター」である。

<!--  Gigliola Cinquetti - Non ho l'et&agrave; -->

この曲もまた青春の想い出が封じ込められている。若き日のジリオラ・チンクエッティの可愛いこと・・・・。

まるでアジサイの美しさなんである。

昨夜は素晴らしい女性ヴォーカリストと楽しい音あわせをしたのであるが、また音楽の魅力に取り憑かれてしまいそうである。

カンツォーネで有名な歌手はこの他にジャンニ・モランディやボビー・ソロが挙げられる。

日本では若き日の布施明がカンツォーネを得意としていた。

そんなナンバーからボビー・ソロの名曲「君に涙と微笑を」

 <!-- Bobby Solo-Se piangi se ridi-  -->

ボビー・ソロで有名な曲はもう一曲「頬にかかる涙」があるけど、それはまたの機会にご紹介しましょう。

イタリアはオペラの国だけあって、熱唱型の歌が多い

そしてその甘いメロディーが、若き日の少しほろ苦い思い出と混ざり合って溶けていくんである。


小惑星イトカワへの長い旅

2010年06月11日 00時09分59秒 | 風竿日記

日本で世界に例の無い小惑星への着陸・離陸のプロジェクトが進行していたのを御存知だろうか・・・・。

今日はこの動画を聞きながら本文をお読みください。

<!-- Blue Star -->

1985年から計画されたプロジェクトは小惑星に着陸してそこの地上から鉱物のサンプルを採取して地球に持ち帰るというもの。

1995年にMUSES-C(はやぶさ)計画と名づけられプロジェクトが正式にスタート。

2003年それまで二度の打ち上げ延期を経て鹿児島・内之浦宇宙空間観測所からM-Vロケットによって打ち上げられる。

予算の関係で打ち上げロケットが小さく、全重量は500キログラムに抑えられたとのことで、軽量化の苦労は相当なものだったらしい。

当初は順調に地球軌道を回り、その後2年半ほどをかけて地球から往復60億キロも離れた僅か幅300m、長さ600mほどの本当に小さな小惑星イトカワに到着して着陸した。

イトカワとは日本の宇宙開発の元祖である、東大ロケット研究所の故糸川英夫教授の名前から付けられたもの。

サンプルの鉱物資源を採取して、帰還の途についた途端に、致命的な燃料漏れから音信不通となり、

宇宙空間を三ヶ月間彷徨い続けた後に、僅かな電気信号を見つけて捕捉、奇跡的な地上からの復元措置で満身創痍の状態で、現在地球に帰還する旅を続けているというのである。

イトカワとはこんな品の無いゴツゴツした姿をした星なんである。

画面中央上に映っているのはハヤブサの影である。

こんな蚕の繭みたいな星だけど、サンプルデータを持ち帰ることにより、太陽系や地球の誕生の秘密が解明されるというので世界中が注目しているというんである。

そしてハヤブサはあと三日でオーストラリアの砂漠に帰還するというんである。サンプルデータの入ったカプセルをパラシュートで降ろすと、自らは大気圏で燃え尽きてしまうというんである。

ちゃんとサンプルが採取できているかどうか。パラシュートがちゃんと開くかどうかは神のみぞ知る。だって当初の計画から帰還が3年も遅れているのだから、ハヤブサの体はズタズタの状態というんである。

三回の致命的なトラブルでもうダメだと云われながらも奇跡的な回復で持ちこたえてくれて、見事にミッションを果たすのに、

やっと故郷の地球に帰れるというのに、燃え尽きて命を絶ってしまうというんである。

明日香ちゃんという女の子からJAXAに手紙が届いたそうだ。

「ハヤブサさんお疲れ様でした。でも死んじゃうんだね。帰ってこないほうがいいよ・・・・。」

その子のお父さんから付記がなされていて、

「今この子はポロポロと泣きながらこの手紙を書いています。」

ハヤブサに搭載された日本の技術「イオンエンジン」

あと三日、7年にも及んだ長く孤独な旅からのハヤブサの帰還を静かに、おごそかに見守ろうではないか・・・。

<!-- 惑星探査機ハヤブサの旅 -->
 

 

 

 

 


