両国駅~東京駅まで歩く

2009-05-19 23:59:23 | 日常&時間の旅


 両国駅は、今でこそ総武線の各駅停車しか停まらないローカルな駅ですが、創業は明治37(1904)年と古く、かつては総武鉄道の東京側のターミナル駅でした。3年後の鉄道国有法により、総武線は「国鉄」になります。1932年には総武線隅田川橋梁が完成し、御茶ノ水駅まで延伸されて現在のように中央線と接続するようになったのですが、この時点で電化されていたのは両国~御茶ノ水間だけだったので、両国駅は今までどおりターミナル駅の役割を担うことになりました。1935年までに千葉まで電化されましたが、千葉以東へ向かう列車の多くが当駅を始発としたので、電化以後も両国駅はターミナル駅であり続けました。
 転機が訪れたのは1972年のことです。総武本線が複々線化し、東京~錦糸町間の開業に伴い快速運転が開始されるようになりました。ターミナル駅だった両国は、複々線化の工事の際に、快速線が走る地下から地上駅への連絡出口が造られましたが、急カーブ&連続勾配がネックとなって、肝心の地下ホームの建設を見送られてしまったのです。快速電車が停車しなくなったことに加えて、総武本線の東京駅乗り入れに伴い、総武本線と横須賀線を結ぶ直通電車が走るようになり、両国駅はターミナル駅としての機能を完全に失ってしまいます。10年後の1982年11月に行われたダイヤ改正により、房総方面の急行列車が全廃となり、1988年12月1日には特急列車の乗り入れも終了、ただの各駅停車停車駅になってしまいました。
 それでも、両国駅の駅舎はモダンだし、ターミナル駅だった頃の面影が残り火のように随所に見受けられ、目の前には国技館と江戸東京博物館が建っています。また両国には、「討ち入り」で有名になった吉良邸跡(自分も含めて区民は吉良寄りだけど)があり、「勝海舟」生誕の地だったり、「鬼平犯科帳」の舞台になった町としても知られていますし、関東大震災と東京大空襲の犠牲者を追悼する都立慰霊塔は特異の存在で、毎年3月10日と9月1日には多くの人が追悼のためここを訪れます。
 そんなわけで、個人的には、両国駅は多くの面で「起点」や「中心」になる駅です。


(右)両国といえば大相撲! 明かりとりのある背の高い駅構内には、大相撲優勝力士の大きな額も飾られている。大相撲夏場所が国技館で開催されているので、ちょんまげ&浴衣姿の力士と何回もすれ違った(元横綱「大乃国」ともすれ違いました)。
(左)モダンな両国駅駅舎。駅前ロータリー内の駐車場と、駅舎の壁にかけられた看板が無粋だ。


 2年前には、このように各駅停車のホームから、かつて使われていたホームを見下すことができた(今回はすぐに階段を下りてしまい、まだそのまま残されているか確認していない)。人々はここから房総方面へ向かった。


 両国駅を降りたら、国技館ではなく道路を渡って隅田川に向かってしまう。この日は、総武線の隅田川橋梁を眺め、両国橋を渡って浅草橋に向かった。総武線の隅田川橋脚は、先も述べたように、総武線の御茶ノ水乗り入れのために建設された。1931年2月に着工、1932年3月に竣工した。隅田川に架かる橋は皆魅力的だが、この橋もかなりいい。

 カテゴリーだと「鉄道」だけど、歩いている時間の方が長かったし、昔を偲ぶ部分が多かったので、「時間」の旅にしました。