奈良

不比等

古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その1838)

2021-09-04 08:15:00 | 奈良・不比等

北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない

「高地文明~もう一つの四大文明の発見(山本紀夫著・中公新書2021刊)」を読んだ。山本紀夫(やまもとのりお1943生れ)氏は、1970京大(農学部/農林生物学科)卒、1976同大学院博士課程修了、国立民族学博物館の助手/助教授/教授を経て、現在は同名誉教授である。農学博士(京大)/学術博士(東大)/専攻は民族植物学/環境人類学。-------

この本「高地文明」の目次は次の通り。“歴史教科書の記述は正しいか(文明とは何か/効果的な食糧生産の確立/インダス文明は大河文明ではなかった)”、“高地文明の発見に向けて(世界の四大高地/過ごしやすい熱帯高地/求められる全地球的な見方)”、“其れは雑草から始まった/メキシコ中央高原に栄えた石器文明(トウモロコシの栽培化/トウモロコシかぼちゃインゲン豆の複合/大都市テオティワカン/アステカ王国)”、“ジャガイモが生んだアンデス高地の文明/ティティカカ湖畔(熱帯アンデス/ジャガイモの栽培化/苦いジャガイモを主食にする理由)”、“高地文明としてのインカ帝国/天空の帝国が生んだ文明(飢える者がいなかったインカ帝国/中央アンデス高地は根菜農耕文化圏)”、“チベットの高地文明/チンコーとヤクとチベット仏教(乾燥チベットと湿潤チベット/ヤクの家畜化による輸送革命)”、“もう一つの例/エチオピア高地の文明(アクスム文明/熱帯高地としてのエチオピア)”、“大河文明説の見直しに迫る(何故高地文明圏を提唱するのか)”-------

山本紀夫氏は、農学を学んでその実学を社会に活かす職業選択をせずに、農業から見た人類の文明の発展の過程を解き明かそうとする研究者の道に生涯を費やしてこられたようだ。人類の祖先が出アフリカの後、長い歳月を経て農耕文明を見出したことは、先学の云われる通りだが、その場所が四大大河流域だと云うのは、再考の余地があるのではなかろうかと、四大高地文明を提唱して真っ向から、大上段で切り付けて来られている本なのでとても面白い。一読の価値は当然あると思った。

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