奈良

不比等

古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その1841)

2021-09-07 08:15:00 | 奈良・不比等

北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない

「孫玉福39年目の真実~あの戦争から遠く離れて外伝(城戸幹著・情報センター出版局2009刊)」を読んだ。城戸幹(きどかん1941生れ)氏は、満州/富錦に生れ、1945年8月、終戦の混乱の中、両親と生き別れ、牡丹江の北/頭道河子村で中国人夫婦の養子となり、日本に帰国する1970年までの29年間、中国名/孫玉福(スンユイフー)として育った。日本では地元/愛媛県の建設会社に31年間勤めて、現在は年金生活をしているそうだ。--------

この本「孫玉福の39年目の真実」の目次は次の通り。“悲運の中で(赤椅子の記憶/養父の教育)”、“南屯と北站の思い出(芝居と講談に熱中/賭博とアヘン事情/五林鎮で中学受験)”、“海林中学での三年間(祖母がしてくれた入学準備/海林中学の友人と同級生/母の再婚話と祖母の死)”、“激動の高校時代(大躍進そして勤功倹学)”、“岐路からの再出発(旧友たちとの再会/無蓋列車でルーツ探し/最後の大学入試)”、“彷徨える日々(泡のように消えた夢/日本人高橋さんとの出会い/人民公社の人々)”、“自分の決めた道を行く(国籍選択を迫られて/託運公司の仕事と収入/田舎から両親を迎える/丸太担ぎへの挑戦)”、“祖国日本を目指して(日本からの手紙/文化大革命の前兆/全てを賭けた親探しの手紙/日本の両親の苦労)”、“帰心矢の如し(二人の母の間で/故郷を離れる時/出国そして日本の土を踏む/日本語との必死の格闘)”、“第2の人生を生きる(定時制高校入学と運命の出会い/農民の船で訪中する/牡丹江で涙の再会/遂に迎えた養母の死/運命を抱きしめて)”、“解題/父と私の旅/城戸久枝”-------

城戸幹氏は、この本のタイトルにあるように、日本に帰国してより、39年目の自分の心境を記しておこうとしたのだ。中国籍を選んで新生中国に残留していれば、大学進学も出来ただろけれど、日本への帰国を選んだが故に、実父の反対もあり、日本での大学進学の夢は断たれた。孫玉福の夢は、共産中国でも勉強が出来れば高度な仕事に就けることと、高給を得て養母に恩返しをすることだった。日本語をゼロから習得するという人生の再スタートを切ったのは、城戸幹氏には不満足だったことだろう。でも今の心境は、それで良かったのだと、自分を慰められているように思った。細かい記述はそのことを物語って余りある。

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