奈良

不比等

古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その1464)

2020-08-26 08:15:00 | 奈良・不比等

北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない

願い寺の住職は、大阪帝国大学(理学部数学科)卒の、インテリである。数学教師の免状を取ろうと、工学部から理学部に転部されるも、教職必須単位が足りず免状は取れなかった。また、その頃、先代住職の体調が優れず家業が忙しくなったとのこと。

お盆のお参りに来て下さり、読経が済むと高校が同窓であることもあり、話が弾む。数年前から若和尚にメインを譲られており、お盆でも余裕たっぷりであった。-------

80数才のお歳であるけれど、頭は健在であり、お坊様であるためか、話の受け答えに、無駄がない。酒が全く駄目になったと謐(ぼや)いてられたが、食欲はあるようだ。-----

禅宗寺院全般に、ご住職のインテリ度は高く、末寺の住職で一生涯を送られるのは勿体無いと思ってしまう。がしかし、大阪の寺町で寺院経営するのは、頗(すこぶ)る大変であったようだ。檀家の戸数が大阪空襲で激変し、戦後成金が檀家にいれば本堂の再建も早かったのだ。居並ぶ寺町も郊外に移転する寺あり、ホテルに土地を貸す寺あり、借家経営/子供の塾/駐車場/幼稚園/宗派を問わない墓地提供など、色々と大阪らしく寺の生き残りを図ってこられたのだ。------

寺町に住んだことがあり、小中学校の同級生にはお寺の師弟が少なくない。曹洞宗/臨済宗/浄土宗/日蓮宗など色々であるが、お寺を継ぐのは一般的に長男であり、次男は自分で職を探す才覚を磨くしかない。同級生には年代的に次男層が多かった。関西学院大学/神戸大学などを出て、世俗で生活をするしかないのだ。長男層では、仏教大学/駒澤大学などを出て住職を継ぐ人もいる。師弟が女性だと、禅宗などはお坊様の婿養子を取るしか手立てが無くて、寺から出ざるを得ない事例もあった。寺の跡継ぎには男性は問題ないのだが、宗派によって今でも男女差別があるのだ。-------

宗教観を改(あらた)めると、願い寺を持たない層を既に多く生み出していることが分かる。戦後疎開先の農村から都会に出てきた人たちの家族は核家族であり、その子供たちも当然核家族あるいは単身世帯であり、益々、願い寺などありえようもない社会となってしまっている。唯、江戸時代の寺請制度の名残は、意識下に世代を継いで残っており、今も日本の総人口の半分あるいは三分の一程度(6千万人/4千万人)は、願い寺を持つ層となって存続しているのだ。これも経済格差と関係しており、増減はお寺の存続とも連動しているのだろうと考えた。

 

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古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その1463)

2020-08-25 08:15:00 | 奈良・不比等

北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない

「北朝の天皇~室町幕府に翻弄された皇統の実像(石原比伊呂著・中公新書2020刊)」を読んだ。石原比伊呂(いしはらひいろ1976生れ)氏は、東京都立大(人文学部)卒、青山学院大学大学院博士課程修了。博士(歴史学/青山学院大学)。現在、聖心女子大学(現代教養学部)准教授。専門は日本中世史とのこと。-------

この本の章立ては次の通り。“戦国時代の天皇即位儀と将軍”、“分裂する皇統/鎌倉時代”、“天皇家と足利将軍家の邂逅/南北朝時代前後”、“後光厳院流と崇光院流/室町時代前期”、“天皇家を支える将軍たち/室町時代中期”、“儀礼的昵懇関係とその裏側/室町時代後期”、“生き残る天皇家/戦国時代”、“中世の終焉”-------

扉の抜き刷り文は次の通り。1336京都を制圧した足利尊氏は新天皇を擁して幕府を開いた。後醍醐天皇は吉野に逃れ、2帝が並び立つ時代が始まる。北朝の天皇や院は幕府の傀儡だったと思われがちだが、歴代将軍は概して手厚く遇した。3代義満による南北朝の合一以降、皇統は北朝系が占めた。一見無力な北朝は、如何に将軍の庇護を受け生き残りに成功したか、両者の交わりをエピソード豊かに描き、室町時代の政治力学を解き明かす。-------

水戸史学の流れを汲む明治政府の立場は南北朝正潤論で、南朝の肩を持った。戦後漸く北朝を擁立した足利尊氏を復権させたと言えるのだろう。今や日本史は高校でも必須科目ではなく、南北朝に関心のある若い人は相当に少ないはずだ。にも拘らず、石原比伊呂氏は、事細かに史料を当たってエピソードを拾い集めてこのような新書に纏められた。------

石原比伊呂氏の主張は、南北朝だけでなく、南北合一後も皇統の分裂は続いており、それを必要とする権力者の道具として存在し続けたと述べている。室町時代の終わり(戦国時代)には、皇統のスポンサーが皆無となって、存続の危機に瀕するのであるが、辛うじて信長・秀吉・家康に救われるのであるとも書いている。------

後南朝とか、すり替え論のような陰謀論は皆無である。飽くまでも、正史扱いの議論が中心となっている。

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古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その1462)

2020-08-24 08:15:00 | 奈良・不比等

北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない

「年齢は捨てなさい(下重暁子著・幻冬舎新書2019刊)」を読んだ。下重暁子(しもじゅうあきこ1936生れ)女史は、早大(教育学部国語国文学科)卒、NHKに入局し、アナウンサーとして活躍した。民放キャスターを経て、フリーとなり、文筆活動に勤(いそ)しんできた。ジャンルはエッセイ/評論/ノンフィクション/小説と幅広い。“日本自転車振興会”や、“日本ペンクラブ”の役職も歴任してきた。-------

