佐世保地区の万年青会の旅行のお話もいよいよ、最後になりました。
旅の終わりは中津市
NHK大河ドラマ「官兵衛」でスポットライトがあたっている黒田如水が治めた土地である。
その中津城に登城するんである。
残念ながらこの城は復元されたものではあるが、中津川下流河口域から周防灘を臨む場所に建てられた云わば水城である。
1588年(天正16年)黒田孝高(官兵衛)により築城されたというから、今から427年も前に建てられたもの。
この日は生憎の雨であったが、大河ドラマの人気は絶大で、多くの観光客で賑わっていました。
軍師官兵衛さんも、草葉の陰で喜んでいることでありましょう。
官兵衛のことで興味深かったことは、この地はそもそも18万石位の年貢は取り立てられたらしいのだが、検地をやり直して、15万石としたということ。
大名は当時、競って石高を少しでも多くしようとしていた中で、官兵衛は領民の暮らしが少しでも良くなるようにとの配慮から、逆に石高を落としたというのである。
領民の暮らしを主体に考えた官兵衛ならではの優れた采配であろう。
結局、黒田家は中津城主としては僅か13年ほどで、福岡52万石に移封することになり、この城も細川氏、小笠原氏を経て奥平氏が幕末まで治めることとなったのである。
写真の鎧兜は奥平氏のものである。
甲冑というものは所謂、戦闘服なのだが、これがとても美しいものだ。
ジョージ・ルーカスがスターウォーズの帝国軍のミリタリースーツや、悪の権化ダースベーダーのコスチュームデザインを日本の武将の甲冑に影響を受けたと聞いたが。むべなるかなである。
この陣羽織のデザインも素晴らしい
現代でも通用する優れたデザインである。
キリシタン大名であった黒田如水の後の旗印も当時としては、というより今でも通用する素晴らしいデザイン
江戸時代にこんなデザインが日本にもあったのだ。洒落たロゴではないか・・・・。
さて、馬鹿は高いところに登りたがるというが、私も雨がそぼ降る中、天守閣まで登った。
中津川は一級河川だけあって大きな河口であった。
天守閣からの眺めは、えも言われぬ絶景、とても素晴らしかった。
向こうは周防灘である。
城は復元されたものであるが、掘割は昔のままらしい。
満潮時には水門を通って海水が入ってくるのだという。
地の利を生かした城造りも黒田官兵衛ならではのもの。
さて、中津は一万円札の顔、福沢諭吉の故郷でもある。
さらには、69連勝の名横綱双葉山の故郷でもあった。
稀代の名横綱は、安芸の海に破れ69連勝でストップした時に
「我、未だ木鶏足り得ず」といった言葉はとても有名なのだが、中国の故事を持ち出すなど教養の高さも一流だったのだろう。
人物も深みがあって、これまた一流だったらしい。
その化粧まわしも中津城に展示してあった。
今回の一泊二日の旅で、こんなにブログの誌面を使うなどと思いもしなかった。
世の中はまだまだ知らないことだらけ。
私の好奇心は果てなく続く。
好奇心旺盛は、人間が進化している証拠だと思う。
その意味では、いい旅行であった。