月見草

2009-05-22 23:59:00 | 自然&いきもの+ゾウのはな子



17時55分、月見草が白い花を咲かせました!


 二日続けて午前様になりました(とはいえ、遊んでいたわけでもない・・・)。今日は昨日ほど眠くないので、こうして、机の前に坐っていますが、長い文章は書けそうもないので、またしても花の写真でお茶を濁そうとしています。

 早いもので、家を建て直して今年で7年目を迎えました。七年目というと、ビリー・ワイルダー監督の『七年目の浮気』が頭に浮かびます。マリリン・モンローのスカートがめくれる地下鉄のシーンだけが取りあげられるけど、あの映画のモンローは「お色気むんむん」じゃなくて、実に「可愛い」女性でした(映画の役柄に反して、モンローはひどく不安定な精神状態に陥っていて、撮影は困難を極めたそうです・・・)。
 話がいきなり脱線しましたが、そのとき父が、友人からもらった月見草の種を庭に蒔きました。数ヵ月後、夕方になると、あちらこちらで月見草が白い花を咲かせるようになりました。
 月見草と言えば、太宰治が「富士山には月見草がよく似合う」と、『冨嶽百景』に書いていて、それまで自分は、太宰が記した黄色の可愛らしい花が月見草だと思っていました。この花は月見草と同じマツヨイグサ属のマツヨイグサだったのですが、太宰はよく読まれているため、多くの人が混同しているそうです。
 本物の月見草の花の色は白です。花弁は徐々に淡いピンク色に変わってゆき、朝にはしおれてしまいます。楽天の野村監督は、現役時代に「ONが太陽の下で咲くヒマワリなら、自分は日本海にひっそり咲く月見草だ」と発言していますが、誰もいない夜に美しく咲く姿を何度も見ている自分は(夜目に白く浮かびあがる姿は幻想的でもある)、野村監督も月見草を本当に愛していたのだと思います。皮肉でも揶揄でもなくて。
 0時45分、帰宅後真っ先に月見草を見に行ったのですが、すでにしおれていました。



 月見草は多年草だけど、競争にはあまり強くなく、二年目だけは一年目と同じくらい花が咲きましたが、三年目以降は強力なライバルのスミレに競り負け、一気に勢力範囲を狭めました。今では数株を残すだけです。
 不思議なもので、月見草を淘汰したスミレもまた、しばらくはものすごい勢いで増えていったのですが(他の植物が植わっているプランターや鉢の中まで)、以後は年々減っていき、他人の(言い方が変だけど)鉢の中で細々と暮らすまで落ちぶれてしまいました。スミレを淘汰した草花が何か?と訊かれると、答えられないのだけど・・・。


    

可愛い花だけど、雑草です(左)。クレマチスも円盤のように浮かんでいました(右)。


 クンシランは今年二回目の花を咲かせています~♪


土曜日の朝、こんな可愛い花も、並んで咲いていました~(追記)


バラも咲いた ~その2

2009-05-21 23:59:10 | 自然&いきもの+ゾウのはな子



 木曜日は、21時過ぎに上がってから同僚と一杯やりながら話していたら、久しぶりに午前様になってしまいました。布団に直行し、目が覚めると少し外が明るくなっていたので、真夜中、真っ白な花を咲かせていた月見草が、今の時間帯ならまだ白いまま咲いているかもしれないと思い、α700を片手に寝ぼけ眼で庭に出てみたところ、残念ながらピンク色に変わって、花を閉じてしまっていました。
 今日はお休みだったのですが、会議や打合せで休みは殆ど返上です。「雨だがら、まあいいか」と思っていたら、何ですかこの天気は・・・やっぱり晴れ男なのかな?
 半分いじけながら、朝食後に植物の写真を撮りました。これをUPしたら、少しだけでもオートバイで走ってこようかな~(って、どこを?)


(左)直植えのバラも咲きだしました(手入れは父がしています。わたしゃ、見るだけ)。
(右)木漏れ日が面白い影をつくっていたのですが、それを表現するのは難しいですね。小さな庭なのに、色々な草木が次から次へと花を咲かせています(ツツジやクレマチスやエビネは枯れてしまいました)。水撒き程度しない自分は、世話をしている人に頭の下がる思い・・・。


今日も暑くなりそうですが、雨の季節も近い? 紫陽花もスタンバイ完了!


