奈良

不比等

古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その1856)

2021-09-22 08:15:00 | 奈良・不比等

北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない

「私が朝鮮半島でしたこと~架橋/農地改良/道路建設/鉄道工事1928~1946(松尾茂著・草思社2002刊)」を読んだ。松尾茂氏(まつおしげる1910佐賀県生れ)は、大川内尋常高等小/佐世保商業専修学校/京城昭和工科学校卒、戦前は朝鮮半島で各種の土木工事を手掛けた。戦後引き揚げてからは1948より前田建設にて作業主任を務めた。-------

この本「私が朝鮮半島でしたこと」の内容紹介文は次の通り。昭和初年、著者が見た朝鮮半島の山河は未だ荒れ果てていた。この地を豊かな水田に改良して米の増収を図るため、著者は朝鮮の人たちとともに各地を渡り歩いて水利工事に取り組む。貯水池を設け水路やトンネルを掘り、道を作り橋を架ける。戦時色の強まる中、鉄道工事にも手を染める。そして鴨緑江に橋を架け平安南道安州の大規模な農地開発に着手して2年後、突然の終戦。もしあの水利事業と干拓工事が完成していたなら、現在の北朝鮮の食糧不足はかなり防ぐことが出来たのではなかったか。日本が朝鮮半島で行った土木工事の実態を当事者が回顧した極めて貴重な記録。戦前、朝鮮半島で土木事業に取り組んだ有る日本人の記録。朝鮮人の現場作業員と同じ釜の飯を食い、共に汗を流して工事に取り組んだ日々を事実に即して振り返った貴重な記録。------

松尾茂氏は、併合した朝鮮のインフラ建設に請負施工会社として18年間に亘って携わった。その内実を書籍の形で残しておきたいと思い立ってこの本を企画したのだそうだ。戦後の朝鮮半島は朝鮮戦争に巻き込まれ南北に分裂して工事途中のインフラ工事が再開されたのは、可なり後年になってからであろうが、完成を見ずに日本に引き揚げざるを得なかったのは残念であると、私心を述べている。インフラ建設は帝国であろうと、共和国であろうと、民衆のための経済を豊かにするものであることは確かなのだから。それだけが救いであったようだ。

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