青 春
サミエル・ウルマン
青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ。優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心,こう言う様相を青春と言うのだ。年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。歳月は皮膚のしわを増すが情熱を失う時に精神はしぼむ。苦悶や、狐疑、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。曰く「驚異への愛慕心」空にひらめく星晨、その輝きにも似たる事物や思想の対する欽迎、事に處する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。
人は信念と共に若く 人は自信と共に若く 希望ある限り若く |
疑惑と共に老ゆる 恐怖と共に老ゆる 失望と共に老い朽ちる |
大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、偉力と霊感を受ける限り人の若さは失われない。これらの霊感が絶え、悲歎の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、皮肉の厚氷がこれを固く閉ざすに至れば、この時にこそ人は全くに老いて神の憐れみを乞う他はなくなる。
ミュージック・イン・タケオが終わってしまいました。僕たちの甲子園が早くも終わってしまいました。
出演者中最長老バンドだと言われましたが、全然そんなこと思ってもいません。
僕らはまだ発展途上人です。まだ日々進化し続けているんですからね。
さて、今回はこのミュージック・イン・タケオの初の野外ライブのお話を少しだけ
1981年の8月2日、今から28年前に八幡岳のキャンプ場で同様のライブをやりましたが、この時の発案者が実は私でありました。
「タケオのウッドストックといわれる野外ライブイベントをやろう」ということで当時楽器店をやっていた友人を唆したんであります。
そして実行委員会を組織して、全部一から話し合いで決めました。完全合議制のもと、実行委員長を長老の浦郷さんにお願いして、色んな方々に入って頂きました。
当時は合唱団やまびこの連中も相当手伝ってくれましたね。若かったしね。
インプットの山光さんも当然大活躍看板を作ってくれたんですが、実は今回の看板も彼の制作。当時と今回もPAは彼がばっちり担当してくれました。
そのときのTシャツです。私がデザインして、市内のBeansさんに頼みました。200着作りましたがすぐに完売したように思います。
そして、この日この28年前のTシャツを着て参加したこの男
SWINGのイズミ君、当時17歳だった彼らは高校生バンドでとっても可愛かったものです。ビートルズのコピーでI feel fineがとっても良かった記憶。今や45歳の彼ら。しかし何と言うモノ持ちの良さ・・・・。しかも黄ばんでもいない。
Tシャツ製作者の私としては大感激だったのでありました。
山光さんの熱唱、何と「ディープパープル」のハイトーンを唄いまくる57歳
看板作って、PAやってまでは28年前と一緒、今回はボーカルまで・・・・
今回一番頑張ったのは実はこの山光とゆきえさんなんであります。頭が下がるというより、人はここまで出来るのかという位に完全燃焼でした。
そしてここにも凄い男が・・・・
小城の風雲児スタンハンセン、ブリーフオヤジ包み隠さず、つつみかくぞう君、別名「にせ拓郎」57歳テントは張らない男
今回はテキサスアウトローズを率いて参戦。自転車で鍛えた足腰はまだまだやれることを証明しました。愛用のレスポールの保存状態も良さそう。
彼も28年前参加したメンバーの一人です。狂気のステージングは相変わらず。
そして我がおじさんバンド、EB岡ちゃん60歳、私Kb57歳、Dsタモリ55歳、AGコガ倉54歳こがわ52歳なんであります。朽ち果てた「萎むテント軍団」でありますが、テント仕度はばっちり、真昼間の早い出番を終えた後は、涼しい木陰の下で時折涼風に身を任せて、ビールをグイグイとやっていたんであります。
楽しい嬉しいくつろぎの野外ライブ・・・・・・とてもお話しきれませんので、次回まで
To be continue・・・・・・