凄いぞ230人の大ゴルフコンペ

2010年06月10日 18時09分35秒 | 風竿の信用金庫は頑張るのだ

6月9日、九州ひぜん信用金庫の全店合同ゴルフコンペが開催された。

会場の武雄・嬉野カントリークラブは完全貸し切りの状態。

大きなゴルフ場を貸し切るなんて、ちょっと痛快なんである。

「さつき晴れ」の素晴らしい天気に、私たちの気分も盛り上がりました。

私も「仕事」ということで堂々と出場しました。

いつも思わされるのですが、本当に「ひぜしん」のコンペにはよくお集まり頂きます。

今回も旧きしま信金地区から180名の大動員、昨年の暮れの合同忘年コンペが150

名でしたので、またもや、記録更新いたしました。

本当にご参加いただくお取引先様には頭が下がります。

これだけのお方をよくぞ集めるもの・・・。うちの支店長さん達はエライんであります。

ひぜしんは気の利いたことを云う職員はいませんが、お客様から好かれて可愛がられる職員は多いんであります。これはちょっとした自慢なんです。

 

さて、大会結果は凄いレベルでした。70台で回った人が19人もいて、

気の毒だったのは・・・「79」で回った牟田ナオキ君、彼でさえ143位なんであります。

層の厚さというか、ダブルぺリアの怖さというか・・・・なんとも申し訳ない。

僕の成績は「87」で回って77位・・・・飛び賞にありつきました。

ゴルフの内容は悪くはなかったのですが、ロングでトリプル(8)を2ヵ所も叩いてしまいました。

なんでもないところで不用意なミスは私の悪い癖なんです。

脇が甘いんだよなぁ。

懇親会はあまりに人が多すぎるので、各地区に分かれて開かれました。

 

この日総勢230人が各地域で呑んで回ったのであります。

経済効果たるや相当なものとなりましょう。

そして、ちゃっかりと、前向きな設備資金のお話をあちらこちらで仕入れ、この日たくさんの営業を果たした私でもありました。

 


NAOSHI 一期一音

2010年06月08日 22時00分00秒 | 風竿の音楽夜話

今から30年ほど前になるのだろうか・・・。

武雄市文化会館の小ホールで高校生バンドのコンサートが開かれていた。

「パンジー」という可愛らしい名前のそのバンドは、当時日本中を席巻していたTULIPのコピーバンドであった。

何で私が、その高校生バンドの一世一代の晴れ舞台に顔を出したのかまったく覚えてはいないのだが、

そのステージで、カワイ製のちっちゃなエレピを弾きながら、財津和夫ばりに若い声を張り上げていた高校生に妙な関心を持ったのである。

その時の音楽少年はやがて大学へ進学して、「シュガーローフ」というバンドを結成、おっかけも居て、九州でそれなりの大活躍をしたのである。

大学を卒業すると、メンバーはバラバラとなり、とりあえず彼は私の友人が経営する武雄市内の楽器店でアルバイトをしながら、プロの道をあれこれ模索していた。

その頃であったろうか、彼はシングルレコードを自費出版でリリースした。「悲しい部屋の中で」という曲だったと思う。

彼の人柄と、音楽仲間のよしみで私も一枚買った。

ひょっとしたら、日本はおろか世界的なスターになるかもと、彼の可能性と、のびやかな感性に賭けた意味合いもあったのかも知れない。

例え夢破れ挫折したにしても、そのときは信用金庫に誘えばいいかと思ったりしたこともあった。

やがて時は過ぎ、彼は地元でなくてはならぬ存在のミュージシャンに育って行ったのである。

日本中にその名前が知れ渡る存在には、残念ながら今のところなってはいないのであるが、地元で小さな成功はいくつも積み上げてきた。

テレビのCMでも彼の歌がよく使われるようになるにつけ、いつも心の中で「頑張れ」と応援したものである。

それは彼の姿のどこかに、若い頃、プロのミュージシャンを目指した自分の姿を投影していたからかも知れない。

彼の名前は北村尚志

地元に根ざした歌を作り、かつ自分で唄う。

どっしりとこの佐賀に根を張って生きている。

そしていつも純粋で、それでいて謙虚そのもの

彼は信用金庫マンにはならなかったが、九州ひぜん信用金庫のイメージソング「プロペラ」を作ってくれたのである。

    

音楽に関してはとても頑固な一面があるのだが、とってもいい歌を数多く世に送り出してきた。

彼の2枚目のCDアルバム「夢」では、なんとこの私もハモったりしているのだ。

最近は社会貢献活動に寄与する歌にも取り掛かっている。

武雄市のガン撲滅市民大会で披露した「あなたの手紙」もいい歌であった。

そして彼の人生そのものが、有り難い歌のご縁に満ち溢れている。

一期一音(いちごいちね)なんである。

生き方そのものが壮大なスケールの歌なんである。

今後の北村尚志にさらに期待しているんである。

 「旅の途中で」   北村尚志とフューチャーキッズ