手塚治虫が亡くなってもう二十年が過ぎてしまったなんて・・・とても信じられない。これにはいくつか理由があって、一つは自分の体内時計がどうやら「昭和」で止まってしまっているからだけど、思えば、昭和3年に生まれ平成元年に他界した手塚治虫の、たった60年間の生涯が「昭和」という時代そのものだった。
「平成」の手塚治虫も見てみたい気もするが、人類が「地球」という生命体を引き返し不能地点まで追いこんでしまったことや、一向に地上から戦火が消えないことや、平等に与えられるはずの生存権がないがしろにされ、いよいよ格差が拡大していることなど、地球全体のことを考えると「人類だけ滅んでしまえばいい」と極論したくなる「現実」を、彼に見せたくないとも思う。
手塚治虫が亡くなったことが信じられないもう一つの理由は、彼が今も自分の中に生きているからだ。幼少期から彼の漫画やアニメをそれこそ「食べ物」を摂るみたいに読んでいるうちに、死の直前まで漫画を描かせてきた「執念」というか「精神」みたいなものが体内に蓄積され、いつしか自分の血となり肉となったのだ。
影響力の大きさを考えても、間違いなく自分は手塚治虫の子供であり、今では伝説となった「トキワ荘」から生まれた漫画家たちから、一番大事なことを教わっていたのである。本や映画も貪欲に「食べた」が、漫画が自分の教科書だった。
この展覧会には「未来へのメッセージ」という副題がついている。子供たちの自分が、亡き父に代わって今何をすべきか、膨大な作品を読み返しながら、じっくり考えていくことにしよう(まずは政権交代かな?)。
手塚治虫が「オサムシ」からペンネームを借りたほど、大の昆虫好き少年だったことは有名で、作品の中にもたくさんの昆虫が登場するが、昆虫について書かれたエッセイも大変面白く、この人がミクロの世界からマクロの世界へと世界観を広げていったことがよくわかる。
(小林準治=解説の『手塚治虫 昆虫図鑑』は、自分の愛読書だ)
中学時代には何点も「昆虫標本画」を描いているが、今回その実物を見ることができた。戦時中のため良い絵の具が手に入らず、「赤は自分の血を使った」という壮絶なエピソードも残っているけれど、そのようにして描かれた蝶や甲虫の精微なスケッチの、写真など太刀打ちできないほど生き生きとした姿に改めて感動を覚えた。全作品を通じて重要なキャラクターの一人である「ヒゲオヤジ」も、すでにこの頃から「出演」していることがわかって嬉しかった(「ヒョウタンツギ」のデビューはいつ?)。
自分ではもう忘れてしまったけれど、『ジャングル大帝』のラストが、飢えている虎に我身を与えた仏教説話「捨身飼虎」だったことや、『リボンの騎士』が好きだった宝塚歌劇から生まれたこと、1943年に制作された国産アニメ『くもとちゅうりっぷ』が彼のアニメ熱の原点だったこと、そして最も重要な「戦争体験」・・・等々、「図版」には載っていない小さな発見も多々あり、原画を見ていくだけで何だか目頭が熱くなっていった。特に、『火の鳥』に込められた「生きる」というメッセージが、奔流のように自分に語りかけてきた。
火の鳥(手塚)は、こう語りかけます。
「地球は生きているのよ。生き物なのです。その地球がいま死にかかっているのです」
「人間は 虫よりも魚よりも 犬や猫や猿よりも長生きだわ。その一生のあいだに・・・生きている喜びを見つけられれば それが幸福じゃないの」
「こんどこそ信じたい。こんどの人間こそ きっとどこかで間違いに気づいて・・・生命を正しく使ってくれるようになるだろうと」
「生きるのよ。あなたはいま生きているのだもの。生き続けることができるのよ」
自分が持っている手塚作品は、大型本の『火の鳥』に、『W3(ワンダー・スリー)』『リボンの騎士』『ばるばら』『エンゼルの丘』『どろろ』、(以下文庫本)『ブッダ』『アポロの歌』『地球を呑む』だけど、今日は『ぼくのまんが記』を買いました!