この日差しは、つゆ草には辛いかな? でも、道路脇で頑張って咲いていました。

の予報だったのに・・・。日付は昨日にしておきます。それでは、また!


隅田川と支流に架かる橋

2009-05-20 23:59:50 | 日常&時間の旅


(Q)この橋の名は?

 意外と知られていないことなんだけど、東京は「水の都市」で、大小様々な川と運河に何千もの橋が架かっています。「橋熱中人」にはたまらない都市というわけですが、(春のうららの)隅田川にも、魅力的な橋がたくさん架かっていて、浜松町の日の出桟橋から水上バスに乗って浅草まで川を遡ると、勝鬨橋、佃大橋、中央大橋、永代橋、首都高9号深川線橋梁、清洲橋、新大橋、首都高6&7号線両国ジャンクション橋梁、両国橋、総武線隅田川橋梁、蔵前橋、厩橋、駒形橋、吾妻橋の下をくぐることができます。浅草で水上バスから降りたら、目の前の吾妻橋から優雅な東武線隅田川橋梁を眺めるのもいいし、言問橋まで足を延ばして、東京大空襲の犠牲者に哀悼を捧げることもできます。
 その日は、出だしの聖橋で少々失敗しましたが、両国から隅田川沿いを少しだけ歩いて両国橋を渡り、柳橋から浅草橋まで運河沿いを歩き、浅草橋から総武線沿いを歩いて万世橋に出て、中央通りを銀座方面に向かい、神田から先はは山手線などの在来線と東北&上越新幹線と一緒に歩き、東京駅に着きました。


総武線隅田川橋梁の下を水上バスがくぐる。


その上流は蔵前橋。三連の黄色いアーチを描く。


下流の両国橋。遠目だと平凡だけど、このようになかなか凝っている。


    

 冒頭のクイズの答え=「柳橋」。橋のたもとに本物の柳!も植わっています。柳橋は、隅田川の支流になる神田川の第一橋梁(合流する前の最も下流にある)で、江戸中期に建てられ、明治になって鋼鉄の橋に架け替えられたが、関東大震災で落ちてしまいました。復興局は、船頭たちの帰港の便を考えて、支流河口部の第一橋梁は、各々デザインを変化させる工夫をしました。柳橋は永代橋のデザインを採り入れ、昭和4(1929)年に完成。歩道の部分が、味ありますね~♪


    

(左)こんなところにかんざしが! 赤い玉が入っているのもあった。
(右)柳橋を渡る人より高いところで、ハトが威張っていた! 照明にも注目。


(左)屋形船が何隻も停まっていた。柳橋付近は、江戸時代から舟宿が繁盛していた。
(右)浅草橋も神田川に架かる橋だけど、情緒はこのとおりゼロになってしまった・・・。ここにも見附(浅草見附)があったらしい。


(左)浅草橋からは、総武線の高架下を歩いた。
(右)幻の駅「万世橋」のホームを通過する201系中央線。


万世橋と幻の万世橋駅。旧交通博物館はどうなるの?


    

