風竿の「人生の達人」烈伝

愛すべき友、仕事・趣味の磯釣り・ゴルフ・音楽、少しの読書などにまつわるあくまで「ヒト」に重点をおいたブログです

線香花火

2009年08月11日 23時47分27秒 | 風竿日記

今年もお盆の季節となった。

仏壇に燈明を灯し、軒先に打ち水をして提灯を飾り、迎え火を焚いて父と母とおばあちゃんを心しずかにお迎えする。

生前厳しかった父から叱られないように、庭先の草もちゃんと払って、ちょっとしたお供え物を準備した。

お帰りなさい。二泊三日の短いご滞在であるが。

父は54歳で他界するまで、田舎の中学校教諭を務めていた。

 

私たち子供の前では極めて口数が少なく、厳格そのものの人であった。

人生何が面白いんだろうと子供心に思ったこともあったくらいに・・・・。

酒を呑むと低い声で・・・おいら岬の燈台守は・・・と歌った。

夏になると目をつむって冷やしソーメンをズルズルと食べていた。まったくもって、今の私のようにである。

消化器系からの異常出血でよく原因も判らぬまま、入院してわずか4日で逝ってしまった。

来春には「校長の資格を取った」と密かに張り切っていたのに。

私がまだ27歳の時であった。まさかの急逝に茫然自失した。

母は私が小1のとき、32歳で他界し、自分が母の齢を超えたときは自分なりに、次は父の齢を超えたいと、ひそかに思ったものだった。

父を超えるとは、それほど大きなものの一つでもあったのだ。

人はいつかは線香花火のように、儚くこの世から消えてしまうものではあるが・・・。54歳を大禍なくクリアした時は、実に複雑で妙な気分であった。

そして、それからはまさに「拾い物」の人生みたいに考えたりもしたものだ。

私の残り火があとどれくらいなのかは「神のみぞ知る」であるが、どうせ生かさせて頂くのであれば、これからはせめて「ご恩返しの人生」としたいものである。