奈良

不比等

古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その1463)

2020-08-25 08:15:00 | 奈良・不比等

北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない

「北朝の天皇~室町幕府に翻弄された皇統の実像(石原比伊呂著・中公新書2020刊)」を読んだ。石原比伊呂(いしはらひいろ1976生れ)氏は、東京都立大(人文学部)卒、青山学院大学大学院博士課程修了。博士(歴史学/青山学院大学)。現在、聖心女子大学(現代教養学部)准教授。専門は日本中世史とのこと。-------

この本の章立ては次の通り。“戦国時代の天皇即位儀と将軍”、“分裂する皇統/鎌倉時代”、“天皇家と足利将軍家の邂逅/南北朝時代前後”、“後光厳院流と崇光院流/室町時代前期”、“天皇家を支える将軍たち/室町時代中期”、“儀礼的昵懇関係とその裏側/室町時代後期”、“生き残る天皇家/戦国時代”、“中世の終焉”-------

扉の抜き刷り文は次の通り。1336京都を制圧した足利尊氏は新天皇を擁して幕府を開いた。後醍醐天皇は吉野に逃れ、2帝が並び立つ時代が始まる。北朝の天皇や院は幕府の傀儡だったと思われがちだが、歴代将軍は概して手厚く遇した。3代義満による南北朝の合一以降、皇統は北朝系が占めた。一見無力な北朝は、如何に将軍の庇護を受け生き残りに成功したか、両者の交わりをエピソード豊かに描き、室町時代の政治力学を解き明かす。-------

水戸史学の流れを汲む明治政府の立場は南北朝正潤論で、南朝の肩を持った。戦後漸く北朝を擁立した足利尊氏を復権させたと言えるのだろう。今や日本史は高校でも必須科目ではなく、南北朝に関心のある若い人は相当に少ないはずだ。にも拘らず、石原比伊呂氏は、事細かに史料を当たってエピソードを拾い集めてこのような新書に纏められた。------

石原比伊呂氏の主張は、南北朝だけでなく、南北合一後も皇統の分裂は続いており、それを必要とする権力者の道具として存在し続けたと述べている。室町時代の終わり(戦国時代)には、皇統のスポンサーが皆無となって、存続の危機に瀕するのであるが、辛うじて信長・秀吉・家康に救われるのであるとも書いている。------

後南朝とか、すり替え論のような陰謀論は皆無である。飽くまでも、正史扱いの議論が中心となっている。

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