 神田~東京はガード下を歩いて、昭和へタイムスリップ。左手の車道の上は東北&上越&長野新幹線の高架が走っている。


両国駅~東京駅まで歩く

2009-05-19 23:59:23 | 日常&時間の旅


 両国駅は、今でこそ総武線の各駅停車しか停まらないローカルな駅ですが、創業は明治37(1904)年と古く、かつては総武鉄道の東京側のターミナル駅でした。3年後の鉄道国有法により、総武線は「国鉄」になります。1932年には総武線隅田川橋梁が完成し、御茶ノ水駅まで延伸されて現在のように中央線と接続するようになったのですが、この時点で電化されていたのは両国~御茶ノ水間だけだったので、両国駅は今までどおりターミナル駅の役割を担うことになりました。1935年までに千葉まで電化されましたが、千葉以東へ向かう列車の多くが当駅を始発としたので、電化以後も両国駅はターミナル駅であり続けました。
 転機が訪れたのは1972年のことです。総武本線が複々線化し、東京~錦糸町間の開業に伴い快速運転が開始されるようになりました。ターミナル駅だった両国は、複々線化の工事の際に、快速線が走る地下から地上駅への連絡出口が造られましたが、急カーブ&連続勾配がネックとなって、肝心の地下ホームの建設を見送られてしまったのです。快速電車が停車しなくなったことに加えて、総武本線の東京駅乗り入れに伴い、総武本線と横須賀線を結ぶ直通電車が走るようになり、両国駅はターミナル駅としての機能を完全に失ってしまいます。10年後の1982年11月に行われたダイヤ改正により、房総方面の急行列車が全廃となり、1988年12月1日には特急列車の乗り入れも終了、ただの各駅停車停車駅になってしまいました。
 それでも、両国駅の駅舎はモダンだし、ターミナル駅だった頃の面影が残り火のように随所に見受けられ、目の前には国技館と江戸東京博物館が建っています。また両国には、「討ち入り」で有名になった吉良邸跡(自分も含めて区民は吉良寄りだけど)があり、「勝海舟」生誕の地だったり、「鬼平犯科帳」の舞台になった町としても知られていますし、関東大震災と東京大空襲の犠牲者を追悼する都立慰霊塔は特異の存在で、毎年3月10日と9月1日には多くの人が追悼のためここを訪れます。
 そんなわけで、個人的には、両国駅は多くの面で「起点」や「中心」になる駅です。


(右)両国といえば大相撲! 明かりとりのある背の高い駅構内には、大相撲優勝力士の大きな額も飾られている。大相撲夏場所が国技館で開催されているので、ちょんまげ&浴衣姿の力士と何回もすれ違った(元横綱「大乃国」ともすれ違いました)。
(左)モダンな両国駅駅舎。駅前ロータリー内の駐車場と、駅舎の壁にかけられた看板が無粋だ。


 2年前には、このように各駅停車のホームから、かつて使われていたホームを見下すことができた(今回はすぐに階段を下りてしまい、まだそのまま残されているか確認していない)。人々はここから房総方面へ向かった。


 両国駅を降りたら、国技館ではなく道路を渡って隅田川に向かってしまう。この日は、総武線の隅田川橋梁を眺め、両国橋を渡って浅草橋に向かった。総武線の隅田川橋脚は、先も述べたように、総武線の御茶ノ水乗り入れのために建設された。1931年2月に着工、1932年3月に竣工した。隅田川に架かる橋は皆魅力的だが、この橋もかなりいい。

 カテゴリーだと「鉄道」だけど、歩いている時間の方が長かったし、昔を偲ぶ部分が多かったので、「時間」の旅にしました。


手塚治虫展 ~未来へのメッセージ

2009-05-18 10:20:00 | 美術館&博物館など



 手塚治虫が亡くなってもう二十年が過ぎてしまったなんて・・・とても信じられない。これにはいくつか理由があって、一つは自分の体内時計がどうやら「昭和」で止まってしまっているからだけど、思えば、昭和3年に生まれ平成元年に他界した手塚治虫の、たった60年間の生涯が「昭和」という時代そのものだった。
 「平成」の手塚治虫も見てみたい気もするが、人類が「地球」という生命体を引き返し不能地点まで追いこんでしまったことや、一向に地上から戦火が消えないことや、平等に与えられるはずの生存権がないがしろにされ、いよいよ格差が拡大していることなど、地球全体のことを考えると「人類だけ滅んでしまえばいい」と極論したくなる「現実」を、彼に見せたくないとも思う。
 手塚治虫が亡くなったことが信じられないもう一つの理由は、彼が今も自分の中に生きているからだ。幼少期から彼の漫画やアニメをそれこそ「食べ物」を摂るみたいに読んでいるうちに、死の直前まで漫画を描かせてきた「執念」というか「精神」みたいなものが体内に蓄積され、いつしか自分の血となり肉となったのだ。
 影響力の大きさを考えても、間違いなく自分は手塚治虫の子供であり、今では伝説となった「トキワ荘」から生まれた漫画家たちから、一番大事なことを教わっていたのである。本や映画も貪欲に「食べた」が、漫画が自分の教科書だった。
 この展覧会には「未来へのメッセージ」という副題がついている。子供たちの自分が、亡き父に代わって今何をすべきか、膨大な作品を読み返しながら、じっくり考えていくことにしよう(まずは政権交代かな?)。

