北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない
願い寺の住職は、大阪帝国大学(理学部数学科)卒の、インテリである。数学教師の免状を取ろうと、工学部から理学部に転部されるも、教職必須単位が足りず免状は取れなかった。また、その頃、先代住職の体調が優れず家業が忙しくなったとのこと。
お盆のお参りに来て下さり、読経が済むと高校が同窓であることもあり、話が弾む。数年前から若和尚にメインを譲られており、お盆でも余裕たっぷりであった。-------
80数才のお歳であるけれど、頭は健在であり、お坊様であるためか、話の受け答えに、無駄がない。酒が全く駄目になったと謐(ぼや)いてられたが、食欲はあるようだ。-----
禅宗寺院全般に、ご住職のインテリ度は高く、末寺の住職で一生涯を送られるのは勿体無いと思ってしまう。がしかし、大阪の寺町で寺院経営するのは、頗(すこぶ)る大変であったようだ。檀家の戸数が大阪空襲で激変し、戦後成金が檀家にいれば本堂の再建も早かったのだ。居並ぶ寺町も郊外に移転する寺あり、ホテルに土地を貸す寺あり、借家経営/子供の塾/駐車場/幼稚園/宗派を問わない墓地提供など、色々と大阪らしく寺の生き残りを図ってこられたのだ。------
寺町に住んだことがあり、小中学校の同級生にはお寺の師弟が少なくない。曹洞宗/臨済宗/浄土宗/日蓮宗など色々であるが、お寺を継ぐのは一般的に長男であり、次男は自分で職を探す才覚を磨くしかない。同級生には年代的に次男層が多かった。関西学院大学/神戸大学などを出て、世俗で生活をするしかないのだ。長男層では、仏教大学/駒澤大学などを出て住職を継ぐ人もいる。師弟が女性だと、禅宗などはお坊様の婿養子を取るしか手立てが無くて、寺から出ざるを得ない事例もあった。寺の跡継ぎには男性は問題ないのだが、宗派によって今でも男女差別があるのだ。-------
宗教観を改(あらた)めると、願い寺を持たない層を既に多く生み出していることが分かる。戦後疎開先の農村から都会に出てきた人たちの家族は核家族であり、その子供たちも当然核家族あるいは単身世帯であり、益々、願い寺などありえようもない社会となってしまっている。唯、江戸時代の寺請制度の名残は、意識下に世代を継いで残っており、今も日本の総人口の半分あるいは三分の一程度(6千万人/4千万人)は、願い寺を持つ層となって存続しているのだ。これも経済格差と関係しており、増減はお寺の存続とも連動しているのだろうと考えた。