この本の章立ては次の通り。“年齢という魔物”、“年齢は自分で決める”、“年齢を超越するということ”------

裏表紙の抜き刷り文は次の通り。年齢を気にせず好きなことに没頭している人は、皆若くて生き生きしている。一方で“もう年だから”が口癖の人は総じて老け込み、侘(わび)しい人生を送っている。ことほどさように年齢を意識しすぎることは、何の得にもならず、生き方を狭(せば)めてしまうだけである。年齢を聞くことは品の無い行為、還暦祝いが嬉しい人はいるのか、外見の若さを求め続けるといつか破綻する、今日という日が人生で一番若い、年齢を自分で決めると楽になる、等々。年齢にとらわれず自由で充実した人生を送るヒントが詰まった一冊。------

下重暁子女史は“家族という病(2015)”がベストセラーとなってからは、多分、新書を書けば必ず売れて出版社から“引っ張りだこ”の作家の一人となられたのだろう。この本「年齢は捨てなさい」を読むと、以前読んだエピソードも書かれていて、下重暁子女史の新たな情報は多くないのだが、ファンとなってしまえば、そんなことはどうでも良くて、下重暁子女史が一方的にお喋(しゃべ)りされる、取り留めの無いお話を聴いているのが、とっても楽しいのだ。そのような本である。-------

大所高所の話は全く出てこず、個人レベルの話に終始するのであり、政治色もなし/戦時/戦争の話もなしで、イデオロギーに感化されてもおられず、無色透明な感じで、好感が持てるのだ。

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古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その1461)

2020-08-23 08:15:00 | 奈良・不比等

北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない

「ソフトバンク崩壊の恐怖と農中ゆうちょに迫る金融危機(黒川敦彦著・講談社α新書2020刊)」を読んだ。黒川敦彦(くろかわあつひこ1978生れ)氏は、阪大(工学部)卒、新エネルギー産業技術総合開発機構の研究員として、阪大の大学発ベンチャーの設立支援業務に従事していた。リーマンショック(2008)を機に、2011今治に帰郷し農業と政治活動を始めた。政治団体オリーブの木を設立し、2018よりユーチューバーとしても活躍している。------

この本の章立ては次の通り。“18兆円の借金まみれ/ソフトバンクの抱える爆弾”、“農林中金はなぜ危ないか/仕組債CLOの罠”、“ゆうちょマネー100兆円に迫りくる金融危機”、“危機の黒幕/渡り鳥金融マンたち”、“金融資本と戦うために”------

リーマンショックの影響で、ベンチャー起業の仕事に夢破れある種挫折されたようである。世界経済がリーマン以後も懲(こ)りもせずにリーマン以上の金融危機の淵(ふち)にあるという警告をこの本では発しているのだ。その典型例として、ソフトバンクは相当に危ないと指摘しておられる。コロナ禍直前の発刊なので、コロナ禍による世界経済への悪影響は読み込んでおられないのだが、余りに実業を無視した投機会社としてのソフトバンクの経営はこのところの孫正義氏の読み間違い/強引さなどにより経営の質が低下し、莫大な営業損失を抱えてきている。此処にきて漸く守りに徹する方向に舵を切ったようだが、もう遅すぎの感が強い。-------

黒川敦彦氏は、金融工学に相当な識見をお持ちであるのか、世界はその悪辣な資本主義の魔の手に翻弄されているのだと書いておられる。特に、日本は日米同盟に従わざるを得ず、アメリカ国債を引き受けることで、ドルを買い支えてきたとも言うのだ。これもこのままでは日本自体が立ち行かなくなってしまうと嘆いてもおられる。こうした日本政府の弱腰を自らが政治家となって日本経済を立ち直らせたいとの思いから今も政治家を目指しておられるのであるようだ。

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古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その1460)

2020-08-22 08:15:00 | 奈良・不比等

北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない

「有限の中の無限~素数がつくる有限体のふしぎ(西来路文朗&清水健一共著・講談社BLUEBACKS2020刊)」を読んだ。西来路文朗(さいらいじふみお1969生れ)氏は、阪大大学院(数学専攻)博士課程単位取得退学、博士(理学)。専門は整数論。現在は広島国際大学(看護学部)教授、広島大学客員教授である。清水健一(しみずけんいち1948生れ)氏は、岡山大学(理学部数学科)卒、博士(理学)。専門は整数論。現在は岡山大学客員教授である。--------

この本の目次は次の通り。“不思議な国の不思議な計算”、“四則演算からの風景”、“0と1の幾何学”、“美しい平方数の世界”、“方程式からの眺望”、“平方数を超えて”、“有限個の数の世界と普通の数の世界”、“ガロアの虚数”、“p乗の魔法”、“有限体上の楕円曲線”------

裏表紙の抜き刷り文は次の通り。1+1=0や1+2=0が成立する。不思議な数の世界=有限体。0、1、2の3つしか数字がなくても、数論/代数/幾何が成立する。ガロアが見出し、進化させた新たな素数の世界とは。素数の不思議を解き明かしながら、有限個の数の世界で無限に展開する数学の魅力に読者を誘(いざな)う。------

高校数学でも大学の教養数学でも取り上げられることの少ない“ガロアの有限体”に易しく/詳しく解説をしてくれている本である。素数の性質を調べる上でも、“有限体”は有用なようであり、ネットの暗号化技術に用いられていると書かれているので、暗号を知る入り口でもあるようだ。------

前半は、数直線を数曲線と考えればよいとか、簡単に解説してくれているのだが、後半になると、急に高度な内容となるために少し引いてしまうかもしれない。素数と虚数の関係などは考えにくいのだ。でもBLUEBACKSとしては良い本なのだろう。

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