 手塚治虫が「オサムシ」からペンネームを借りたほど、大の昆虫好き少年だったことは有名で、作品の中にもたくさんの昆虫が登場するが、昆虫について書かれたエッセイも大変面白く、この人がミクロの世界からマクロの世界へと世界観を広げていったことがよくわかる。
(小林準治=解説の『手塚治虫 昆虫図鑑』は、自分の愛読書だ)
 中学時代には何点も「昆虫標本画」を描いているが、今回その実物を見ることができた。戦時中のため良い絵の具が手に入らず、「赤は自分の血を使った」という壮絶なエピソードも残っているけれど、そのようにして描かれた蝶や甲虫の精微なスケッチの、写真など太刀打ちできないほど生き生きとした姿に改めて感動を覚えた。全作品を通じて重要なキャラクターの一人である「ヒゲオヤジ」も、すでにこの頃から「出演」していることがわかって嬉しかった(「ヒョウタンツギ」のデビューはいつ?)。

 自分ではもう忘れてしまったけれど、『ジャングル大帝』のラストが、飢えている虎に我身を与えた仏教説話「捨身飼虎」だったことや、『リボンの騎士』が好きだった宝塚歌劇から生まれたこと、1943年に制作された国産アニメ『くもとちゅうりっぷ』が彼のアニメ熱の原点だったこと、そして最も重要な「戦争体験」・・・等々、「図版」には載っていない小さな発見も多々あり、原画を見ていくだけで何だか目頭が熱くなっていった。特に、『火の鳥』に込められた「生きる」というメッセージが、奔流のように自分に語りかけてきた。
 火の鳥(手塚)は、こう語りかけます。
「地球は生きているのよ。生き物なのです。その地球がいま死にかかっているのです」
「人間は 虫よりも魚よりも 犬や猫や猿よりも長生きだわ。その一生のあいだに・・・生きている喜びを見つけられれば それが幸福じゃないの」
「こんどこそ信じたい。こんどの人間こそ きっとどこかで間違いに気づいて・・・生命を正しく使ってくれるようになるだろうと」
「生きるのよ。あなたはいま生きているのだもの。生き続けることができるのよ」


 自分が持っている手塚作品は、大型本の『火の鳥』に、『W3(ワンダー・スリー)』『リボンの騎士』『ばるばら』『エンゼルの丘』『どろろ』、(以下文庫本)『ブッダ』『アポロの歌』『地球を呑む』だけど、今日は『ぼくのまんが記』を買いました!


201に始まり、201に終わった日曜日

2009-05-17 23:49:00 | 鉄道紀行&乗り物


 今日17日は、天気が芳しくないのを幸いに(+新型インフルエンザ騒ぎも加わって、みんな外出を控えるかもしれない)、江戸東京博物館で来月半ばまで開催されている「手塚治虫展」に行ってきました。予想どおり?比較的空いていたため、じっくり観ることができました。原画を見つめているだけで、何だか知らないけれど「うるうる」してしまうニワトリさんでした。
 その後、両国橋を渡って浅草橋から秋葉原に抜け、「イエローサブマリン」(プラモデル屋さん)で、久しぶりにプラモデルを買い(また「積んどく」箱が増えただけ?)、その足で万世橋から東京駅まで歩き(しめて1万5千歩弱)、「大丸」でムーミンのフィギュアを買い足し、帰途につきました。
(「明日最終日の『ムーミン展』は長蛇の列!)
 プラモデルだけで定額給付金に近いお金を使ってしまい、(『ありときりぎりす』の)「きりぎりす」病は一向に治る気配がありませんが、幸福な一日だったことには違いありません。
(ああっ、手塚治虫も全作品を集めたいなあ~)
 そしてですね~、どういう偶然だったのか、今日だけで3回も201系の車両を目撃することができました。そのことについて、書こうと思います。


 最近、仕事以外は(重くて面倒だけど)一眼レフを持ち歩くようにしているのですが、この日も α700 を持っていって正解でした。まずは、ご覧になった方もたくさんいると思いますが、JR東日本の「中央線のコマーシャル・フォト」から。
 あれっ?はな子じゃないですか! 「自分の子供と来よう」と思った人はたくさんいるかもしれないけれど、「好きな人ができたら、必ずここに連れてくる!」というキャッチは??? でも、中央線の広告に、(車両を出さないで)「はな子」を起用したのは良いアイデアだと思います。
 自分が面白かったのは、はな子の目線。「何してんだろう、あの二人? さっきりから同じポーズで・・・」と、はな子のつぶやきが聞えてきそう!
 ちなみに今日5月17日は、井の頭自然文化園の開園記念日(67周年)で、入場無料でした~♪(年間パスポートを持っている自分は、いつも無料と言えないこともないけど、完全に見落としていました・・・)


(左)少し出るのが遅くなり、9時44分の電車を待っていました。電車到着のアナウンスが聞えてきて顔を上げると、オレンジ色の電車(クハ201-107)がホームに滑りこんできました。「・・・嘘!」。カメラはすでにリュックの中に戻してます。地団太を踏みつつも、久しぶりの201系に飛び乗りました。三鷹駅で「中央特快」と待ち合わせをしたので、その間に1枚撮りました!
(右)「中央特快」に乗れば、お茶の水に先に着いて、駅に停車している201系と聖橋のツーショットが撮れる! でも、久しぶりの「201」にもっと乗っていたい! このジレンマを解決する手段として、ニワトリさんが思いついたのが・・・「東京駅から折り返してきたところを撮ればいいじゃん!」。その後は、ルンルン気分で計器盤などを撮影しました。時速90km近く出てますね~。


 ところが・・・御茶ノ水駅のホームに降り立った瞬間、自分の考えたことがいかに浅はかだったか、思い知らされました。「聖橋側のホームに停車するのは中央線の上り電車だけじゃん!」
 激しく動揺しながらも、昌平橋の立体交差をくぐりぬける201系を撮影しました。さて、問題はそのあとです。ホームから編成写真が狙えそうな場所を見つけたのですが、中央線の下り電車は一番奥(山側)なので、すれ違いがあったら「万事休す」。頻繁にやってくる電車を見ていると、すれ違うことの方が多そうです。階段を上がり改札を出て、御茶ノ水橋から撮影することにしました。
(聖橋側から撮影してたら、どうだっただろう?)


(左) 運が良ければ、聖橋だけでなく、この写真のように丸ノ内線の車両も撮ることができるのですが、神田川側の4番ホームに停まるのは、上り電車のみ!
(右)さらに、いまいましいのは、上り中央線はこのカーブを一番大周りに曲がるので、10両全部がフレーム内に入るのですが、最内を走る下り電車だと、そうはいかないことでした・・・。


 約20分後に撮った写真。例によって水平がちゃんと撮れていません。最後部が写っている写真はブレてたし・・・骨折り損のくたびれもうけだった?


 ラジオ会館を出て万世橋を渡ろうととしたとき、目の前をオレンジ色の車両が横切りました。「嘘?」
 もちろん、カメラを取り出す時間などありません。でも、運が良かったんですね。電車は右から左へ横切ってくれました。ここで待っていれば、もう一度見られます。ただ、この位置だと街灯や標識が邪魔くさい・・・あたりを見回すと、万世橋交差点の角ビルに踊り場付きの非常階段を見つけました。
 5階の踊り場まで上って待つこと5分? 先ほどの201系が東京駅を折り返してきました。万世橋駅のホームに差しかかったところでシャッターを切りました。背後に見える交通博物館跡の建物も万世橋駅の一部で、かつて万世橋駅は、東京駅にも見劣りしない煉瓦造の立派な駅舎を構えていました。


 そして、帰りの中央線・・・後からやって来る中央特快を先に通すために国分寺で停車していたら、上り線に201系がやってきました。この日、三度目のご対面~! シャッター速度は1/60秒でしたが、思い切り被写体ブレを起こしています。もっと速くないと止められないのかな? 

満足できる写真は撮れなかったけど、三回も目撃できてよかった~♪


バラも咲いた~♪

2009-05-16 23:59:50 | 自然&いきもの+ゾウのはな子

 「薔薇の蕾・・・」は、『市民ケーン』の最期の言葉だけど、蕾にタンポポの種がひっかかっていました。


 というわけで?褒められると増長するのがニワトリさんの悪いところですが、「豚もおだてれば木に登る」ということで許してくださいませ。記録として残していた庭の草花の写真を披露します~。


(左)うちのツツジは、洗濯物も驚く白さ!(何のこっちゃ?)
(右)うちのツツジは、赤も少し変わった色をしています。自分と違って、落ち着いた感じ。


(左)このラベンダーは高温多湿にも強いのですが、ラベンダー特有の香りが殆どありません。
(右)毎年、律義にこの時期に花を咲かせるエビネ。今年の冬は枯れずに残っていました。


(左)もうすぐ食べられるブルーベリー。それほど美味しいわけではないのですが・・・
(右)こんな時期もある紅葉。淡い緑がきれいですね~。


     

 スミレに代わって、自生しだしたスズラン(左)と、ピンクのおさげの女の子(右)


      

 雨上がりの朝、今年最初の薔薇が、たった一輪だけ咲いていました。右写真のようなバラも好きです。


09年の赤ちゃん誕生! ~奈良公園の鹿

2009-05-15 22:52:20 | 鹿男あをによし=奈良


公開された赤ちゃん1号!


 毎日毎日、新聞の切り抜きが増えていきます。そのうち7割が「嬉しいニュース」で、3割が嬉しくないニュースです。最近の嬉しくないニュースは、「八ツ場ダム」訴訟で原告側が一方的に敗訴したこと。昔と違って、最近の地裁の判決には疑問を感じることが多いのですが、開いた口が塞がりませんでした。

 奈良公園で今年生まれた鹿の赤ちゃんが、今月13日に初めて公開された記事を読んで、すぐにでも奈良に行きたくなりました。お披露目された赤ちゃんは、10日に生まれたばかり! 「奈良の鹿 愛護の会」によれば、これから出産ラッシュが始まり、6月末までに去年とほぼ同数(200頭以上)の鹿が生まれる、とのことです(公園デビューは7月)。
 連休があれば「アオガエル君」(Ninja250R)を走らせて、『(馬)鹿男あをによし』ツアーにいくつもりですが、待っててね~鹿チャン!


 今年生まれた「子鹿のバンビ」の写真は、 → 「奈良の鹿 愛護会HP」をクリック

 ところで、毎年200頭以上生まれてくるのに、総個体数が増えていない(1100~1200頭前後)ということは、同じ数だけ死亡していることになりますが、そのうち年間100頭を超える鹿が交通事故によって命を落としているそうです。その他、死因の9割が「ニンゲン絡み」であることを知らされると、暗澹たる気持ちになります。もちろん、ニンゲンが一切関わらなくても、全ての鹿が命を全うできるわけではないでしょうが、例えばですね、下記のことを知ると、非常に腹立たしくなってきます。

 08年度、国立博物館西側の国道169号線で、鹿が車にはねられる事故が前年度と比較して、一気に4倍増(6件→26件)になりました。原因は、右折車線を設けるために道路脇の用水路を埋め、水路への転落防止用柵を取り払ったから。それまでは鹿も、人と同じように横断歩道を渡っていました(転落防止の柵はさすがに越えられませんが、ガードレールは簡単に飛び越えてしまいます)。
 秋以降、「鹿に注意!」の標識を増やすことでドライバーに注意をうながすことにしたそうですが、この標識のおかげで、『鹿男あをによし』にも出てきた飛火野では、04年に事故が33件も起きてしまいましたが、標識設置後(20か所!)は、19件、13件、そして去年度は6件と、確実に事故が減っています。
 注意を促す標識が、169号線でも効果を発揮してくれることを祈ります。


    

(左)確かに、飛火野付近では、数メートルごとに標識が立っていました。
(右)午後の飛火野にいた神使。凛とした瞳でした。


トトロの棲む駅? ~「小湊鉄道」上総大久保(続き)から五井へ

2009-05-14 10:00:00 | 鉄道紀行&乗り物


 陽だまりの中、森を背景に佇む無人の駅舎に、お隣の「月崎」から歩いて来たのでしょうか、人が近づいて来ました。菜の花や咲き始めた桜が眩しくて、思わず目を細めます・・・。
 昨晩は失礼しました。もう眠くて眠くて・・・横になった途端、朝まで熟睡です。覚えてはいないのですが、きっと「上総大久保」の駅で列車を待っている間に「トトロ」と遊んでいた夢を見ていたのでしょう。満ち足りて?目を覚ましました。この駅にいると、壁に描かれたイラストじゃないけど、本当にトトロが現れそう~♪


(左)菜の花に縁取られた線路の左側は、森を切り開いて耕作地にしたんでしょうね。里山風景は心を和ませてくれます。
(中)向かい側から。線路を歩いて来た二人も待合室で休憩しています。それにしても、絵に描いたような桜の枝ぶりではありませんか! 一度、満開の時期に訪れてみたいナ・・・。
(右)どの角度から眺めても絵になる「上総大久保」駅。駅に降り立った瞬間は、「やはり月崎まで行けば良かったかな?」と思いましたが、また大好きな駅ができました。ここに降りて正解だったね!


約一時間後の16時14分、「上総中野」行きのキハがやって来ました。


「う~ん、いいですね~♪」 この列車が「上総中野」から折り返してくるのを待ちます。


(左)さらに待つこと約30分・・・先ほどのキハが「上総中野」を折り返して来ました。
(右)その間、ニワトリさんは待合室の造りつけのベンチで横になっていました。列車が到着する頃、ポツンポツンと雨が降り出し始め・・・。


「上総大久保」は、駅にいるだけでも退屈しませんが、徒歩10分のところに千葉県乳牛育成牧場があるので、ここを訪ねても面白そう。また、お隣の「養老渓谷」から、①【森と梢のみち】=「上総大久保」を経て「月崎」まで歩く全長10kmのコースと、②【見晴らしのみち】=梅ヶ瀬渓谷と大福山を歩いて「月崎」へ下る全長15kmのハイキング( or ピクニック)コースもあります。楽しみは尽きませんね!


      

(左)一番人気の「月崎」駅。扉が開いた瞬間に駅舎を撮影。この手の人が絶えないのでしょう。発車後に、「危険ですから扉付近での撮影はおやめください」と、女性車掌さんのアナウンスがありました。ニワトリさんは扉から顔を出さなかったのですが・・・。
(右)雨に煙る「月崎」。このように桜と菜の花の対比が見事!


(左)「月崎」を出てからは、メモ書きに切り替え予習に務めましたが、悪筆に揺れが加わって、半分以上判別不能。「里見」=駅前菜の花。「上総川間」=田んぼの駅。「上総牛久」=タブレット交換。「馬立」=桜と田んぼ・・・などがかろうじて読み取れました。肝心の菜の花は(五井側から見ると)、どのあたりから見頃になるのか、今の今では全く記憶にありません・・・情けなや~~。
(右)「海士有木」は、駅舎やホームの佇まいが良く、音の響きも良いせいか、かなり好きな駅です。一度降りてみたいナ~。「小湊鉄道」は、以前にも書きましたが、車窓の風景が三段階(郊外→田んぼ→里山)に変わり、起動車の揺れ具合といい、ロングシートでも全く飽きない鉄道です。


(左)約1時間後の17時52分、「五井」駅に着きました。車両基地には「キハ」たちが勢ぞろい!。車両基地には、歴代の蒸気機関車が3両展示されていて、日中だったら見学も可能です。ここに着くのが早朝か夕方になってしまうので、なかなか見ることができないのですが、一度は見学しないとね・・・。
(右)JRと跨線橋で結ばれる「小湊鉄道」。改札もないので、JRの支線のようにも思えます。ここの「キハ」たちは、ほぼ自分と同い年ですが、末永く頑張ってほしいナ~♪


(左)JRのホームから、先ほどまで乗っていた「キハ」を眺めます。「昭和」を感じる~♪
(右)微妙に色褪せ具合も違います。新型車両にはない味わいがたまりません!

 ようやく終点に着きました。今日は泊り。今週はハードだなあ・・・。


トトロの棲む駅? ~小湊鉄道「上総大久保」

2009-05-13 23:36:00 | 鉄道紀行&乗り物

「ここで降りても大丈夫だろうか?」 キハが小さくなってゆくと、急に心細くなりました。


 たった一日の出来事を今日まで長々と綴ってきましたが、そろそろ終点が近づいてきました。「いすみ鉄道」をこれだけ引っ張っていながら、「小湊鉄道」は(それこそ)たった一日で終わりとはバランスを欠いているような気もしますが、そうなんです、一駅しか降りなかったもので・・・もう一駅は降りられたのですが、夕方ポツンポツンと落ちてきた雨があっという間に本降りになってしまったので、そのまま五井に向かい、帰途に着きました(五井から東京まで、またまた普通車グリーン車=750円に乗ってしまいました。新幹線のグリーン車は無理でも、普通車なら乗れる? これって、かなり快適で~す)


     

木造の待合室。トトロにサツキ&メイが描かれています

 残りは明朝書きます。もう目が開けていられません・・・